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猿の城は、
石垣より先に「人」で高くなっていった。
◆
まだ城壁の工事も終わらぬうちから、
不思議な顔ぶれが次々と門をくぐった。
かつて山城で、
敵味方の心をひっくり返したあの天才軍師。
主君のすぐ下に仕える道もあったはずの男は、
あえて一段落ちた「陪臣」の立場を選び、
猿のもとに腰を据えた。
「殿の目は遠くを見ておられる」
「近くの泥を踏む役は、
そちらの方が似合うと思いまして」
そう言って、
笑っていた。
城下からは、
あの「三杯の茶」の逸話で名を知られた文官も上がってきた。
一杯目で人を見て、
二杯目で腹を探り、
三杯目で先の先まで読む。
その眼と舌でもって、
猿に会い、
茶を淹れ、
茶を飲み、
しばし黙ってから言った。
「ここは、
これから忙しくなります」
それだけ告げて、
自らも席を置いた。
さらに、
猿と遠縁だと名乗る勇猛そうな武将たちが、
鎧の音を響かせて現れた。
「血が繋がっているからではござらん」
「“運”がそちらへ向いていると思っただけのこと」
面と向かってそんなことを言い、
けれど、その目は
猿の動きから一瞬も離れない。
そして――
その輪の中には、
さくらもいた。
◆
城内の一間。
簡素な卓を囲んで、
妙な組み合わせが肩を並べていた。
天才軍師は、
床に広げた地図の上に木片を置きながら、
ぼそりと呟く。
「ここは、
もともと婿殿が北への道をおさえるために選んだ土地」
「殿の旗の下に入った今、
“北を呑むための喉”になる」
文官が、
茶碗を両手で包みながら続ける。
「喉が詰まれば、
都も台所も息苦しくなります」
「詰まらせないように飲み込むのか、
一気にかみ砕くのか」
武将たちは、
腕を組んでそのやりとりを聞き、
時折、短く問う。
「では、
いざ北の名門が兵を出したとき、
我らはどこでぶつかる」
「城下に火が回らぬ線は、
どこだ」
そこへ、
猿が扇子を片手にひょいと口を挟む。
「皆さま、
難しい話をしておられますが」
「要するに、
“ここは面白い場所になる”ということでござるな」
そして、
少しだけ真面目な声で続ける。
「殿の国の“北の顔”を、
この城が預かることになる」
「顔つきが悪ければ、
北の国々に笑われる」
「牙がなければ、
噛みつく相手にもされぬ」
視線が、
自然とさくらへ向けられる。
◆
さくらは、
静かにそれを受け止めていた。
(私は、
猿殿のもとに“集められた者”の一人)
(天才軍師のように頭で戦を動かすことも)
(文官のように政を司ることも)
(武将たちのように兵を束ねることもできません)
ただ、
大太刀を振るうだけ。
ただ、
桃の匂いを撒き散らすだけ。
それでも、
猿は言うのだ。
「さくら殿は、
ここに“いてくださるだけ”で」
「城下の噂と、
敵の想像と、
味方の胸のうちが変わる」
「それは誰にでもできる役ではござらん」
(……便利な方ですね、やはり)
(私が刃としてしか生きられないことを、
一番うまく“場所”に変えてくれる)
猿はふいに、
いつもの軽い調子を混ぜ込む。
「しかしまあ、
この顔ぶれ」
「天才軍師に、
三杯の茶を淹れるお方に、
武勇を売りにする連中に、
鬼娘まで」
「ちょっとした見世物小屋じゃな」
武将の一人が鼻を鳴らす。
「城主様はその筆頭でごさる」
「一番の出世頭に言われると鼻が高くなりまする」
文官も、
茶碗越しに笑う。
「この座敷だけで、
一つの国が動きそうです」
「城主様さえ、
変な方向へ転ばなければ」
天才軍師は、
扇子の先で猿を指した。
「転びそうになったら、
そのときは私が止める」
「泥ごと引きずり戻す役目でしょう」
さくらは、
そのやり取りを聞きながら思う。
(この城は、
“殿の国”の中にある、
もう一つの器なのですね)
(主君が遠くを見ているあいだ、
ここで泥を踏む者たちがいる)
(その中で、
私は刃であればいい)
「さくら殿は某の宝でござる!」
「他の女性にも、
今のようなことを言っているのでしょう?」
さくらがふとそう言うと、
猿はきょとんとした顔をしてから笑った。
「さて、どうでしょう」
「同じことを言っても、
同じようには伝わりませんからなぁ」
「さくら殿には、
“刃として”しか言っておりませぬよ」
他の誰かなら、
腹が立っただろう。
“女として見ていない”とも取れる言い回しだ。
だがさくらは、
不思議なほど
胸の中が静かなままだった。
(それでいい)
(私は、
刃としてここにいる)
(それを正しく見てくれるのなら、
それで足りる)
猿のもとに
人が集まる理由は、
誰もはっきりとは言葉にしない。
ただ――
ここにいれば「使われる」。
ここにいれば「役目がある」。
そう感じる者が、
気づけば城のあちこちに
根を張り始めていた。
さくらもまた、
その一本の根であることを
受け入れつつあった。
北の名門を呑む前に、
この城が一つの「小さな国」として
形を整えつつあった。




