35
――夜が均され、
山の闇が溶けた翌朝。
風は、
まるで何かを告げようとしているように
落ち着かず揺れていた。
◆◆城下の動き
城門が開き、
兵が整列し始める。
だがその歩みは重い。
昨日までとは違う戦――
“暗殺の影が消えた後の、
真正面の戦”が待っている。
軍勢の先頭に、
ただ一人の女が立っている。
黒髪、
巨大な刃、
揺らぎのない背。
さくら。
城下の民は
恐れよりも
別の感情を抱いていた。
(鬼ではない)
(戦そのものが歩いている)
祈る者、
息を止める者、
立ち尽くす者。
その背が動くだけで、
空気が変わる。
◆◆殿の宣戦布告
殿は城楼に立ち、
扇をひるがえした。
兵・民・諸将すべてが
その声を待っている。
「乱は斬られた」
沈黙。
「ならば――
戦を始めよう」
鼓が鳴る。
法螺が響く。
城下が震える。
殿が続ける。
「この戦は
国を押し広げるための戦ではない」
「均すための戦だ」
その言葉に
誰も理解を追いつけない。
だが、
一人だけ空を見た女は
理解していた。
(殿は……
戦の本質を掴んでいる)
(奪うのではなく、
整える戦)
◆◆敵勢の動き
周辺国は
暗殺策が潰えたと知りながら、
進むしかなかった。
二国の混乱は収束せず、
三国の残党は疑心で裂け、
第四の国は
恐怖で動けなくなっていた。
そこへ――
一国だけが
明確な意思を持ち、
軍を進めてきた。
「殿自ら軍を率いるのか――!?」
周辺国の将が驚く。
軍師が震える声で言う。
「戦を避けた国から
先に飲まれる……!」
◆◆戦野へ
草原が広がり、
霧が晴れる。
さくらは
殿の馬前を歩く形で
軍の先端に立った。
兵は彼女より後ろにいる。
誰も、
彼女の前へ出られない。
殿はその背を眺めて
微かに笑う。
(刃は、人の前を歩かねばならない)
(それが“軍勢”という形だ)
◆◆敵軍の陣幕
敵軍の将は
混乱しながらも
陣を敷く。
「……戦か?
暗殺ではなく?」
「鬼娘が……
戦場に……?」
その噂は
兵の心を崩し始める。
敵軍の軍師は
痩せた声で言う。
「逃げても飲まれる、
戦っても死ぬ」
「ならば……
戦わねばならぬ」
その言葉に
兵は刀を握るが――
手が震えている。
◆◆開戦の瞬間
風が動いた。
さくらは歩き出す。
殿の声が
背中に届く。
「均せ」
その一言だけ。
女は頷かない。
返事もない。
ただ――
歩みが、戦を押し出す。
敵軍の前衛が
震えながら突撃する。
さくらは
刀を抜かない。
風が切れる。
兵が弾き飛ぶ。
刃が触れていない。
敵将が叫ぶ。
「い、意味が分からん!」
軍師が答える。
「鬼娘は戦を……
終わらせようとしている……」
◆◆殿の戦略
殿は馬上で見ていた。
涙のような声で
家老が呟く。
「殿……
これは……
勝つための戦ではなく……?」
殿は扇を開いた。
「戦を整え、
国々の形を決める戦だ」
「刃を向ける者と、
刃の資格を失う者を
選り分ける」
「国が存続する形を
整える戦だ」
家老の背筋が震えた。
(殿は……
国を変えるのではなく、
戦という概念を変えようとしている)
◆◆さくらの戦い
大太刀がついに抜かれた。
その刃は
敵兵の列を断つ――
が、
血が舞わない。
兵の鎧ごと
地に押し倒され、
息が奪われるだけ。
殺さない。
ただ、
戦の形だけを
選別する。
敵兵は悟った。
(……殺されないのではなく、
戦場から降ろされるのだ)
◆◆決着の兆し
敵軍の旗が揺れ、
指揮が崩れる。
逃亡もできず、
突撃もできず、
ただ均される。
戦が終わる予兆。
殿は言う。
「これで良い」
「戦は勝つものではない」
「戦は“形を作り直すもの”だ」
彼は扇を閉じ、
不敵に笑う。
「国々が
これを理解した時――」
「戦国は終わる」
◆◆さくら、戦場の真ん中で立ち止まる
