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27.歩く戦

――霧が割れるたび、

戦の輪郭が変わっていく。


倒れた兵の間を、

さくらは歩いていた。


走らない。

追わない。

躊躇わない。


戦は歩いて進むものだと、

彼女だけが知っている。



封殺連合の前衛は崩れ、

中衛は散り、

残ったのは――

本陣だけ。


陣幕の向こう、

将たちの怒号が風に混じっている。


「下がるな!」

「結界隊を再配置!」

「距離を取れ、距離を――!」


その命令はすでに意味を失っていた。


距離とは、

刃が決めるものだ。


戦いが始まった時点で、

距離も陣形も

すべて崩れていた。



陣幕の前、

三国からなる連合軍の重臣が

必死に軍勢を立て直す。


「このすぐ後ろは本陣だ!

ここで止めねば――!」


その声の先、

霧を裂いて影が現れた。


黒。


刀の影。

髪の影。

人の形をしているものの影。


兵が弓を引き絞る。

祈りを口にする。


矢は放たれ、

呪符が舞う。


さくらは歩く。


矢は落ち、

呪符は燃えないまま灰へ崩れる。


「……なぜ……

届かない……?」


戦の理が、

この女の周囲では

役割を失う。


彼女自身が理だからだ。



本陣の将が震える声を上げた。


「囲め!

槍を前へ――!」


槍兵たちは恐怖を押し殺し、

列を作る。


さくらは立ち止まり、

大太刀の柄に手を置く。


風が止まる。


槍兵が、

その静寂に耐えられず叫んだ。


「来い!!」


さくらは首をわずかに傾けた。


「来いと言われましたので――」


片手で大太刀を抜く。


音はなかった。


刃が空気を押すだけ。


一歩。


振る。


――槍列は、

まるで乾いた枝だった。


切っ先も、槍も、腕も、

抵抗したという痕跡すら残さず、

静かに落ちた。


叫びもない。

断末魔もない。


ただ、

“存在が否定された”だけ。


本陣の兵が崩れた。


指揮官が呟く。


「……鬼神だ……」


さくらは答えない。


彼女の興味は、

恐怖の言葉ではない。


刃の、

まだ汚れていない部分だった。


「まだ切れますね」



本陣へ近づく。


幕の向こうに

連合軍の将がいる。


術者、軍師、老将、

そして――

大名暗殺策の策士たち。


兵が叫ぶ。


「退け!!

陣幕を下ろせ!!」


幕が下りた瞬間、

風がその布を裂いた。


刃は触れていない。

風の方が裂きたがったのだ。


さくらは幕を潜る。


中には、

戦を止めたい者たちがいた。


彼らは剣を抜けない。

震えている。


策士の一人が

震えながら叫んだ。


「女……!

おまえを止めねば、

我らの国が……!」


さくらは歩みを止めず、

その間に答えた。


「国は、

戦を捨てたから滅ぶのです」


大太刀の影が、

本陣を覆う。


策士が膝をつく。


その刃は振られない。

ただ近づくだけで、

本陣の意志が割れる。


連合軍の中心は崩れた。


老将が呆然と呟く。


「戦とは……

戦いたい者が握るもの……

我らは……

戦を拒んだ時点で……

敗れたのか」


さくらはその言葉を拾うように言う。


「ええ。

だからあなた方は、

戦場に立つ資格を持ちません」


大太刀が音もなく肩に乗せられる。


「ここからは、

戦が進みます」


彼女は本陣へ背を向けた。


刃は血を求めず、

戦そのものが動く方向へ向かう。


本陣の将たちは倒れ込む。

討たれたのではなく――

戦の資格を奪われた。


さくらは霧の奥へ歩く。


まだ終わりではない。

まだ戦は広がっている。


戦いを拒んだ国を、

戦う国が飲み込む。


そしてその中心には、

歩く戦――

さくらがいた。



---


――殿の間。


襖が荒々しく開かれ、

急使が膝を割った。


「報――!」


息が乱れている。

声も乱れている。


「敵国連合――

本陣破れました!」


家老が扇を落とした。

側侍が言葉を失い立ち尽くす。


殿はゆっくりと

茶碗を置いた。


「……そうか」


急使は続ける。


「前衛は一刻で壊滅、

中衛は逃散、

本陣、裂かれ……

跡形も――」


その声が震えた。


「戦ったという痕跡もございません」


殿の目が、

ほんの少し細まる。


(戦った痕跡がない――

つまり戦は存在しなかった)


扇をひらりと鳴らす。


「連合は、

最初から戦に参加していなかった」


その言葉の意味を

誰も理解できない。


「戦を拒む国が、

戦の目の前に立っていた」


「それは戦ではなく、

処理だ」


殿は立ち上がる。


障子を押し開け、

遠く、まだ見えぬ戦場の空を眺める。


風が城に届いた。

そこには鉄の香も土の香もない。


ただ――

“戦が移動した”匂い。


殿は小さく笑った。


「――あの女は、

戦を歩かせたか」


側侍が震えながら問う。


「殿……

この戦は、

もはや国と国の争いではないのでは?」


殿は扇で空を指す。


「国と国の争いではなかった時代に

戻っただけだ」


「強き者が風を決める。

弱き者が風を吸う」


そして、

殿の声は低く、静かに笑った。


「戦を拒んだ国々は、

風を吸おうともしなかった」


「だから飲まれた」


家老は唇を噛む。


「殿……

本陣崩壊は

三国同盟の終わりを意味します」


殿は首を振る。


「違う」


扇を閉じ、

言葉を落とす。


「それは、

戦国という時代の終わりだ」


側侍が息を呑む。


「殿は……

覇を取るおつもりで」


殿はあっさり答える。


「覇など取らん」


扇が風を切る。


「覇がわしを取るのだ」


その表情には、

恐れも迷いもない。


ただ――

己の役割を悟った者の目。


殿は命じる。


「軍を下げるな。

次を飲み込む準備をせよ」


「戦は止まらん。

あの女の歩みが止まらん限り」


殿は障子を閉じた。


その背に家老は震えた。


(殿は……

鬼娘を道具ではなく

“時代そのもの”と見ている)


殿は座に戻り、

茶碗を手に取る。


静かに、

しかし確信をもって呟いた。


「戦の神は、

歩き始めた」


その声は、

軽荘で、

恐ろしく穏やかだった。

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