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20.女と刃

――敵国:軍議。

灯火は揺れ、視線は沈み、空気は濁った水のように停滞していた。


すでに“勝つ方法”ではなく、

“どう生き残るか”を話す場になっていた。


若武将が声を荒げる。


「討伐は……

討伐はもう無理だ!

矢が通じぬ相手に

どう戦えというのだ!」


別の将が叫ぶ。


「ならば百人で囲めば――」


老臣が首を振る。


「百人で囲めば、

百人が紙にされるだけだ」


沈黙。


「では……

どうする」


答えは誰も持たない。

だがひとり、

痩せた武僧が口を開いた。


「――討伐ではなく、封ずるのです」


将たちが振り返る。


「封じる?」


武僧は指で空をなぞる。


「鬼娘は刃を得て

鬼神の相を帯びた。

ならば討つのではなく――

祟りとして縛る」


老臣が息を呑む。


「戦を避けたいのに……

戦を呼ぶ女。

その力の源が戦であるなら、

戦の流れを断つしかない」


武僧は続ける。


「領地を奪うのではなく、

戦の理由を奪うのです」


将たちは混乱する。


「どうやって……

そんなものを……」


「敵が戦を起こす前に、

降伏するのです」


部屋が割れたようにざわつく。


「降伏!?

愚策だ!」


「国が滅びる!」


老臣は扇を閉じる。


「国よりも先に、

戦の構造が滅びるのだ。

鬼娘はそれを体現している」


武僧は囁く。


「戦が彼女を育てている。

ならば戦を捨てるしかない」


その提案は、

戦国の全否定だった。


だが――

誰もそれを嘲笑できなかった。


恐怖が

理を凌駕していた。



---


◆城:殿の間


崩壊の報が届いたのは夕刻だった。


急使の言葉は端的。


「鬼娘、

矢を掴み、

五人を一振りで斬り、

敵軍――崩壊」


殿は庭へ出る。


夕陽が砂利を赤く染める中で、

殿は薄く笑った。


「――刃が血を覚えたか」


家老は沈痛な面持ちで言う。


「殿……

このままでは、

家臣の不満と畏怖が大きくなります」


「良いではないか」


殿は答える。


「畏れは秩序を作る。

それが理解できぬ者から

崩れていけばいい」


側侍が呟く。


「殿……

敵が戦を避け、

領土を渡しても構わぬと言い始めております」


殿の扇が止まる。


「……面白い」


「戦が怖いなら、

戦を捨てる……か」


その提案は、

殿にとってただの敗北ではない。


“戦を奪われる恐怖”。


殿は静かに立ち上がる。


「ならば、

我らが戦を与えよう」


家老が血の気を失う。


「殿、それは――」


殿は扇を閉じる。


「戦を恐れる国ほど、

戦に弱い」


「ならば戦を仕掛けるのが

最も賢い」


夕陽が殿の影を伸ばす。


殿は呟いた。


「鬼娘は刃だ。

刃は使ってこそ意味がある」


風が城壁を抜ける。


「戦を望まぬ国へ戦を運べ。

――あの女を先頭に」


その言葉は

宣戦布告であり、


同時に、

鬼神を放つ宣言でもあった。


誰も止められない。


戦が起きるのではなく、

戦が“使われる”。


それがこの国の

新しい政。



敵国は封印を考え、

この国は戦を仕掛ける。


そして中央には――

長い黒髪と二枚の刃を揺らす、

人外の鬼娘がいた。


---


――殿の間。

薄い障子越しに、戦支度の音が遠く聞こえる。


殿は座に腰掛け、

庭の松を眺めていた。


家老が遠慮がちに口を開く。


「……殿。

鬼娘への処遇、

家中は未だざわついております」


殿は扇をひらりと動かした。


「ざわつく者は、

変化に置いていかれた者だけだ」


家老は沈黙する。

殿はそれ以上言葉を求められず、

庭に目を戻す。


風が吹き、

松葉が擦れる音がした。


そして、

殿は誰に聞かせるでもなく

ゆっくりと言った。


「……よかったな」


家老が顔を上げる。


「何が、でございますか」


殿は扇を口元へ寄せた。


「わしが――

あの娘を女にしようとしなかったことだ」


家老は言葉を失う。


殿は静かに笑い、

その笑いは冗談めいているのに、

底に冷たい現実がある。


「わしが、

欲望であやつを屈しようとしていたら……」


殿はそこで止まった。

想像が先に走ったのだ。


あの長い黒髪。

桃の匂い。

背丈に迫る大太刀。

片手で矢を掴み、

紙のように人を断つ腕力。


「……あの大太刀を振るう剛力が、

わしに向いていたかもしれん」


ほんの一瞬、

殿の喉が鳴った。


唾を飲み込む音が、

静寂に濁った。


家老は視線を逸らす。


それは殿の弱さではなく――

生物としての恐怖だった。


(殿ほどの方でも……

あの娘には畏れがあるのだ)


殿は扇を閉じる。


「欲を抑える智慧を、

わしは持っていたらしい」


その言葉は自嘲でも自慢でもなく、

ただの安堵の吐息。


「もし

あれを女として抱え込もうとする愚があれば、

国が先に斬られていた」


家老が深く頷く。


「……殿はあの者を、

兵ではなく、

刃と見られた」


殿は首を振る。


「違う」


扇の先が庭を指す。


「力が人の形をしているだけだ」


家老は息を呑んだ。


殿が続ける。


「人として扱えば、

牙がこちらへ向く」


「刃として扱えば、

国が切り拓かれる」


そして殿の目が

微かに細くなった。


「……だが、

あやつは癒されることもない」


殿の胸には、

わずかな憐れみと、

明確な恐れが同居していた。


「鬼神は抱けぬ。

抱けば喰われる」


その言葉は、

戦の名残のように

静かな余韻を残した。


風が庭を過ぎ、

松葉が散った。


殿は呟く。


「――よかった。

あの愚を犯さずに済んだ」


それは

戦国の為政者としての冷徹であり、


同時に――

ひとりの男としての本心だった。


唾を飲み込んだ喉の音が、

その事実を裏付けていた。

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