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◆◆海沿いの国──開戦前夜
南の沿岸。
潮風は重く湿り、
城壁には漁港で積まれた荷が並ぶ。
この国は
富を持っている。
だがその富を守る武は薄い。
豪族同士の取引、
金で雇われた兵。
旗は多いが、根は浅い。
その空気を
さくらは嗅ぎ取った。
(この国は……
“戦える国”ではありません)
(崩れる国です)
夜、猿が陣幕の中で地図を広げた。
「さくら殿」
「この国は守らない。
計算でしか動かない」
扇子が南の砦を指す。
「まず心を折る」
「その後、城は勝手に開きます」
◆◆海城の内情──敵視点
海城では
豪族たちが集まっていた。
「鬼娘が来るらしいぞ」
「冗談だろう、女に城など落とされるか」
しかし、
その匂いが既に
港を揺らしていた。
港の商人が囁く。
「海風の中に、
桃の気が混じってる」
兵は槍を握る手を震わせた。
噂は、武器より先に心を切る。
◆◆戦は夜明け前に始まった
港を塞ぐ帆船が火の下に沈み、
敵は港を守ろうと
兵を出す。
そこに立ったのは――
さくら。
大太刀は抜かず、
ただ片手で肩に担がれている。
潮の風が
桃の匂いを運ぶ。
敵兵がざわつく。
「……噂の……」
「目を合わせるな……」
「動けない……足が……」
それは恐怖と憧れの混ざった
奇妙な感情。
猿の声が背後から飛ぶ。
「兵を出せ!」
「彼らの心が折れる瞬間を見よ!」
◆◆初撃
さくらが一歩、踏み出した瞬間――
港の兵の半数が後退した。
(一歩の重み)
港の板が軋む。
兵の心も軋む。
さくらは静かに太刀を抜いた。
「誰か、かかりなさい」
その声は
罵りではなく、
優しさすら含んでいた。
だが兵には
死神にしか聞こえない。
◆◆その瞬間
敵の槍兵が突撃しようとする。
だが足が止まり、
隊列が乱れる。
その隙――
さくらの太刀が
潮風の中で走った。
一振り、
二振り。
音はない。
ただ数人が鮮やかに倒れる。
その光景は
殺戮というよりも、
心を切り裂く儀式だった。
兵の目が揺らぐ。
「あれに勝てるか……?」
「城、守れるか……?」
「無理だ……」
そして――
◆◆壊走
敵兵は
背を向けて逃げた。
指揮官が怒鳴る。
「戻れ!陣を維持せよ!」
兵は叫び返す。
「無理だ!
あれは人じゃない!」
「港は捨てろ!」
◆◆猿の低い囁き
猿は扇子を閉じて言う。
「よし、港は取れた」
「この国の首は
すでに落ちています」
「後は城が開くのを待つだけ」
◆◆海城の中
大名は怒鳴っていた。
「戦え!」
家臣たちは冷ややかだった。
(戦う?
誰が?
あの鬼と?)