風を嗅いだ。
(……終わりが近づいていますね)
(でも、まだ一つ――
大きな乱が残っている)
そう呟き、
大太刀を肩に乗せる。
遠く、
別の方角の風が
唸るように吹いてくる。
まだ終われない。
誰かが、
戦の最後を拒んでいる。
さくらの影が動く。
――均しの次は終焉。
次の風が彼女を呼んでいた。
――風向きが変わった。
小国や亡国の断末魔ではない。
混乱の残り香でもない。
大きな国が息を吸う時の風。
大地が軋む前触れ。
◆◆
戦場で均された二国が沈黙した頃、
遠く――
山々の向こうの大勢力が
ざわめきを始めていた。
「あの鬼娘が、
国境を均したらしい」
「殿という男が、
戦を概念から捉え直していると?」
「その国の刃は……
戦そのものか?」
城郭の中で
武将や軍師たちが
それぞれ別の答えを出していた。
恐怖、興味、計算、機会。
巨大な国は
小国の滅亡を餌と見ていたが、
その餌を喰った先に座っていたのが
鬼娘だった――
そう知った瞬間、
認識が変わった。
「これは――
侵略ではなく均しだ」
「ならば、
均すものを均さねばならぬ」
巨大勢力が、
戦に参加する口実を得た。
◆◆
別の国では
もっと素直な反応だった。
「鬼女一人に
戦が止められるなら、
それはもはや神の類」
「神を討てば、
我らの世になる」
愚かとも言える
傲慢と慢心。
だが――
そういう国ほど
軍勢が大きく、
人が多く、
そして戦を選ぶ。
◆◆
さらに別の国では
密談が交錯する。
「鬼娘が戦を整えた。
つまり――
今なら大国同士が潰し合える」
「踊らせよ。
小国の刃など、
いずれ折れる」
この国は
戦を道具としか見ない。
それすらも
さくらが嫌う類の乱。
◆◆
◆◆城に届く報
殿のいる城に、
次の風が届いた。
報告が重なり、
地図の線が赤く染まる。
小国の争いではない。
列強が動き始めた。
家老が蒼白になって言う。
「殿、
一国では対処できません!」
「敵は四つ――
中枢の二国、
周辺の一国、
そして南方の巨大軍勢まで……!」
殿は扇を広げた。
「面白い」
家老が思わず声を荒げる。
「国が滅びますぞ!」
殿は笑った。
「戦国が終わるには、
どこかが滅ぶ必要がある」
「それが我か、
奴らかは――
戦が決める」
殿が目を向ける先には、
ただ一つの背。
巨大な刃を背負い、
草野の風を纏った女。
「さくら」
殿は囁くように言う。
「今度は
戦を終わらせよ」
さくらは振り返らない。
ただ、
軽い吐息だけを返す。
(……あれらは
全て乱と呼ぶべき相手ではありません)
(戦の名を借りた
欲そのもの)
(ならば、
斬るべきは
戦ではなく――
欲)
大太刀の柄に手が置かれる。
「殿、
戦の前に一つ」
殿が扇を止める。
「申せ」
さくらは静かに言う。
「刃を砥がせてください。
此度の相手は……
刃が鈍ければ
戦では足りません」
殿は目を細める。
「砥げ」
「そして――
この国の刃そのものを
見せてやれ」
◆◆
◆◆刃を整える場
鍛冶場が静まり返る。
先日鍛えた大太刀に
砥石が当てられる音。
刃に映るのは、
自分の顔でも、
戦場でもない。
国の未来そのもの。
鍛冶師は震えながら言った。
「……この刃は……
戦を終わらせるために――?」
さくらは答えない。
だが、
一滴の油が刃に落ちた。
それは祈りではなく、
決意だった。
「来ます」
鍛冶場の窓が揺れた。
砥ぎ終わった刃は
音なく光る。
◆◆
戦国の世が
一つの地方の覇者誕生の舞台を整えた。
巨大勢力たちも、
さくらも、
殿も、
風も――
同じ一点に向かって
歩き始めていた。
(この戦は……
最後の戦)
(そして最初の戦)
さくらは大太刀を背負い、
空を見上げる。
風が応える。
――終わりの戦が
始まる。




