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――乱を均した村を離れて

山の尾根に出た時、

風が変わった。


鉄の匂いではない。

焼け跡の匂いでもない。


――企みの匂い。



◆敵国の密議・夜


暗く閉ざされた部屋。

蝋燭がひとつ。


そこに並ぶのは、

三国同盟の残党と密偵たち。


「斬っても止まらぬ鬼娘」

「戦を終わらせてしまう刃」


彼らはついに悟っていた。


――直接戦っても

勝てない。


ならば、

戦を動かす者――


殿を断つ以外ない。


軍師が静かに図を広げる。


「殿は外に出ない。

ならば“殿を外に出す策”が必要だ」


密偵が囁く。


「城下に火をつければ、

出てこざるを得ない」


だが老臣が首を振る。


「鬼娘が動くだけだ」


沈黙。


別の策が置かれる。


「殿は戦を喜ぶ。

戦を呼び込めば、

城外へ御座を移す」


軍師が扇を打つ。


「偽の敵軍を派遣し、

殿を誘い出す」


「その時――

伏兵で討つ」


机の上に、

簡潔で醜い策が置かれた。


殿の命を

釣り出す餌。


鬼娘を

戦場から切り離す策略。


交わる視線が

冷たい決意を映す。


この密議が

戦の炎に油を注ぎ始めた。



◆同じ頃、山上のさくら


風が舌先を撫でていく。


(……殿を狙う匂い)


彼女は立ち止まった。


暗殺の策など

形になる前から、

戦の女には匂う。


“戦が動くのではなく、

人の欲が動く匂い”。


その違いは

嫌になるほど明確だった。


さくらは空を見上げる。


(殿が狙われている)


怒りではない。


忠誠でもない。


それは――

刃の理が乱されることへの拒絶。


(戦を操る者を

暗がりで切り倒すなど、

戦の理に反します)


さくらはゆっくり歩き出す。


殿を守りたいからではない。


彼女は、

戦が“正しく流れる”ことを

望むだけだ。


(暗殺は戦の破壊です)


(……均しましょう)


風が返事をしたように吹いた。



◆城


殿は評定の場で

笑みを浮かべていた。


「敵国が乱れ、

互いを切り合っているか」


家老が報を述べる。


「しかし殿……

不穏な動きも見えます」


殿はあっさり言った。


「構わぬ。

乱が生まれるなら、

均しに来る者がいる」


その意味を

誰も理解できない。


だが殿だけは

知っていた。


――あの女は

戦だけでなく、

“乱”を嗅ぐ。


その存在を

殿は愉しんでいた。


「来るがいい。

乱を見せよ」


扇を鳴らす。


その瞬間――


廊下の影が動いた。


さくらの背が現れる。


濡れた山風を纏い、

門の外の影のように。


殿は目を細める。


「早かったな」


さくらは言った。


「殿、狙われています」


扇が止まる。


側侍たちが身構える。


殿は、

笑うように息を吐いた。


「やはり来たか」


「均す気か」


さくらの瞳が

凪いでいた。


「戦の外で流れる刃は、

戦の女が断ちます」


殿の口角が

わずかに上がる。


「……行け」


「その乱は、

そなたの刃で止めよ」



◆さくらの出陣


夜の城下。


灯火の中、

影が進む。


民が目をそらす。

犬が鳴けない。


桃の香が夜気に混ざり、

不穏の匂いが消えていく。


(この夜に

戦はない)


(あるのは、

乱の刃だけ)


それなら――

斬るのは人ではなく、

乱の根。


さくらは

山に向かい、

闇に向かい、

企みの中心へと進んだ。


風は囁いた。


――戦の女が

人の陰謀を狩りに行く夜。


そしてその夜は、

戦以上の血を

必要とするだろう。


――夜は深く、

山の木々が風の方向を誤魔化す。


その奥――

焚き火の小さな灯りが揺れていた。


◆◆暗殺者の待伏


精鋭の武士たちが

闇色の小札鎧を身に纏い、

息を潜める。


指揮役の軍師が低く言う。


「殿が城を出るはずだ。

その時を狙え」


「鬼娘は戦に向かって歩く。

殿の夜間の移動には

気づかぬはず」


攻め手が口を歪める。


「鬼娘は戦の神か?

