23.新時代
――封印場。
術は崩された。
祈りは砕かれた。
その瞬間、
陰陽師たちの心は
戦い方そのものを失った。
呪が機能しない世界、
信じてきた理が
一息で否定された場所。
僧兵が鐘を握りしめたまま、
膝をつく。
「……なぜ……
働かぬ……」
陰陽師は呪符を掴み、
爪が食い込むほど握る。
「この符は……
火雷の式も、結界も……
城も、人も守った……
なぜ……
なぜだけ……!」
彼らは理解できない。
人なら死ぬ。
心でも祓える。
理でも押せる。
だが――
戦そのものに呪は通じない。
その答えが、
足音とともに迫っていた。
石畳を踏む檜の下駄、
鋼の帯、
長い黒髪が風を裂く。
背後から迫る影。
振り返るより先に、
陰陽師たちはその存在を
嗅いでしまった。
桃の香と鉄の匂いの混ざった、
人ではない戦気。
――さくら。
背の大太刀を抜きつつ歩く。
陰陽師たちの視界の端で、
影が伸びる。
墨のような長さ。
人の背丈を超える刃の影。
恐怖は言葉ではなく、
理の崩壊として胸に落ちた。
僧兵が叫ぶ。
「逃げろ!!
術では止められぬ!」
最初の陰陽師が駆け出した。
呪符を撒き散らして。
次の者は、
術者としての誇りを叫ぶ。
「逃げるな!
術を……」
紙札が手から落ち、
彼は膝を折った。
声は震えていた。
「……術が……
私の中で……
死んでいる……」
信仰が折れた音がした。
陰陽師たちは散り散りに逃げた。
誰も振り返らない。
術の無力を見せつけられた者には、
戦い方がないのだから。
だが――
風が語った。
逃げ切れない、と。
さくらは追うでもなく、
歩く。
大太刀を片手で持ち、
地面につけず、
血を欲しがらず、
ただ歩く。
逃げ惑う陰陽師たちの背へ
その影は伸びる。
「まじないは、
戦を止められません」
湯気も吐息もない声が届いた。
「あなた達が崇めた理は、
戦を前提にしているから」
大太刀の切っ先が
わずかに上がる。
「私は武士として、
その前提を許しません」
刃は振られていない。
だが逃げる者たちの心は
切られた。
膝が抜け、
祈祷師が倒れる。
僧兵の胸鉦が
石に転がり音を立てる。
同僚が背を掴み、
逃げようとするが――
足がもつれる。
地面が滑るのではない。
“意志”が斬られている。
陰陽師は気づいた。
(……この女は……
命を斬るのではない……
戦い方そのものを……)
さくらの影が迫る。
大太刀が肩に乗り、
黒髪が揺れ、
目が陰陽師たちを見ていない。
“戦を見ている”。
逃げ惑う者たちが
その事実に絶望する。
(私たちは
敵と見られてもいない……)
いちばん遅れて逃げた陰陽師が、
振り返ってしまった。
影が迫る。
大太刀が構えられ――
しかし振り下ろされない。
さくらは静かに言った。
「術の役目は、
人を生かすことです」
陰陽師の膝が崩れた。
「その力が
命を削り、
戦を増やすなら――」
さくらは通り過ぎる。
彼女の影だけが
陰陽師たちの上を
深い闇のように覆った。
「刃の方が、
まだ正直です」
陰陽師たちは地に伏し、
泣いた。
戦いから逃げたのではない。
信じた理から逃げたのだ。
封印場は崩れ、
術者たちは散り、
祈りは沈黙した。
その中を、
大太刀の影だけが進む。
刃の理が
まじないの理を
静かに踏み潰した音がした。
---
――城。
午後の光は薄い。
まるで空気そのものが
怯えているかのようだった。
急使が駆け込み、
殿の前に膝をつく。
「報!
敵国の封印陣――
崩壊しました!
陰陽師、僧兵ともに潰走!」
家老が息を呑む。
側侍が扇を止める。
殿は、
茶を飲みかけたまま
一瞬目を閉じ――
「……そうであろうな」
その声は
驚きでも安堵でもない。
予定通り
という色。
急使は震えながら報告を続ける。
「結界は無音で崩壊。
術者らは逃亡。
鬼娘が――
封じの陣形内を進んだだけで
儀は止まったとのこと……」
殿は扇を閉じる。
「鬼神が歩けば山が避ける。
儀が耐えられるはずがない」
家老が恐る恐る問う。
「殿……
これは国の理が揺らぎます。
あの者は規格外すぎる」
殿は笑った。
「規格外だからこそ良い」
家老は唇を噛む。
殿は立ち上がり、
窓を押し開ける。
風が戻っている。
もはや朝の重さはない。
「……面白い」
殿の目が
遠くの山を捉えていた。
「封じて戦を止めようとした国は
自ら“戦を捨てる意思”を見せた」
側侍が震えるように言う。
「それはつまり……」
殿は答える。
「この国が、戦を支配したということだ」
扇が開く。
「周辺国は
戦を恐れ、
戦を拒み、
戦を捨て始めた」
「ならば戦は
わしのものだ」
家老が息を呑む。
殿の野心は
もはや領土争いではない。
戦そのものの覇権。
殿は呟いた。
「鬼娘が刃を得た時、
国が刃を得た」
「こうなったら、
周辺国は膝をつく」
「飲み込める」
その言葉は、
噂でも願望でもない。
確信。
殿は扇を鳴らし、
命じた。
「諸侯へ触れを出せ。
周辺国へ進軍準備」
側侍が慌てて問う。
「殿、
敵が和睦や降伏を申し出たら――」
殿は笑う。
「戦を望まぬ者へ戦を与えるのは、
覇者がすることだ」
その笑みには、
恐れたまま狂気の輝きを帯びた。
「鬼娘が戦を斬り、
国が戦を運ぶ」
「戦国は終わる。
わしが終わらせる」
「そして、
わしが作る。」
扇が閉じられた。
「新しい時代を」
側侍と家老は、
その背に戦慄した。
欲望が言葉になり、
現実を動かし始めた瞬間だった。
殿の影は長く伸び、
城壁にまで届く。
それは、
国の影が広がり始めたことを
象徴していた。
――周辺国を飲み込む野心。
鬼娘ではなく、
戦国の覇者が
ここで生まれた。




