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将軍の城に、文が届いた。



都の空は、

燃える寺の方角だけが

うっすらと赤かった。


将軍は、その赤を

障子越しに見ながら

手元の文を読んでいた。


> 「北の名門と婿の裏切り、

総本山の企て、

末寺への兵の潜伏。

そのすべての背後に、

将軍の密命ありと承る」




> 「天下静謐のため、

直ちに位を退き、

印と権を返上されよ」




> 「さもなくば、

これは将軍家に対する

討伐の戦となる」




短い文だった。

だが、その一文一文が

重石のように落ちていく。


将軍は、

口の中でかすかに呟いた。


「……すべて、わしのせいと?」


実際、

密書は出していた。


北の名門へ。

寺へ。

「あやつの勢いを削げ」という

曖昧な言葉を添えて。


それが、ここまで

はっきりとした線になって戻ってくるとは

思っていなかった。


(天下をおさえるための

 小さな手管のつもりだった)


(なのに……)


障子の向こうの赤が、

じわりと濃くなる。



翌日。

殿の使者が、

将軍の城に入った。


形式上はあくまで

「話し合い」のため。


しかし、

使者の言葉ははっきりしていた。


「殿は、

 将軍家が乱の根と見なされました」


「このままでは、

 天下の諸国に顔向けができぬと」


「位を退き、

 都を出られるならば――

 命だけはお助けすると」


上段の間に並ぶ公家たちが、

目を見開いた。


「将軍に降れと?」

「天下の棟梁に、

 一地方の大名が……?」


口々に囁きが漏れる。


将軍は、

静かに使者を見た。


「……わしが退けば、

 本当に乱は静まるのか」


使者は、

一瞬だけ目を伏せ、

それから答えた。


「殿は、そう仰せです」


「“筋を通すために、

 まず上から正さねばならぬ”と」


将軍は、

長く息を吐いた。


「断る」


短く、それだけ。


「将軍家が、

 一国の大名の言葉で

 首を垂れれば」


「この国には二度と、

 “上”というものが立たなくなる」


「わしが乱を招いたと言うなら、

 それもよかろう」


「だが、

 将軍という柱まで折ってしまえば――

 この先の天下は、

 すべて力だけの世になる」


使者は、

それ以上言葉を重ねなかった。


「では、この返答を

 そのまま殿に伝えます」


「ええ。

 そうしてくれ」


将軍は、

障子の外の赤い空を見ながら言った。


「わしも、

 この城で待つとしよう」


「討たれるにせよ、

 討てるにせよ」



山城。


使者の報告を聞いた殿は、

わずかに目を閉じ、

すぐに開いた。


「そうか」


「ならば……

 将軍も“上”ではなくなったということだ」


評定の間に、

重い静寂が落ちる。


「御所へ兵を?」


誰かが恐る恐る問う。


殿は、

あっさりと頷いた。


「都はすでに一度、

 わしらの足で踏んでいる」


「今度は、

 将軍の城を踏む」


「これは、

 天下のための“掃除”だ」


言葉は簡単だが、

その中にある決断は重かった。


将軍の城へ槍を向ける。

それは、

いままでのどの戦とも違う。



猿の城にも、

同じ報が届いた。


書状を広げた猿は、

しばらく黙っていた。


さくらが隣に立つ。


「……将軍様と戦うのですね」


「ええ」


猿は、

扇子で額を軽く叩いた。


「これで“形”が

 一つ壊れます」


「長年、

 皆が心の中で

 “上”と信じていたもの」


「それを殿は自分の手で倒して、

 そのあとに何を立てるつもりなのか」


「……殿自身、では?」


さくらがそう言うと、

猿は苦く笑う。


「殿は、自分を“上”と呼ばれるのを

 あまり好かれません」


「“上”という言葉が

 これほど軽くなっている世の中で、

 その名を名乗るのは損だと

 よく分かっておられる」


「なら、

 何を立てるのでしょう」


「そこが、

 某にもまだ見えませぬ」


 


「さくら殿は、

 どう思います?」


唐突な問い。


さくらは少し考え、

首を傾げた。


「私には、

 天や筋のことはよく分かりません」


「ただ、

 殿がお決めになった“筋”の先に

 大きな戦がなくなるのなら」


「それで十分だと思っています」


猿は、

その答えに小さく笑った。


「鬼娘殿の方が、

 よほど真っ当ですな」


「某はつい、

 “その先に自分がどこまで行けるか”などと

 余計な計算をしてしまう」


「それが猿殿らしさなのでしょう」


「それで殿のお役に立っているのですから、

 よろしいのでは」


さくらの言葉は、

いつものように真っ直ぐだった。



出陣の触れが、

再び出た。


今度の敵は、

「都の将軍城」。


兵たちの間に、

これまでとは違うざわめきが走る。


「本当に……

 やるのか」


「将軍様の城を攻めるなんて……」


「殿は、

 もう前からそのつもりだったのかもな」


「乱を終わらせるには、

 “名目”ごと倒さなきゃならんのだろう」


そんな言葉が、

行軍の列に混じる。


 


さくらは、

その列の前の方で馬を進めていた。


(寺を燃やし、

 将軍の城を攻める)


(殿は、

 この国の“形”そのものを

 作り直そうとしている)


(それを刃として支えるのが、

 私の役目)


胸の奥の小さな棘は、

まだ残っている。


それでも、

大太刀の柄を握る手に

迷いはなかった。


 


都の屋根が見える丘の上で、

軍は一度足を止めた。


かつて「凱旋」の看板を掲げた道。

略奪を禁じた時と同じように、

殿は静かに言った。


「将軍の城を攻める」


「だが、

 都の町は焼かせぬ」


「狙うのは、

 “上”にある古い柱だけだ」


さくらは

その言葉を胸に刻む。


(また、

 一つ線を越えます)


(この先、戻る道はありません)


風が吹き、

都の方から

冷えた瓦の匂いが流れてきた。


その中に、

遠く燃えた寺の残り香が

まだわずかに混じっていた。

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