表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

68/121

68

報が届いたのは、

北の名門の城が静まり返った夕刻だった。



「……寺、に?」


使者は土埃をまとったまま、

ひざまずいて報告した。


「はっ。

 名門と婿殿の残党と思しき者ども、

 ふもとの大寺へ逃げ込み、

 僧と共に籠もっております」


「槍や鉄砲も携えており、

 寺内にて武装しているとのこと」


重臣の一人が、

眉間にしわを寄せる。


「寺は……

 総本山の末寺ではなかったか」


「はい。

 ゆえに、信徒と名目づけて

 いくらでも兵を置けましょう」


猿が、

扇子の縁で地図のその場所を軽く叩く。


「城を落としたあとの逃げ場としては、

 悪くない選び方ですな」


「信仰と屋根を盾にできる」


誰かが舌打ちした。



沈黙を断ったのは、

主君の声だった。


「……やつらは、民ではない」


静かだったが、

部屋の隅々まで届く声。


「武器を取り、

 敵兵を匿う」


「寺の衣をまとおうと、

 そこで矢を番え、火縄を掲げる限り――

 それは寺ではなく城だ」


視線が、

ひとりひとりの顔をなでていく。


「城と思え」


「燃やせ」


その一言に、

空気が変わった。



さくらは、

主君の横顔を見ていた。


(……寺を)


(総本山の末寺を)


(燃やす)


兵としての理解は早かった。


敵を匿う拠点。

再起の種。

放っておけば、

またどこかで刃を向けてくる者たち。


(しかし、

 寺は寺でもある)


祈りの場であり、

人が夜をやり過ごす屋根であり、

死者の骨が眠る場所。


(そこごと、焼く)


(殿は、

 そこまで踏み込んだのだ)


胸の奥に、

細い棘のような違和感が残った。


だが、

さくらは何も言わなかった。


自分は用兵には口を出さないと、

何度も決めてきた。


刃として振るうかどうかだけを

自分の領分とする。



評定が散じ、

廊下に出ても、

その棘は抜けなかった。


猿が隣に並ぶ。


「……さくら殿」


「はい」


「嫌でしたか」


さくらは少し考え、

そのまま答える。


「寺を燃やすことそのものではなく」


「“寺と城の境目”を、

 殿がお決めになったことが……」


猿は小さく笑った。


「境目を決められるのは、

 いつも勝っている側だけですからなぁ」


「殿は今、

 勝っておられる」


「だからこそ、

 決める役目を背負わされる」


その言い方に、

責める色はなかった。


ただ、

事実として淡々と。


「某らは、

 そのあと始末をするだけです」


「燃えたあと、

 どこに橋をかけるのか」


「それを考えるのは

 某の仕事」


「燃やすかどうかは、

 殿の仕事」


さくらは、

ほんの少しだけ息を吐いた。


「……私は、

 燃やす側に立つのですね」


「鬼娘、と言われている方が

 こういう役には向いております」


猿の冗談に、

さくらはかすかに笑った。


不思議と、

胸の棘は少しだけ丸くなった。



夜。


寺の輪郭が見える場所まで、

軍が移動した。


月明かりに浮かぶ伽藍は、

城とは違う静けさをまとっていた。


太い屋根。

高い山門。

長く続く回廊。


そのどこかの影に、

槍と鉄砲を持った残党たちがいる。


「矢を射てきた時点で、

 言い訳はできませんな」


猿が低く言う。


「“寺だから斬れない”と

 思っているうちは、

 あちらも寺を城として使ってくる」


「ならば、

 こちらも城として扱うしかない」


さくらは、

視線を寺から外さずに頷く。


「……私は、

 門の前に立ちましょう」


「中へ踏み込むのは、

 最後で構いません」


「逃げてきた者だけを斬ります」


猿は、

それを聞いて満足げに頷いた。


「それがよろしい」


「“逃げ場が燃えている”と知ったとき、

 人はどこへ走るか」


「そこに鬼娘が立っていると聞けば、

 なおのこと」



最初の矢が飛んできたのは、

火を放つ前だった。


山門の上から。


かつて婿の旗を守っていたであろう手が、

今度は寺の屋根を守ろうとしている。


「……なるほど」


猿が扇子を閉じる。


「やはり、

 あれは城でござるな」


火矢が準備される。


油を含ませた藁束が、

矢尻のすぐ下に巻き付けられていく。


太鼓の音が、

低く一度だけ鳴った。


「寺だと思うな」


主君の命が

ここまで届いている気配がした。


「敵の本丸だと思え」


弓が引かれ、

火が灯され、

夜の空へ弧を描く。


寺の屋根へ、

柱へ、

軒先へ。


炎が小さく生まれ、

やがてつながっていく。



さくらは、

寺の門前に立っていた。


燃え上がる屋根。

木と塗りと、古い紙の焼ける匂い。


それに混じって、

火薬と人の汗と、

自分の桃の匂い。


門から飛び出してきた影を、

一人ずつ見極めていく。


武器を握りしめて飛び出してくる者。

僧衣の下から鉄砲を引き抜く者。


それらには、

容赦なく刃を向ける。


丸腰で転げ出てくる者。

手を挙げて膝をつく者。


それらには、

刃を向けない。


(寺を城と見なすのなら)


(降りた者は、

 城から出た者でもある)


自分なりの、

細い線引き。


殿の引いた太い線の中で、

せめてそれだけは守ろうと

さくらは思っていた。



炎はやがて、

夜の空を赤く染めた。


遠くから眺める者には、

それはただ

一つの寺が燃え落ちる光景に見えるだろう。


だが近くに立つ者たちは、

その中で何が燃え、

何が生き残ったかを

それぞれの鼻と目で知っていた。


「……ここから、

 総本山との縁も変わりますな」


背後で猿が呟く。


さくらは炎を見上げる。


(この火は、

 ただの一寺では終わらない)


(殿は今、

 “寺と城の境目”だけでなく)


(“信仰と国”の境目にも

 一つ印をつけた)


風が吹き、

熱と煙と匂いが流れていく。


さくらの髪が揺れ、

焼ける匂いの中で

かすかに桃の香りが残った。


鬼娘の立つ場所は、

また一つ

戻れない線を越えていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