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報は、
静かな昼下がりに届いた。
◆◆総本山、立つ
文を開いた瞬間、
部屋の温度がわずかに下がった気がした。
国内最大の宗教。
その総本山。
台所と呼ばれる商業都市の隣、
巨大な土台と石垣の上に
寺とも城ともつかぬ建物群が広がる場所。
そこで、
「立てこもる」と宣言が出た。
・主君に従わぬこと
・都の支配を認めぬこと
・自らを“正しき道”と呼ぶこと
そして、
・信徒を大挙して集め
・金で雇った鉄砲傭兵を招き入れ
・城ごと、敵になる
――それが報の要点だった。
◆◆評定
文が読み上げられたあと、
誰もすぐには口を開かなかった。
「……あそこが、敵に回るか」
誰かがぽつりと漏らす。
台所の隣に座る巨大な影。
商人たちの祈りの場であり、
旅人たちの宿りでもあり、
要衝を睨む“見えない城”。
主君が静かに呟く。
「金と信仰と鉄砲が
一つに結びついておるな」
猿は文を見下ろし、
指で縁をなぞった。
「信徒も、傭兵も、
皆、こちらから見れば“民”ですな」
「だが、
ひとたび総本山の名のもとに集まれば、
一つの“軍”になる」
その声からは、
いつもの軽さがほとんど抜けていた。
嫉妬や軋轢で
腹の内を探り合う相手ではない。
これは、
「祈り」と「金」が
まとめて牙を生やした存在だ。
◆◆鉄砲の匂い
さくらは、
報を聞きながら静かに考えていた。
(鉄砲傭兵)
(矢とは違う)
(刃の間合いに入る前に
命を奪える武器)
戦場に立つ者なら
誰でも知っている恐ろしさ。
しかし今回は、
数が違う。
「台所の金を背景に、
鉄砲を何百と揃えているらしい」
誰かがそう言う。
さくらは
まだ見ぬ火薬の匂いを
想像だけで嗅いだ。
(戦の匂いが……変わりますね)
(血と土と汗だけではなく、
火薬と油と、
信仰の熱)
◆◆主君の言葉
沈黙を断ったのは主君だった。
「このまま放っておけばどうなる」
問いは、
猿ではなく、
全員へ向けられていた。
重臣の一人が、
慎重に言葉を選びながら答える。
「いずれ、都にも口を出しましょう」
「“正しき道はここにある”と
御所の傍らで叫ばれれば、
民の心は揺れます」
別の者が続ける。
「台所も、
総本山の顔色を窺うようになるやもしれませぬ」
「富の流れが
宗教の手に堰き止められれば、
国の勢いは削がれまする」
主君は、
静かに頷いた。
「つまり――
見逃せば、
“第二の都”になるわけだ」
政治の都と、
信仰の都。
二つの中心を抱えた国が
どれだけ脆くなるか、
誰もが想像できた。
◆◆猿の見立て
「厄介なのは」
猿が口を開く。
「敵が“善人”の顔をしているところです」
「盗賊ではなく、
異国の侵略でもなく」
「民の祈りを守ると言って
立ち上がる」
信徒は、
自分を悪と信じてはいない。
傭兵も、
金を払う者が“正しき側”だと
信じたふりをするだけだ。
「刃を向ければ、
“民を討つ暴君”とも
言われかねませぬ」
猿の声に、
誰かが小さく舌打ちした。
◆◆さくらの一言
「……ですが」
皆の視線が
自然とさくらへ向いた。
「放っておけば、
いつか“国そのもの”が討たれます」
さくらの声音は静かだが、
言葉は鋭かった。
「信仰の名のもとに、
都を縛り、
台所を押さえ、
鉄砲を並べる」
「それは、
刃よりも恐ろしい“檻”です」
「檻を立てた者が
自ら壊すことはありません」
だから――
誰かが壊さなければならない。
(それが刃の役目なら、
私が振るいます)
さくらは、
そう決めている顔をしていた。
◆◆主君の決め方
主君は少しだけ目を伏せ、
やがて顔を上げた。
「すぐには攻めぬ」
ざわめき。
「台所との関係を整え、
総本山の内情を探れ」
「信徒の心、
傭兵を雇う金の流れ、
誰が旗を振っているか」
「間違えてはならぬ」
刃を振るうにしても、
どこを斬るのかを定めねばならない。
「ただし――」
主君の声が
一段低くなる。
「いずれ必ず、
叩かねばならぬ」
「国に“もう一つの主”は要らぬ」
それは
宣戦布告に近い言葉だった。
◆◆評定が散じたあと
猿とさくらが、
廊下で並んで歩いていた。
「……難しい相手ですね」
さくらが呟く。
「刃を向ければ、
血で終わらない戦になる」
猿は、
扇子で肩を軽く叩いた。
「ええ、
首を落としても終わらない相手は、
一番厄介です」
「総本山を崩しても、
信仰そのものは残る」
「どう崩し、
どう残すか」
「それを間違えると、
この国自体が呪われます」
さくらは
少しだけ目を細めた。
「呪いは斬れません」
「だからこそ、
呪いを生む前に
“形”を壊す必要があります」
猿は笑う。
「そのために、
お気の毒ながらさくら殿には
また無茶をしていただくことに」
「鉄砲の雨の中、
鬼娘が歩いてくる図は――
敵からすれば悪夢でしょうな」
さくらは一瞬だけ、
自分の胸元に視線を落とした。
(鉄砲の雨)
(本当に歩いて行けるのかどうかは……
行ってみなければ分かりませんね)
けれど、
怖れの色は薄かった。
それよりもむしろ、
新しい戦場の匂いに
わずかな興味すら漂わせている。
◆◆台所と総本山、その間に立つもの
台所の豪商たちは
すでに慌ただしく動いていた。
・総本山に寄進してきた過去
・総本山に守られてきた道
・総本山が敵となった時、
自分たちがどう見えるか
その計算を、
彼らは商売の勘で
即座に始めていた。
この国は、
信仰と金と刃が
ひとつの場所でぶつかる戦へ
足を踏み出しかけている。
さくらは
山城の高みから
その方角を眺めた。
> (あそこは、
ただの敵陣ではありません)
> (国の根を決める戦場になる)
火薬のまだ見えぬ匂いが、
風の中に
ほんのりと混じり始めていた。




