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――戦場の喧騒が
遠くでくぐもるように響く。
さくらと若侍は、
本陣から前線へ戻る途中の
細い道にいた。
旗の影、
足音、
鉄の匂い。
そのただ中で、
さくらは立ち止まり、
振り返った。
◆◆拒絶
彼女の声は
冷たく、
淡々と、
揺らぎなく落ちる。
> 「私に近づかないでください」
若侍は息を飲んだ。
「さくら殿──」
その言葉を
彼女の瞳が遮った。
> 「私は、
恩を仇で返した
あなたのことが嫌いです」
一切の情がない声。
戦場で味方の血を浴びつつ、
その言葉は氷より冷たい。
若侍は、
かつて見たどの刃よりも
深く刺された。
◆◆若侍の心
若侍は
膝を落とすほどの衝撃を受ける。
戦場の喧騒より、
敵の刃より、
この言葉が痛い。
彼は
さくらの背を守りたいと願った。
贖罪のつもりだった。
許されたいなど思っていない、
ただ役に立ちたかった。
しかし──
(……嫌われていたのか)
それは当然だと分かっていても、
刺す。
もはや“戦い”ではない。
“裁き”だ。
若侍は
地に手をつき、
絞り出す。
「……知っています」
「あなたの……
嫌悪も、軽蔑も、
当然です」
その声すら
さくらは振り返らない。
◆◆さくらの内面
(許さぬ)
(赦すことは
私が背負ってきた剣を
侮辱することになる)
鍛錬の汗も、
戦で死んだ者の名も、
侍としての線も──
踏みにじられた。
(あの無秩序こそ、
戦を腐らせる)
その男が、
赦しを求めずに
勝手に背に立つなど。
(それを許してしまえば
刃の理が崩れる)
だから、拒む。
**
◆◆さくらの言葉は続く
> 「私はあなたを
従者として必要としません」
> 「背を預ける気も
ありません」
> 「あなたが私の背を守る?
お笑いでしょう」
その言葉は
若侍の顔を地に押し付ける。
> 「あなたのせいで、
私の一分は汚れた」
「その事実は
消えません」
若侍の拳が震えた。
◆◆若侍の返答
彼は
顔を上げずに言った。
「……それでも」
「あなたが
戦場に立つ限り──」
「私は影として
地を這ってでも
ついていきます」
「嫌われても、
軽蔑されても」
「影には
光の許しは必要ない」
その言葉に
さくらは一瞬だけ
目を細めた。
内心で、
殿の思惑を見透かす。
(殿は……
私に“嫌いなものを抱えて進め”
と言っている)
(それは剣より重い罰)
◆◆さくらの最後の拒絶
振り向かず、
ただ言う。
> 「ならば勝手に
影でいなさい」
「ただし──」
大太刀の柄が鳴る。
> 「私の視界に入った瞬間、
あなたを斬ります」
若侍は
その言葉に頭を下げた。
「……承知」
◆◆その背中
さくらは歩き出す。
背は大きく、
迷いなく、
拒絶のあとに
毅然と立っている。
若侍は
距離を保って続く。
その距離は
赦されていない印。
彼女は
背中で告げている。
お前は戦力ではない。
お前は罰だ。
風が強く吹き、
二人の影が細長く伸びる。
戦場に戻るその背は
剣より鋭い線を描いていた。
さくらの戦は進む。
影は、嫌われながら
その背を追う。
――この関係は
戦の中でしか
続けられない。
――戦場へ戻る道。
騎馬も兵の喧騒も、
桃の匂いを含んだ風も、
さくらには遠く感じられた。
背後に影が一つ。
自らが嫌悪し拒絶した存在。
そして──
その影を背負わせた殿の存在が
胸の奥を冷たく揺らしていた。
◆◆
(腐木は彫るべからず──)
さくらの内に
古訓の響きが走る。
> 無価値のものを磨き、
時をかけても、
人は作れない。
さくらが見捨てた若侍を
殿は
「使え」
と言った。
それは命令ではなく、
重荷だった。
戦の理を守る者に、
泥のかたまりを握らせてくる。
(殿は私の刃を
ただ使うだけの者ではないと
思っていましたが──)
(……見誤ったのでしょうか)
さくらは
胸の内で静かに言葉を結ぶ。
> 使えるべき主君を
間違えたのかもしれません。
◆◆彼女の視点は冷えていく
殿が戦を見抜く眼を持つことは
疑っていない。
だがその知恵が
人を使う理にまで
及んでいないのなら──
それは欠陥だ。
(無秩序も、
背徳も、
侍道を踏み外した者も──)
殿が赦し、
彼女に抱えさせた。
(……私の刃は
そんな濁りを
背負うためのものではない)
◆◆若侍は無言で続く
距離を保ち、
決して近づかない。
その在り様が、
余計にさくらを苛立たせた。
(殿は、
罰を与えた者よりも
罰を被る者の苦しみを
理解していない)
(侍の堕落の臭いを
私の背で消せと?)
(殿は
私を信じての決断と思ったが──
違いますね)
さくらの足取りが
わずかに硬くなる。
◆◆戦場が再び視界に現れる
槍の列、
斬り結ぶ音、
叫び声。
だが
さくらの戦意は
以前とは違う温度になっていた。
(私を刃と見るのなら──
刃を汚してはなりません)
殿の命であろうと、
理を曲げることは
さくらの心にとって“腐り”だった。
(主君が
私の戦を見誤るのであれば──
私もまた、その主君を
見限る日が来るかもしれません)
大太刀が肩で鳴る。
(戦は戦の理がある)
(人の情や赦しで
戦の軸を歪ませることほど
愚かはありません)
◆◆そして内なる決意
敵軍が再び体勢を整えている。
戦は続く。
それなのに、
さくらの胸の奥で
もう一つの戦が始まっていた。
殿への疑念。
忠誠の揺らぎ。
刃として扱われることへの拒絶。
(殿──
私を立てるなら、
刃として扱い、
禍を背負わせるな)
(それができない主君なら、
“腐木”です)
(腐木は彫らぬ。
私は刃だから)
さくらの内心は
戦場に戻りながら揺れていた。