そして、
城兵から声が上がる。
「港が落ちたぞ!」
「富が奪われた!」
「大名は逃げないのか!?」
城内は暴動に近い空気になり、
やがて――
夜のうちに城門が開かれた。
◆◆南征、終結
翌朝、
主君の軍は城へ入った。
抵抗はない。
ただ疲弊した兵と
群衆のざわめきだけ。
さくらは静かに
城壁の上に立った。
潮風が吹き、
海の輝きが揺れる。
> (都へ向かうための
富と道が揃いました)
◆◆猿は横で囁く。
「南は落ちましたな」
「この国は
ただ戦う国ではなく、
富と人心を得る国になりました」
◆◆主君の決断
評定で主君が声を上げた。
「南を取った今――
西の大城は孤立した」
「いよいよだ」
猿は膝を折る。
「天下の門を開く時が来ました」
さくらは
風の中で大太刀を撫でる。
(次の戦は……
ただの戦ではありません)
(天下を割る戦)
潮の香が薄れ、
遠く、西の都への道が
匂いとして見えた。
◆◆南征後──国が“動き方”を覚えた
南の国を平らげた直後、
城下は活気に満ちた。
塩、海産物、貿易利権――
富が運び込まれ、
兵糧も回る。
「国が潤っている」と
兵も農も、
噂の形で理解し始めた。
そして主君は、
その富をまず
軍ではなく民に回した。
米が安くなり、
市に露店が増え、
各地の豪族が
「この国は勝ち続ける」と
納得し始めた。
戦に勝っても疲弊しない国――
それが勢力の本物の姿。
◆◆猿の報告
南征後、猿が主君へ上奏した。
「西の大城は、
南が落ちたことを
まだ信じておりませぬ」
「兵糧が届かぬので、
今は沈黙しているだけ」
「そして噂が流れ始めました」
主君が問う。
「どの噂だ?」
猿は笑う。
「“鬼娘と策士が国を動かしている”」
重臣たちは笑い、
挑発とも賛辞ともつかぬ表情。
主君の言葉は短かった。
「その噂は、
我が国を守る盾にもなる」
◆◆さくらの役目
その頃、
さくらは南の城下を巡っていた。
民の空気を嗅ぎ、
兵の気配を読み、
この国に何が刻まれたのかを
確かめるためだ。
戦場に立つ者は――
国の“温度”を知らねば刃が鈍る。
(……豊かになりましたね)
(この国は、
戦の匂いから
“天下の匂い”へと変わりました)
◆◆そして次の戦略が下される
評定で、
主君は山城の高座から言い放った。
「都を目指す」
ざわり、と空気が揺れた。
「だが都へ向かう前に、
西の大城を裂く」
猿が扇子を開き、補足する。
「この大城を正面から攻めれば
血も時も国も失います」
「南を奪った今、
西の城は裏切りの渦に沈んでいます」
「そこを突く」
◆◆つまり――
次の戦は、
軍を動かして城を落とす戦ではなく、
“国を裂いて城を崩す戦”。
さくらの視点で言えば、
> (刃の戦いではなく、
刃が“象徴”として使われる戦)
◆◆猿からさくらへの説明
廊下で猿が先の策を囁く。
「この国の大城には
四つの勢力がございます」
「大名、家老衆、武将団、そして僧兵」
猿は扇子を叩く。
「まず――
僧兵を揺らがせる」
「この国は今、
繁栄の匂いを外に向けております」
「僧兵は“衆生の安寧”のためと称しますが、
結局は権力の刀」
「民が豊かになった国に
惹かれぬ僧兵はおりません」
◆◆さくらの役目
「さくら殿には
城下に赴いてほしい」
「刃ではなく、匂いを置く役」
さくらは苦笑した。
「また匂いですか」
猿は真顔になった。
「僧兵は
“女人は穢れ”と教えます」
「だが実際には
心が揺らぐ者ばかり」
「あなたの存在は
その矛盾を暴くのです」
(僧兵の信仰は
理ではなく虚構)
(揺らげば、
城の結束が崩れる)
◆◆さくら、出立
翌日、
さくらは僧兵の拠点となる
大寺のある城下へ向かった。
兵も供も連れず、
ただ歩くだけ。
桃の匂いが
山路を下り、
寺の門前に漂った。
僧兵がざわつく。
「……女だ」
「鬼の匂いだ……」
「女人禁制の聖域に、
なぜ入ってくる……?」
恐れと怒りと羞恥が混ざる。
さくらは静かに言う。
> 「私は戦を求めません」
> 「ただあなた方が
口にする“理”は
虚かどうか、見に来ただけ」
寺の鐘が鳴る。
僧兵たちの心が震え、
教義が崩れる音がした。
◆◆数日後──評定
猿の報告が届いた。
「僧兵が二派に割れました」
「教義を守る者と、
この国に帰依したい者に」
主君は笑った。
「城の牙が抜けるな」
猿はさくらの方へ視線を投げた。
「さくら殿は
刃だけではなく、
思想も裂きました」
◆◆この瞬間――
西の大城の崩壊は
始まっていた。
戦場ではなく、
国の根から。
さくらは
風を感じながら思う。
> (戦わずして城が落ちる)
> (戦国は、
もう剣だけでは終わりません)
都への道が、
静かに開き始めた。




