表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

65/121

65

猿の城は、

石垣より先に「人」で高くなっていった。



まだ城壁の工事も終わらぬうちから、

不思議な顔ぶれが次々と門をくぐった。


かつて山城で、

敵味方の心をひっくり返したあの天才軍師。

主君のすぐ下に仕える道もあったはずの男は、

あえて一段落ちた「陪臣」の立場を選び、

猿のもとに腰を据えた。


「殿の目は遠くを見ておられる」


「近くの泥を踏む役は、

 そちらの方が似合うと思いまして」


そう言って、

笑っていた。


城下からは、

あの「三杯の茶」の逸話で名を知られた文官も上がってきた。


一杯目で人を見て、

二杯目で腹を探り、

三杯目で先の先まで読む。


その眼と舌でもって、

猿に会い、

茶を淹れ、

茶を飲み、

しばし黙ってから言った。


「ここは、

 これから忙しくなります」


それだけ告げて、

自らも席を置いた。


さらに、

猿と遠縁だと名乗る勇猛そうな武将たちが、

鎧の音を響かせて現れた。


「血が繋がっているからではござらん」


「“運”がそちらへ向いていると思っただけのこと」


面と向かってそんなことを言い、

けれど、その目は

猿の動きから一瞬も離れない。


そして――

その輪の中には、

さくらもいた。



城内の一間。

簡素な卓を囲んで、

妙な組み合わせが肩を並べていた。


天才軍師は、

床に広げた地図の上に木片を置きながら、

ぼそりと呟く。


「ここは、

 もともと婿殿が北への道をおさえるために選んだ土地」


「殿の旗の下に入った今、

 “北を呑むための喉”になる」


文官が、

茶碗を両手で包みながら続ける。


「喉が詰まれば、

 都も台所も息苦しくなります」


「詰まらせないように飲み込むのか、

 一気にかみ砕くのか」


武将たちは、

腕を組んでそのやりとりを聞き、

時折、短く問う。


「では、

 いざ北の名門が兵を出したとき、

 我らはどこでぶつかる」


「城下に火が回らぬ線は、

 どこだ」


そこへ、

猿が扇子を片手にひょいと口を挟む。


「皆さま、

 難しい話をしておられますが」


「要するに、

 “ここは面白い場所になる”ということでござるな」


そして、

少しだけ真面目な声で続ける。


「殿の国の“北の顔”を、

 この城が預かることになる」


「顔つきが悪ければ、

 北の国々に笑われる」


「牙がなければ、

 噛みつく相手にもされぬ」


視線が、

自然とさくらへ向けられる。



さくらは、

静かにそれを受け止めていた。


(私は、

 猿殿のもとに“集められた者”の一人)


(天才軍師のように頭で戦を動かすことも)


(文官のように政を司ることも)


(武将たちのように兵を束ねることもできません)


ただ、

大太刀を振るうだけ。


ただ、

桃の匂いを撒き散らすだけ。


それでも、

猿は言うのだ。


「さくら殿は、

 ここに“いてくださるだけ”で」


「城下の噂と、

 敵の想像と、

 味方の胸のうちが変わる」


「それは誰にでもできる役ではござらん」


(……便利な方ですね、やはり)


(私が刃としてしか生きられないことを、

 一番うまく“場所”に変えてくれる)


 


猿はふいに、

いつもの軽い調子を混ぜ込む。


「しかしまあ、

 この顔ぶれ」


「天才軍師に、

 三杯の茶を淹れるお方に、

 武勇を売りにする連中に、

 鬼娘まで」


「ちょっとした見世物小屋じゃな」


武将の一人が鼻を鳴らす。


「城主様はその筆頭でごさる」


「一番の出世頭に言われると鼻が高くなりまする」


文官も、

茶碗越しに笑う。


「この座敷だけで、

 一つの国が動きそうです」


「城主様さえ、

 変な方向へ転ばなければ」


天才軍師は、

扇子の先で猿を指した。


「転びそうになったら、

 そのときは私が止める」


「泥ごと引きずり戻す役目でしょう」


 


さくらは、

そのやり取りを聞きながら思う。


(この城は、

 “殿の国”の中にある、

 もう一つの器なのですね)


(主君が遠くを見ているあいだ、

 ここで泥を踏む者たちがいる)


(その中で、

 私は刃であればいい)


「さくら殿は某の宝でござる!」


「他の女性にも、

 今のようなことを言っているのでしょう?」


さくらがふとそう言うと、

猿はきょとんとした顔をしてから笑った。


「さて、どうでしょう」


「同じことを言っても、

 同じようには伝わりませんからなぁ」


「さくら殿には、

 “刃として”しか言っておりませぬよ」


他の誰かなら、

腹が立っただろう。


“女として見ていない”とも取れる言い回しだ。


だがさくらは、

不思議なほど

胸の中が静かなままだった。


(それでいい)


(私は、

 刃としてここにいる)


(それを正しく見てくれるのなら、

 それで足りる)


 


猿のもとに

人が集まる理由は、

誰もはっきりとは言葉にしない。


ただ――

ここにいれば「使われる」。

ここにいれば「役目がある」。


そう感じる者が、

気づけば城のあちこちに

根を張り始めていた。


さくらもまた、

その一本の根であることを

受け入れつつあった。


北の名門を呑む前に、

この城が一つの「小さな国」として

形を整えつつあった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