所詮は女だ」


軍師が釘を刺す。


「侮るな。

斬り合うな。

我らの狙いは殿だ」


武士たちは頷き、

刃を研ぎ澄ます音が

闇に吸い込まれた。


誰一人、

風の変化に気づいていない。



◆◆さくら到着


その風の方向を

ただひとり察していた女が

闇の中に立つ。


岩影に足を止め、

月の薄光に浮かぶ黒髪。


桃の香は

夜露と混じって柔らかいが――

その奥に鉄の匂いがある。


(……ここですね)


刀を抜く必要はない。


歩くだけで足元の草がしなる。



◆◆闇の中の邂逅


暗殺者の一人が

気配に気づき、振り返った。


「ん………?」


その問いは

声にならなかった。


さくらがすでに

すぐ背後にいた。


軍師が叫ぶ。


「誰だ――!」


その声に答えたのは

焚き火の揺らぎを裂く女の声。


「殿は動きません」


暗殺者たちが振り返る。


そこに殿はいなかった。


そこに立っているのは

――巨刃を背負う女。


「乱の刃を断ちに来ました」


軍師が声を震わせる。


「鬼娘……!」


「お前は戦に赴いたはず……

なぜここに……!」


さくらは言った。


「戦が乱れる前に、

乱は斬られねばなりません」


太刀がわずかに揺れた。


暗殺者たちは

抜刀しようとする――

が、


振り上げた瞬間、

手が震えた。


(なぜ動けない――?)


(なぜ切りかかれない――?)


女の瞳が

彼らを見つめていたからだ。


その目は、

敵を見る目ではない。


“戦を壊す者を

値踏みする目”。



軍師が叫んだ。


「逃げろ!!

この女は……

殺すために来ていない!」


さくらは歩み出る。


「殺しません」


暗殺者たちが凍りつく。


「戦は命と命の上に成り立つもの」


「陰で削る刃は、

戦を腐らせます」


太刀が抜かれた。


鋭い音がしない。

ただ、空気が切れた。


「だから――」


その夜、

闇の中で

斬られたのは人でも首でもない。


刀だった。


暗殺者の刃が、

一本ずつ落ちていく。


研ぎ上げられた暗殺の刀が

全て根元から潰される。


軍師の叫びが漏れる。


「刃を……

断たれた……!」



さくらは太刀を納める。


「刀を振る資格を

奪いました」


軍師の膝が折れる。


「鬼娘……

いや……

戦そのものよ……」


さくらは立ち去ろうとし、

一度だけ振り返る。


「殿を狙うのは構いません」


軍師たちが息を呑む。


「ただ――

刃で、戦場で、

堂々とおいでなさい」


その言葉の意味を、

暗殺者たちは理解できない。


だが軍師だけが

震えた声で呟く。


「……それが……

戦の理か」


さくらは夜に消えた。



◆◆夜明け


風が変わった。

暗殺の匂いが消え、

戦の匂いが戻る。


城壁の上で、

殿が空を見ていた。


「夜が整ったか」


さくらが戻った報を

聞いたわけではない。


ただ――

“乱が斬られた匂い”を

嗅いでいた。


家老が問う。


「殿、いまの戦は

どう運べばよろしいのでしょう?」


殿は微笑む。


「まずは、

戦として存在させねばならん」


「暗い刃は、

あの女が嫌う」


殿は扇をひるがえした。


「ならば、

我らは堂々と軍を起こす」


「乱ではなく、

戦を始めよう」


その瞬間、

風が城を抜け、

女の背へと吹いた。


――戦はまた歩き始める。

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