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城門が見えた。
婿の軍は、既に城へ駆け戻っていた。
◆◆敗走の影
谷の奥、
川を背に立つ城。
退却してくる兵たちが、
橋を渡りながら何度も振り返る。
背後の野には、
さくらを先頭にした主君の軍。
「門を開けろ!」
「味方だ、早く!」
怒号と悲鳴とが
門前に積み重なっていく。
城の上では、
兵が互いに目を見交わした。
「これ以上、
敵を引き込めぬ」
「門を閉めろ!」
重い戸が軋み、
鉄の金具が鳴る。
門の前で、
戻りきれなかった兵が叫ぶ。
「待て! 味方だ!」
「開けろ!」
だが城は、
何も答えなかった。
◆◆さくらの視界
さくらの目には、
閉じていく門と、
その前でもつれる兵影が見えた。
(……切り捨てた)
(婿殿は、
己の命と城を守るために
兵を外へ置き去りにした)
感情ではなく、
事実として刻まれる。
「追い詰められた者のやり方、ですね」
小さく呟き、
大太刀を肩に担ぎ直す。
主君の本陣から、
進撃の合図の旗が上がった。
「城を攻める」
その一言に尽きる。
◆◆城攻めの気配
谷を囲む斜面に
槍と弓が並べられ、
梯子を運ぶ兵が走る。
猿──侍大将となった男は、
城の形をじっと眺めていた。
高すぎず、低すぎず。
石垣は堅いが、
水の手と物見の位置に隙がある。
「長陣は避けた方が良いですな」
誰ともなく、低く言う。
「ここで時を食えば、
総本山とやらが
息を合わせてくる」
後ろから声が飛んだ。
「ならば、ひと息に落とす」
主君の声だった。
「婿が城に籠もるなら、
城ごと首を取る」
言葉は冷たいが、
迷いはない。
◆◆城内の婿
城の上段の間。
婿殿は、
鎧の紐を震える手で締めていた。
「野で決着をつけるはずが……」
(ここまで押された)
城下から、
扉を叩く音が聞こえてくる気がした。
「門を開けてくれ」
「まだ戦える」
「裏切るのか」
実際の声なのか、
幻聴なのか分からない。
その背後に、
妹君の気配が立つ。
「……兄上が来ているのですね」
婿は振り向けなかった。
「わしは……
国を守らねばならぬ」
「兄君は、
わしを許さぬだろう」
「許されると思って
槍を向けたのですか?」
妹君の声は
静かで、少しだけ震えていた。
「……それは」
言葉が続かない。
◆◆城を囲む
主君の軍は、
城を半円に取り巻いた。
川側は浅瀬を押さえ、
背を断つ形に。
さくらは、
門からやや離れた位置に立っていた。
「門を破りますか?」
問われて、
さくらは一度首を振る。
「まず、
中の者がどう出るかを見ます」
「死に物狂いで打って出るか、
守りに徹するか」
「それ次第で、
どれほど“斬る”必要があるか変わる」
それは、
情けではなかった。
無駄に血を流すのは、
戦として下策だからだ。
◆◆矢合い
城壁の上から矢が降ってきた。
薄闇を縫うように、
ひゅ、と音を立てて。
味方の盾代わりの板に突き刺さり、
地面の土に深く食い込む。
「撃ち返せ!」
弓隊が前へ出て、
一斉に矢を放つ。
城の上で、
いくつか影が崩れた。
しかし――
門は開かない。
(中で、
攻めるか守るか決めかねている)
さくらはそう感じた。
◆◆婿の選択
城内。
婿殿は、
家臣たちの顔を見渡していた。
「打って出るか、
籠るか」
「……籠もれば、
いつか兵糧が尽きまする」
「出れば、
鬼娘に正面から当たることになる」
どちらも、
「勝ちの絵」が見えない。
妹君が口を開いた。
「兄上は……
きっと迷っておられないでしょう」
「“裏切ったから討つ”、
それだけで」
婿殿の肩が震える。
(分かっている)
(分かっているが……)
「どちらを選んでも、
わしの負けだということだけが分かる」
その言葉だけは
正直だった。
◆◆さくら、前へ
門前の矢が少し弱くなった頃。
さくらは大太刀を背から下ろした。
「そろそろ、
こちらの“名乗り”を上げましょう」
門に向かって
歩きだす。
矢が数本、
さくらへ向けて放たれた。
そのすべてを、
刃の腹で弾きながら進む。
桃の匂いが、
城門の前まで満ちていく。
城壁の上から、
兵たちの顔が覗いた。
「……あれが……」
「鬼娘……」
壁の高さが、
さくらの姿を
かえってはっきり浮かび上がらせる。
長身の女。
大太刀。
鎧の継ぎ目から覗く白い肌。
戦場にそぐわぬ匂い。
彼女は、
門の真正面で足を止めた。
そして、
静かに声を上げる。
> 「この城の主に告げます」
> 「兵を捨てて城に籠もることを、
恥じぬのであれば――」
> 「どうか、
ここで私と一度だけ刃を交えてください」
ざわめきが走った。
◆◆婿の耳に届く声
城内。
さくらの声が
かすれた風に乗って届いた。
「……一度だけ、刃を……」
婿殿は顔を上げる。
妹君は、
眼を閉じたまま立っていた。
「兄上は、
あなたにそれをさせるために
ここまで来られたのでしょう」
「国と、
筋とを通すために」
婿は立ち上がる。
鎧の紐を締め直し、
刀の柄を握る。
「……行こう」
震えた声だったが、
今度は止まらなかった。
◆◆門が開く前
門の前に立つさくらのもとへ、
猿が歩み寄ってくる。
「一騎打ち、というわけですか」
さくらは頷く。
「この城そのものを
焼き尽くす前に」
「筋だけは、
先に通しておくべきかと」
猿は少しだけ笑った。
「鬼娘殿も、
案外“義理堅い”ところがおありで」
さくらは首を傾げる。
「私はただ、
刃の向きに筋を通したいだけです」
「裏切りの先を、
はっきりさせなければならない」
「それが済めば、
あとは城の話です」
「城は……
皆さんの役目ですから」
猿は肩をすくめる。
「まぁ、そこから先は
こちらの汚れ仕事ということで」
門の内側で、
閂が外される音がした。
ギィ、と
木と鉄の擦れる低い音。
城攻めの本番が始まる前に、
一つの決着だけが
先に付けられようとしていた。




