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城下は、土と木と人の匂いでいっぱいだった。
石垣は一部が崩され、新しく積み直されている。
堀の幅を広げるために、土を運ぶ列が途切れない。
町家は道に揃えて建て替えられ、路地は意図的に曲げられ、
見慣れた景色が、別の城下の骨格へと組み替えられていく。
さくらは、
脚絆に土をつけたまま、その様子を黙って眺めていた。
(……よく、こんなに動かせますね)
兵も、職人も、商人も。
命令されたからではなく、
「こう変わるらしい」という話に引きずられて動いている。
(私は、前に立てと言われれば立つだけです)
(この人は、“前に立たせる場”そのものを作れる)
猿は、
竹を組んで描いた簡素な地図を前に、
職人たちと何やら話をしていた。
やがて、彼女に気づいて手を振る。
「おお、さくら殿。
似合いますなぁ、その土まみれの足元」
「……褒め言葉と、受け取っておきます」
「もちろん。
戦場の土だけでなく、城下の土も踏んでくださるとは」
軽口。
だが、そこに卑しさはない。
(他の人に言われたら、
“女だから”とからかわれたように感じていたかもしれません)
(この人に言われると、
“城主の目で見ている”ように聞こえる)
さくらは、
自分でも不思議だと思いながら口をひらいた。
「他の女性にも、
そうやって言っているのでしょう」
猿は目を丸くし、
すぐに肩をすくめて笑う。
「ばれましたか」
「まぁ、
さくら殿ほど真に受けてくださる方は
少ないのですが」
「真に受けてはいません」
「それは失礼」
二人のやりとりに、
近くの職人がくすりと笑い、
空気がわずかに柔らぐ。
(……これが“人たらし”)
(言葉の刃が、人の心を切らない向きで落ちてくる)
「それで、さくら殿」
猿は竹の地図を指し示した。
「ここ」
城下の表通りから、
城門へまっすぐ伸びる広い道。
「この道を、
“さくら殿が歩く道”にしたいのです」
「兵を率いて、
時おりこの道を上がったり下がったりしていただきたい」
さくらは小さく首を傾げる。
「見せ物に、ということですか」
「見せ物は見せ物ですが――」
猿の目だけが真面目になる。
「“この城には、
鬼娘が出入りしている”と
城下にも、周りの国にも
覚えさせておく必要がある」
「兵の鍛錬にもなりますし、
商人たちの“安心”にもなる」
「ここはもともと婿殿の国。
その名残を上書きするには、
殿の旗と、
殿の刃が揃って見えた方がよい」
さくらは少し考える。
(私は匂いで人を混乱させる)
(なら……
その匂いを、ここでは“安心の匂い”に変えればいい)
「構いません」
「歩きます。
兵も連れて」
猿は満足そうに頷いた。
「ありがたい」
「用兵は殿や他の方に任せますが、
“人の目”を動かすのは得意でして」
その後、
さくらは工事中の城下を案内された。
・城門の位置をわずかにずらした理由
・火事のときに風が抜ける路地の向き
・市場を城の陰から陽へ移す意図
ひとつひとつ、
猿は難しい言葉を使わずに説明した。
「さくら殿が戦で刃を振るうとき、
“ここで踏みとどまれそうかどうか”」
「それを歩いた足で
感じていただければ十分です」
「細かい算段は、
某が勝手にやりますので」
聞いているうちに、
さくらはふと気づいた。
(私はこの人に、
“うまく使われている”のですね)
(でも、それが嫌ではない)
「猿殿」
「はい」
「私にとって、
あなたは便利な方です」
「殿のもとで刃を振るう場所を
探してくれるのですから」
少し不器用な褒め言葉。
猿は一瞬ぽかんとし、
すぐに笑った。
「いやはや、
鬼娘殿にそう言われるとは」
「城主冥利に尽きますな」
城の石垣の上で、
大工の掛け声が響いた。
この城は、
北の名門を迎え撃つ前に、
城主と刃と城下ごと
“新しい形”へと作り替えられていく。
その中心で、
猿は人を動かし、
さくらは匂いと刃で空気を変え続ける。
静かだが、
確実に戦の前段が進んでいた。




