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城の中に、

見えないひびが入っていた。



城壁の上では、

まだ旗が風に鳴っている。


だが、その下で

弓を構える兵たちの腕は

目に見えて重くなっていた。


「……騎馬が押し返せなかった」

「馬を、持ち上げて投げたと……」


噂は、

城内のどこにいても耳に入る。


婿の残党たちは、

それを聞いて顔を曇らせた。


(まただ)


(鬼娘に、また前を折られた)


彼らは姫を守るために戦場に出たわけではない。

今はただ、「次の旗」を頼って

名門の城に流れ着いただけだ。


その旗の下にも、

鬼娘は来た。


「……門は、守れるのか」


誰かがそう漏らし、

誰も答えられなかった。



外では、

城攻めの支度が淡々と進んでいた。


門の前に、

分厚い木戸を押し出すような

簡易の楯車がいくつも運ばれる。


丸太を抱えた兵たちが

肩を寄せ、

打ちつける姿勢を整える。


「門を破る」


主君の命は、

それだけだった。


高みから見る猿は、

短く指示を飛ばす。


「まずは門の前を掃き、

 弓を封じる」


「さくら殿は、

 突破の合図が見えたらお入りくだされ」


さくらは頷いた。


「分かりました」


「私は、

 門をくぐったあとを受け持ちます」


「ええ。

 中で迷子にならない程度に暴れてくだされば」


軽口に、

さくらはほんの少しだけ目を細める。


「迷子にはなりません。

 匂いで分かりますから」


敵の血と、

怯えと、

己の汗と。


全部混じった空気の流れが、

道筋を教えてくれる。



合図の太鼓が鳴る。


楯車の影に隠れながら、

丸太を担いだ兵たちが前進する。


門の上から、

矢が降る。


楯に刺さり、

地に落ち、

兵の肩をかすめる。


「構わず行け!」


怒鳴り声。

足音が重なる。


最初の一撃。


丸太の先が門に叩きつけられ、

木と鉄が呻くような音が城中に響いた。


城の中庭で立ち尽くしていた兵たちの背筋に、

その震えが届く。


(本当に……

 ここまで来たのか)


(鬼娘だけでなく、

 国まるごと)



門の内側で、

婿の残党の一人が叫んだ。


「扉を支えろ!」


それでも、

横で誰かが低く返す。


「……どこまで持つ」


(守れば婿の敵)

(開けば名門の敵)


(守り切っても、

 この城はきっと落ちる)


そんな諦めが

手の力をわずかに削いでいく。


再び、丸太がぶつかる。


きしむ音。

閂のどこかがひとつ外れた。


誰かが、

はっきりと「無理だ」と呟いた。


その声が、

門の内側の空気を決定づけてしまう。



外。


さくらは、

門前の揺れを見ていた。


(まだです)


(もう一度)


丸太が三度目の衝撃を与えたとき、

門の一部が内側へ倒れ込むのが見えた。


「……今ですね」


さくらは、

大太刀の柄を握り直す。


猿の声が背中へ届く。


「さくら殿!」


「はい」


「門が抜けたら、

 中の“声”を落としてください」


「旗ではなく、

 声の方です」


「承知しました」


 


桃の匂いが、

鎧の隙間からじわりと溢れる。


鉄と土と火薬の中で、

異物のように甘い匂い。


それをまとったまま、

さくらは門へ向かって駆け出した。



門の破れ目は、

最初は人二人分ほどだった。


そこへ

最初の兵たちがなだれ込む。


中から、

槍が突き出される。

接近戦の悲鳴が上がる。


さくらは、

その衝突に横から入り込む形で

隙間を広げた。


大太刀は振り回さない。

背に負ったまま、

身体だけを滑り込ませる。


肩でぶつかり、

手で押し、

槍の柄を叩き落としながら進む。


「道を開けて」


その一言に、

敵味方なく道を譲る。


彼女の背から立ち上る匂いと熱が、

狭い門の中では

あまりにも濃かった。


 


門を抜けた瞬間、

空気が変わる。


城内特有の、

石と木と人いきれが混じった匂い。


そこへ、

さくらの汗と桃の香りが

ぶつかるように流れ込む。


敵の兵が、

一瞬だけ足を止めた。


(噂の……)


(鬼娘だ)


城内で何度も聞かされた名前が、

ようやく形を持って立っている。



さくらは立ち止まらない。


まず目を向けるのは、

人の集まっている方角。


怒鳴っている声。

命令を飛ばしている声。


「右です」


自分にだけ聞こえる声で、

小さくそう言って走る。


右の回廊の先に、

指揮をとる兵たちの塊があった。


城内の部隊を動かそうとしている。


「ここで踏みとどまれ!」

「裏へ回れ!」


声の主が、

一人、二人。


さくらは、

そこだけを狙った。


大太刀を抜く。


広い中庭ではなく、

まだ狭い回廊。


振り方は、

自然と制限される。


だからこそ、

無駄な線を描かない。


一太刀で、

声を出している者だけを落とす。


周りの兵が、

何が起きたのか分からぬ顔で

立ち尽くす。


「命令は——」

「誰が……?」


声が途切れる。



さくらは、

人を散らすことはしなかった。


逃げる者は追わない。

立ち止まる者に刃を向けない。


ただ、

軍として形を保とうとする場所だけを狙う。


・指揮をとる者

・兵をまとめようとする者

・前に出る決心をした者


そこだけを斬り、

あとは崩れさせる。


城内の「声」が

ひとつ、またひとつと消えていく。



婿の残党も、

その中に混じっていた。


山城で見たことのある紋。

かつては味方の旗。


さくらは、

一瞬だけ視線を止める。


(婿殿の兵)


(……いいえ)


(今は、

 北の名門の兵です)


彼らは、

鬼娘を見て槍を構えた。


恐怖も、

怒りも、

行き場のないものが混じった顔で。


「婿様の仇……!」


そう叫んで突っ込んできた者もいた。


さくらは、

その言葉だけ

静かに胸に落とした。


(そうですね)


(私が、

 婿殿を斬りました)


だからこそ、

刃を鈍らせない。


槍を突き出してきた者の手首を払い、

柄で顎を打ち、

倒れた上を踏み越えて進む。


斬る。

だが、

ひとりひとりの顔を

心に刻みはしない。


それが、

自分を保つための唯一のやり方だと

分かっていた。



やがて城内のあちこちで、

名門の兵たちの声が

「守れ」から「退け」へと変わっていく。


中庭に出ると、

別の門からも味方の旗がなだれ込んでいるのが見えた。


外からの本隊と、

内に入ったさくらたち。


城はもう、

「外」と「内」に挟まれた形になっていた。


石畳に響く足音の数が、

決定的に変わる。


城内の士気は、

そこから先

ほとんど声にならなかった。


さくらは大太刀を肩に担ぎ、

中庭の空を見上げる。


(ここは、もう落ちました)


(あとは、

 誰をどう生かして外へ出すか)


息は乱れているが、

目は静かだった。


城攻めは、

すでに制圧の段階へ移りつつあった。

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