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◆◆翌朝──川辺の陣が敷かれる
まだ霧の深い水面。
上流の村々では
すでに資材が組まれ、
筏に載せられて流されている。
それが川面を
静かに、しかし膨大な量で下ってくる。
木材、石、枠組み。
いずれも城の骨だ。
猿はその景色を眺めながら
扇子を軽く叩いた。
「さぁ、始まりますぞ」
その隣には、
さくらが立っている。
霧の中、
桃の香りは薄く、
だが鋭さだけは隠せない。
大太刀の柄に触れる指は
静かだが、
揺るがぬ覚悟があった。
(敵が来る。
必ず来る)
◆◆筏群が到着し始める
資材が次々と岸へ寄せられ、
職人と兵が寸分違わぬ手際で
組み始める。
猿の指示は早い。
「三段壁を優先、
土台は後回し!
数が揃う前に“形だけ”を見せよ!」
職人たちは
猿が考えた工程順序に
驚きながらも従った。
(敵が来た時、
形がなければ怯えない)
(形さえ立てば、
“壊さねばならない恐怖”が生まれる)
心理の城。
さくらはその戦略を
戦場と同じ眼で見ていた。
(この男は……
戦いを知らぬのに、
戦の理を使っていますね)
◆◆敵が動く
霧の向こう、
遠見が声をあげた。
「敵兵──
南の丘より旗!」
弓兵の姿が揺れる。
猿はさくらに目も向けず、
扇子で岸を指した。
「お待ちかねですな、さくら殿」
「あなたが立つ場所は、
ここ」
岸に突出した地形。
資材が集中し、
敵が最も近づける狭間。
「敵が最初に狙うのは
ここの混乱」
「そこを潰せば、
城は立たず、
策は瓦解――
だから守るのはそこ」
◆◆さくらの応答
「来た分だけ斬ります」
猿は笑う。
「斬れぬ時は、
押し返すだけで結構」
「ただし──」
扇子がぱちんと閉じられる。
「敵の“希望”だけは
折ってください」
その言葉は
さくらの刃を喜ばせた。
(理を理解している)
(この男は
敵の身体ではなく、
心を殺す策を望んでいる)
◆◆最初の接触
丘を駆け下り、
弓兵と槍兵が突進してくる。
彼らの狙いはただ一つ──
組み上がりはじめた骨組みを
炎に包むこと。
職人たちの背が揺れた瞬間、
――ざん。
さくらはそこにいた。
一歩も退かず。
一振りで三人を払う。
敵は
身体より心を撃ち抜かれた。
「あれは……
女か……?」
「刀……大きすぎる……」
「進めぬぞ……!」
戦場の声が
恐怖で染まる。
さくらの声は静か。
> 「進むなら、
死んでいきなさい」
> 「ここは通しません」
敵の勢いが止まった。
そして――
◆◆猿の声が飛ぶ。
「第一波、止まったな!」
「今のうちに西側支柱を立てよ!」
職人たちは、
さくらの背で守られることに気づき、
顔つきが変わる。
(この刃がいるのなら、
壊されても立てられる)
城の骨が立つたび、
敵の絶望が積み重なる。
◆◆第二波・第三波
夜襲。
火矢。
潜入。
すべてさくらの前で
粉砕された。
敵兵が言い残す。
「鬼だ……
城を守る鬼がいる……」
その声は
戦意を殺し、
敵の中に広がる。
◆◆そして三日後
霧が晴れた朝、
丘の向こうに
城が立っていた。
石と木が
一夜のように組まれた幻。
敵は震えた。
「この国は……
常識を殺す……」
◆◆築城成功
猿が城壁の上で
風を浴びながら言う。
「形は整いましたな」
さくらは下から城を見上げる。
(力で押し立てた城ではない)
(“人の理”で立てた城)
猿はこちらを見て微笑む。
「この城は
我らの天下の第一歩」
「そして、
その刃で守られた城」
「名をつけるなら――」
