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城を出た後――
さくらの後に、
ひょこひょこと付いてくる影があった。
背は低く、
装束は軽やか、
顔は丸く愛嬌に富み、
声は妙に伸びる。
「さくら殿、さくら殿!」
「某の事は猿と呼んで下され!」
勝手にあだ名を押し付けるなど、
無礼が過ぎるはずなのに、
彼の態度には
人を不快にしない妙な才があった。
◆◆道すがら、猿と名乗る男は
さくらをおだてる。
「立派な刀ですなぁ!」
「いやいや、香りまで良いとは、
戦場に咲く牡丹でござる!」
好色か、と一瞬思うが、
いや――
それは単なる軽薄ではない。
人の心の調子を読む術の一部。
◆◆この男は、ただの口軽ではない。
さくらが歩く速度に合わせ、
距離を測り、
決して出過ぎず、
引っ込みすぎず、
相手が受け止められる
ぎりぎりの位置を
いつの間にか取っている。
(……この人、
人の間合いが分かっている)
軍で最も難しい技だ。
それを
無意識にやっている。
◆◆猿の由来
道すがら、
見物人や兵が声を掛ける。
「あぁ、猿組頭か!」
「相変わらず軽い口だな!」
そう――
この男は平民出。
農の息子で、
足軽から這い上がり、
今は足軽組頭だという。
身分と役職は低い。
だが、
ここは実力主義の国。
(それでも……
この器は低すぎる)
主君の前で感じた圧と覇気が、
形を変え、
この男からも漂っている。
猿は軽口を叩きながら、
しかし街の細やかな情報を
絶え間なく掬い上げていた。
「この家は侍の間でも上等ですな!」
「ほう、この道を選ばれますか。
なるほど、さくら殿は
匂いで風向きを読む御方と見た!」
(観察が早い)
(分析が速い)
(質問が習い性だ)
そして――
(それを楽しんでいる)
◆◆家に着く頃、
さくらは確信していた。
(この男の器……
足軽組頭の枠に収まりません)
言葉と態度は軽い。
だが、
目の奥が鋭い。
人を見る眼がある。
空気を読む才がある。
主君の構想を
本能で察する嗅覚がある。
(武将……
いや、家老)
(いや……
城主や国主すら超える器かもしれません)
さくらは瞬きした。
(この男……
主君と並ぶ器かもしれない)
◆◆その器を
猿自身が自覚していないところが
さらに恐ろしい。
彼は自分を小さく扱う。
軽口を利き、
卑下を装い、
人を笑わせる。
だがその裏で、
誰よりも国を動かす線を
見ている。
(器を隠して生きる才)
それは
主君とは性質の異なる、
しかし
同じ高さにある器。
◆◆家の前で猿が言う。
「さくら殿、
お家はここですぞ!」
くるりと振り返り、
唇の端を吊り上げる。
「良い家でござろう!
高禄の証!」
さくらは小さく返す。
「案内に感謝します」
猿は口元に笑みを刻む。
「某はこう見えて、
人材を見抜く目があるのですよ」
その言葉の裏に、
自分自身が
見抜かれるべき存在であることを
どこか理解している響きがあった。
さくらは家の敷居を跨ぎながら思う。
(この国……
統べる器が複数いる)
(面白い国に来ましたね)
その瞬間、
旅の疲れが
ほんの少しだけ
軽くなったように感じた。
屋敷の玄関先、
夕暮れの光が斜めに差し込む。
猿が「ここが住まいでござる」と
いつもの軽い調子で扇子を広げた瞬間、
さくらの声が
ふっと深みに落ちた。
> 「……猿殿」
猿の目がわずかに細まる。
この声色は軽口ではない。
さくらは
真正面から見つめて言った。
> 「私はあなたの事が
好きかもしれません」
一言の重みは
恋情のそれではない。
刃が刃を認めた瞬間の
“共鳴”の音。
> 「出来れば、
共に戦いたいものですね」
◆◆猿の反応
猿は瞬きもせず、
にやりともせず、
ただ――
静かに理解した。
この言葉は
女から男への好意などではない。
刃が刃を見つけ、
己に利益をもたらす可能性を
嗅ぎ取った時の言葉。
猿の額に浮かぶのは
照れでも高揚でもなく、
計算。
(……ほう)
(この女、噂通りではない)
(“私を使える存在”と見ている)
◆◆猿の本質
猿は愛の言葉を
色に染めて受け取るほど
浅い男ではない。
むしろ、
その言葉が
どう自分に利益をもたらすか
――そこしか見ていない。
> 「さくら殿が某を買うとは……
これは恐ろしいことになりそうですな」
軽口の裏で、
脳裏では計算が回っていく。
(この女は、国にとって刃)
(その刃が、私と共に戦いたいと言った)
(ならば――
私はこの刃を活かす枠を作る側に立つべきだ)
猿は人を
異性としてではなく、
役栽として見ている。
情に縋らず、
利を逃さず、
器を嗅ぎ分ける。
まさに、
この国を支える
主君と同じ種の人間。
◆◆猿の返答
すぐに膝を折るでもなく、
浮かれるでもなく、
利益が最大化する位置で
軽やかに言葉を返す。
「おや、さくら殿」
「某も──
あなたのような者と戦場を歩むことに
得を感じる男でござる」
「好いてもらえるなら、
利用させてもらえるなら──
なお良し」
笑みの形は柔らかいが、
瞳は冷静に燃える。
(この女を
一時の駒ではなく、
戦略の柱として扱うべき)
(だが同時に――
この女は私の脅威にもなる)
(扱い方を誤れば、
私が斬られる)
◆◆猿の才覚
この瞬間、
猿は結論を出していた。
> この刃は
主君のためだけでなく、
私自身の未来を押し上げる。
(さくら殿は
家臣ではなく――
国の資源)
(私とこの女が交われば、
勢は変わる)
◆◆そして、
猿は礼をもって答える。
「さくら殿」
「某を好いてくれるなら、
その言葉を
“仲間の印”として受け取っておきますぞ」
「いずれその言葉が
天下を動かす日が来るやもしれませんな」
語る声は軽い。
だがその裏で
猿は思っていた。
(この女は……
私の得になる)
(使い方さえ誤らなければ、
天下すらもその刃で切り拓ける)
さくらは
わずかに口元を緩めただけで
屋敷に入っていく。
猿は背を見送りながら
心の底で呟いた。
> (……良い駒を得た)
だが同時に、
> (いや──
駒になる可能性のある存在だ)
その判断をできる猿こそ、
この国のもう一つの怪物。
主君とさくら――
二つの刃の間で、
猿という第三の器が
静かに動き出し始めた。




