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門が、ゆっくりと開いた。


内側の闇から現れたのは、

甲冑をまとった一人の男。


妹が嫁いだ先の――婿殿だった。



彼は、

付き従う家臣すら連れていなかった。


ただ一人、

土の上に足を踏み出す。


足取りは重いが、

膝は折れていない。


さくらは、

大太刀を肩から下ろし、

まっすぐに婿殿を見た。


桃の匂いが、

門前の空気にふわりと広がる。


婿殿は、

その匂いにかすかに顔をゆがめた。


「……噂どおりだな」


「鬼娘」


さくらは首を横に振る。


「私は、殿の刃です」


「鬼かどうかは、

 斬られる側が決めること」


婿殿の唇に、

わずかな笑いが浮かんだ。


「そうか」


「では、

 今日は“鬼”と呼ぶことにしよう」



二人のあいだに、

自然と輪ができた。


味方も敵も、

その輪から半歩分だけ

外に留まる。


矢も、

鉄砲も、

この瞬間だけは沈黙していた。


婿殿が静かに刀を抜く。


鋼の鈍い光。

手の震えは、

さっきよりいくぶん収まっている。


「妹は……」


言いかけて、

言葉を飲み込んだ。


さくらは、

少しだけ視線を落とす。


「妹君には、

 私は刃を向けません」


「殿も、

 向けるおつもりはないでしょう」


「刃を向けられたのは、

 婿殿お一人です」


婿殿の肩が、

目に見えて軽くなった。


「……そうか」


「なら、

 安心して斬りかかれる」


それは冗談にしては、

少し苦すぎる言葉だった。



風が、一度だけ通り抜ける。


次の瞬間、

婿殿の姿がふっと近づいていた。


(速い)


さくらは素直にそう思った。


彼の踏み込みは迷いがなく、

一撃目から急所を狙っている。


妻の兄である主君と

刃を交える覚悟をした男の

重みがあった。


刀が、

さくらの肩口を狙う。


さくらは半歩だけ前に出た。


刃先が、

髪を少しだけ散らして通り過ぎる。


大太刀の柄が

婿殿の脇を叩く。


ご、と鈍い音。

婿殿がよろめいた。


「く……っ」


それでも、

倒れない。


すぐに体勢を立て直し、

今度は低く足を狙ってきた。


(下は、狙いが正しい)


(でも――)


さくらは大太刀を

そのまま下へ滑らせる。


鉄と鉄が一瞬だけ触れ、

婿殿の刃が弾かれた。


彼の目が見開かれる。


「化物め……」


「よく言われます」


さくらの声は、

淡々としていた。



一呼吸、間が空く。


婿殿が懐から

小さな火縄を引き出した。


腰の脇差ほどの長さの筒――

短い鉄砲。


さくらは、

それを見ても表情を変えなかった。


(野で使わなかった分の“切り札”)


(ここで使うつもりでしたか)


火花が散る。


パァン――!


婿殿の刀の影に隠すように撃った弾を、

さくらは身体を捻ってかわした。


袖口が裂け、

腕に熱だけが刻まれる。


婿殿の顔から、

血の気が引いた。


(当たらない……)


(ここまでしても……届かない……)


その瞬間、

彼の中の何かが折れた。


さくらは、

その折れる音を聞き逃さなかった。



「婿殿」


さくらは、

静かに声をかける。


「ここで、

 終わりにしましょう」


婿殿は歯を噛みしめ、

それでも刀を握り直した。


「……頼みがある」


「聞きます」


「妻を……」


声が震える。


「……妻を、

 “殿の妹”として扱ってくれ」


「裏切り者の妻ではなく」


その言葉だけは、

刃よりも重かった。


さくらは、

ほんの少しだけ目を伏せる。


「必ず」


それだけ答えた。


婿殿は、

ひとつ息を吐き、


「……ならば、

 もう思い残すことはない」


と呟いて、

最後の一歩を踏み込んだ。



さくらは、

その一歩を正面から受けた。


刀と大太刀が交差する。


金属の高い音が一度だけ鳴り、

次の瞬間には

音が消えていた。


大太刀の軌跡は、

派手でも、

残酷でもない。


ただ、

必要な線をなぞっただけ。


婿殿の身体が

ふらりと揺れ、

地面に沈む。


叫びも、恨み言もなかった。


最後に、

妹君の名を

ごく小さく呼んだだけだった。



門の上から、

兵たちの息が止まるのが分かった。


「殿……」


「……終わったのか」


敵味方なく、

その場にいた者たちが

同じ言葉を心の中で呟いていた。


さくらは大太刀を払うこともせず、

柄に手を添えたまま

短く頭を下げる。


婿殿にではなく、

この戦そのものに。


(裏切りの行き先は、

 ここまでです)


(ここから先は、

 国の話)


彼女の背に、

主君の軍の旗がはためいた。



しばらくの沈黙のあと、

城の上から白い布が揺れた。


「門を開けよ!」


誰かがそう叫ぶ。


開いた門の向こうには、

膝をついた兵たちと、

震える家臣たちと、

その奥で立ち尽くす妹君の姿がある。


城攻めの戦は、

形を変えた。


落城ではなく、

“首を差し出したあとの開城”。


猿はその様子を見て、

小さく息を吐いた。


「……さくら殿らしい終わらせ方ですな」


「一番重いところだけ、

 自分で斬ってしまう」


それが済んだ今、

残りは「国の筋」を

どう整えるかの話になる。


戦場の潮目は、

もう完全に決まっていた。

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