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街道を数日進み、

峠を越え、

川沿いを辿り、

村々を抜け──


ついに噂の地が

視界に広がった。


◆◆


城下は思いのほか明るく、

市場は人で賑わい、

農民は笑い、

職人は声を張り、

商いの手が絶えない。


戦国の世とは思えぬ温度。


(……活気がありますね)


さくらは足を止めず、

しかし歩調をわずかに緩めた。


市場の軒先、

子供が駆け回り、

母が叱り、

魚屋の声が風に乗る。


家々は粗末だが、

人の顔に沈んだ影はない。


(戦を知らぬ地ではないはず)


(それなのに……

市井が怯えていない)


(統治がある)


剣士の目で見ると

この活気こそ

“風を読む材料”になる。



◆◆人の動きと空気


ここでは

役人の監視の目も、

領主の顔色も感じない。


人が

自分の仕事をしている。


自分の時間を生きている。


(……これは

統治に“余白”を与える者の政治)


恐怖で押しつけられた国ではない。


たとえうつけと呼ばれていようとも

人が生きられる場所を作っている。


それは殿が持てなかった器。



◆◆心の中に鋭い線が引かれる


(この国は

腐っていませんね)


あの国には

勝利はあったが

匂っていたのは不信と恐怖。


ここには

敗北の跡もあるはずだが

生きようとする風が吹いている。


(うつけ、と……

本当に?)


(誰がそう言ったのです)



◆◆城下を歩くさくら


旅の者は珍しくないのか、

人々はちらりと見るだけ。


しかし、

背の大太刀を見た数人が

囁く。


「剣客だろうか」 「噂の……いや違うな」


畏怖か、興味か。

だが

怯えではない。


ここにも

刀が通る余地がある。


(悪くない)



◆◆一息の内省


さくらの胸に

言葉が落ちる。


> (器の匂いがします)




殿が失ったものが

ここにはある。


主君の器を測るのは

軍勢の大きさではない。


人が生きる空気。

その国で死んだ時に、

剣が誇りを持てるかどうか。


そしてそれは──

ここにはあるように見えた。



◆◆決意の進展


(この地を見極めましょう)


(本当に

噂の人物が器なのかどうか)


さくらは

城へ向けて歩き出す。


足取りは自然に軽い。


刃は

仕える主君を探す旅にある。


そして今、

その刃は

一つの可能性を嗅ぎつけていた。


市井の活気、

人の眼の光、

戦の匂いの薄さ。


(この国は

戦の余韻ではなく、

生の余韻で満ちている)


それは決して

“うつけの治める国”ではない。


それは

器のある者が治める国の

匂いだった。


城門前――

守兵は最初、

ただの旅の武者と思った。


だが一歩近づくごとに、

表情が変わる。


桃の匂いが風に乗って届き、

長い黒髪が艶やかに揺れ、


そして何より、

背中の巨大な大太刀に

兵の喉が鳴った。


「……あれは……」


女の身に、

重量で人が潰れるほどの刃。

さらに腰には太刀――

二本の怪物。


常識では考えられない。



◆◆


門番の侍が声をかけようとしたが、

近づくほどに

桃の匂いが濃くなる。


心が惑うほどの香気。

理性が揺れる。


しかし彼女は

その香りを武器だと思っていない。


ただ、

それを隠そうともしない。


「……何用だ」


硬い声で侍が問うと、

さくらは迷いなく答えた。


> 「仕官を望みます」




音の綺麗な声。

言葉は端的、

態度に一切の媚びがない。


その瞬間、侍の目が揺れた。


(この器……

ただ者ではない)


「あの刃……

おひとりで扱うのか」


侍が思わず漏らす。


さくらはあっさり返した。


> 「当然、私一人のものです」




迷いも誇張もなく、

ただ真実として言う。


その時点で、

孟の門の者は理解した。


この者は

“噂の剣客”の類ではなく――


国に影響をもたらす存在。


すぐに伝令が走り、

城の奥へ消えていく。



◆◆城内の反応


奥向きの侍たちが

ざわつき始めた。


「女だと?」 「大太刀を背負って?」 「桃の匂いがするらしい」


噂が階段を駆け上がり、

上役の耳へ届く。


> 《噂の鬼娘が来たのではないか》




という推測すら

誰かが口にした。


それほどの異質さだった。



◆◆さくらは門で待つ


城兵は

距離を取って立っていたが、

その視線は刺すほど強い。


武者としてではなく、

“試金石”を見るような視線。


さくらは構わない。


髪を束ね直すこともなく、

膝を折ることもない。


ただ、

静かに立っている。


(この城は……

空気が良い)


(兵の眼が濁っていません)


元の国では

殿の眼も兵の眼も

濁り始めていた。


(……期待しましょう。

もしも器があれば)



◆◆やがて門が開く


出迎えの侍が現れ、

深く一礼する。


「御前よりお招きがありました。

お通りください」


さくらは一礼も返さず、

ただ

大太刀の柄を軽く叩いて歩き出した。


その背中には

旅の埃と

決意と、


> 「仕官希望」

という

単なる言葉以上のものが

確かに乗っていた。




城の奥へ向かいながら、

さくらは淡く思う。


(この国に器の匂いがあるのなら――

私の刃は、

ここで息をするでしょう)


そして、

その歩みは

主君を見極める

剣そのものの歩みだった。

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