主君が背後から言う。
「鬼守の城だ」
猿が笑う。
「恐れ多い」
◆◆さくらの胸に
静かな熱が灯った。
> (この国は……
本当に天下を狙う器を持っていますね)
そして次の戦が見える。
城を立てられた以上──
敵はここを奪い返しに来る。
猿は扇子を閉じ、
「次の戦は、
この城を“国の歯”に育てる戦」
「さぁ、さくら殿――
今度は攻め返しましょうぞ」
風が
城の旗を鳴らした。
戦は動き続ける。
評定の間に
湯気の立つ茶が並び、
武将たちの顔が和らいでいた。
成功の戦場ほど、
人の声音はよく響く。
「猿、よくやった」
「見事な築城よ」
「鬼守の城は、この国の象徴となる」
主君は座したまま
わずかに頷き、
「猿とさくら、
この城を立てたのは
そなたらの器ゆえ」
「感謝する」
その一言で、
場の空気が変わった。
“この国の未来に関わる二人”
――そう見なされた瞬間だ。
さくらは
淡々と頭を下げただけだが、
猿は礼を尽くしながらも
内心の計算を練り直していた。
(さて……
ここからは築城ではなく、
国を積む仕事よ)
◆◆評定の終盤、
主君が猿を呼ぶ。
「猿」
「そなたは
築城で器を示した」
「次は――
人心を築け」
沈黙が落ちる。
猿は深く膝を折った。
「御意」
◆◆猿の次の役目
評定が散じると、
猿がさくらに近づいた。
「さて、さくら殿」
扇子で人の去った席をなぞりながら、
「某の次の戦は
刃を振るうものではござらん」
「人の心を斬る戦です」
さくらの目が細まる。
(調略)
気配で察している。
猿は声を潜め、
「向こうの大名は愚物」
「だが、
その配下が愚かとは限らぬ」
扇子が地面を軽く叩く。
「むしろ――
愚主ほど
優秀な部下が迷い、
離れたがる」
「そこを突くのです」
◆◆猿の標的
「今代きっての軍師が
敵国におります」
「そして、
三人衆と呼ばれる重臣たち」
「彼らの心をこちらへ引き寄せれば、
戦わずして国を裂けます」
その語り口は軽やかだが、
言っていることは
戦国の根幹を変える策だ。
(力で国を裂く者は多い)
(しかし、
人心で国を裂く策を語れる者は少ない)
◆◆さくらの眼
「猿殿、
あなたが行くのですね」
猿は笑う。
「ええ、某が行きます」
「築城で見せた“実績”を
声にし、
刃としてさくら殿が立っていることで
この国の未来が形になっていることを
示せます」
「人は形に惹かれる」
「形があれば、
器が見える」
「器が見えれば、
利を選ぶ」
その論理は
剣の理ではない。
国を動かす者の
理であった。
◆◆さくらの心の底に
ひとつの熱が灯る。
(この男は──
本当に、主君の“右腕”になる)
(いや、
右腕ではないかもしれない)
(主君と猿という
二つの頭脳があってこそ
この国は動けるのだ)
それは、
剣で国を動かしてきた
さくらが初めて見る“別の戦”。
◆◆猿が軽口をたたく。
「さくら殿、
某が人を口で斬っている間」
「そなたは
国境で敵の心を折る役目」
扇子の先が
遠い山の稜線を指す。
「調略が成功したか否かは、
敵の兵の目を見ればわかるのです」
「そなたが刃で示してください」
◆◆さくらは頷く。
「あなたが人を裂くなら、
私は戦意を裂きます」
猿は笑う。
「この国の未来、
面白いことになりますぞ」
◆◆その数日後
猿は密やかに城を発ち、
小国の暗愚な大名のもとへ
“招かれた客人”として入った。
一方でさくらは
国境の砦に赴き、
大太刀を静かに置いた。
戦と謀略――
二つの刃が
別の方向へ進み始めた。
この瞬間、
この国は初めて
戦国の舞台に踏み込んだ。




