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15.人ならざるもの

――鍛冶場の端。

煤と火の影に紛れるように、

若侍は立っていた。


さくらが大太刀を片手で振るった瞬間、

彼の背骨は凍り、

同時に胸が燃えた。


藁胴が音もなく割れ、

甲冑の木人が

鉄ごと静かに断たれる。


その断面に触れれば

切り口はまるで鏡だ。


(……人の力じゃない)


若侍の喉が震えた。


大太刀を背負い、

腰に太刀を差す姿――

そのシルエットだけで

常識が破壊される。


“女が刀を取る”

などという話ではない。


“人が扱えぬ刃を振るう女”

という現実が目の前にあった。


若侍の内で、

恐怖と憧憬が混ざり合い、

一つの言葉になる。


「人間……じゃない……」


声は掠れていたが、

否定ではない。


その先に続く言葉が

自分でも驚くほど

鮮やかに口を突く。


「鬼娘だ……」


鍛冶も弟子も振り返る。

若侍の目は輝いている。


怯えた光ではない。

惚れ込んだ光だった。


(この人は――

人の形をしているだけの、

何か別のものだ)


そして、

若侍の中でひとつの変容が起きた。


彼は

“仕える”という感情から

“従属し、学び、形を変えたい”

という欲望に変わっていた。


(この人の傍にいれば……

自分も、

人ではないところへ届けるのではないか)


畏敬。

依存。

陶酔。


それらが渦巻くのに、

不思議と彼は怖くなかった。


むしろ、

心地よい。


自分の世界が崩れるのに、

何故だかそれを望んでしまっている。


鍛冶が興味深そうに言う。


「鬼娘、か……

その呼び名、案外当たっているかもしれんぞ」


若侍は無意識に答えた。


「いいえ。

娘などという弱い言葉では足りません」


さくらは振り返らない。


だが、

その背へ向けて若侍は言った。


「――鬼神です」


言葉を吐いた瞬間、

自分でも震えるほどの確信があった。


さくらは足を止めた。


しかし振り向かず、

わずかに顎を傾けた。


その仕草だけで、

若侍の心は射抜かれる。


(もしこの人が鬼神なら――

自分は、その足元の影で構わない)


妄信ですらなく、

運命だと錯覚し始めていた。


彼は胸の内で静かに誓う。


(戦が再び起きるなら、

私はこの人の刃となる)


城の鍛冶場に、

桃の香と焼け鉄の匂いが混ざり、


若侍の心は、

“人の従者”から

“鬼神の信徒”へと変容していった。


---


――報せは、

殿のもとへ驚くほど早く届いた。


鍛冶場に足を踏み入れた侍が、

青ざめたまま土下座し、声を震わせた。


「殿……

あの女……

大太刀と太刀を――

片手で……!」


殿は筆を止めた。


家老と側侍が顔を見合わせ、

報告者の言葉の意味を測ろうとする。


「片手で、振ったと?」


侍は頷き、さらに声を詰まらせた。


「いえ……

“振った”と申し上げるより、

刃の方が従っておるような……

刀が彼女に使われているのでなく――

刀が彼女に仕えています」


その言葉は、

侮蔑でも誇張でもない。


ただ、

見た者の脳が理解を拒む中で

やっと捻り出した比喩だった。


大名の目が細くなる。


「……そうか」


殿は立ち上がり、

欄間の向こうの庭を眺める。


「刀を得たか」


家老が申し訳なさそうに言う。


「殿……

あの者は武器を選べる立場ではないはず。

しかし鍛冶は――

完全に従ってしまいました」


殿は扇を閉じ、笑った。


「従わせたのではなく――

鍛冶の側が従ったのだ」


側侍が息を飲む。


「殿は……

これを望んでおられたのですか?」


殿は首を傾ける。


「望んだ、というより……

“見たかった”のだ」


「何をでしょう」


殿の声が低く落ちる。


「――異物が、

己に似合う器を得た姿」


沈黙。


家老の背が汗で濡れる。


(殿……

最初から、

さくらが大太刀を求めに来ると

読んでおられた……?)


殿は歩き、

柱にもたれ、

庭の風を吸う。


「戦はもう、

人の感情では動かない」


「……?」


「力が意思を持ち、

人の姿を貸りて歩き始める時代だ」


その言葉は、

戦国の価値観を丸ごと否定するようだった。


殿は茶を口に含み、

静かに続ける。


「女でも侍でもない。

家臣でもなく、反逆でもない。

ただ――」


扇が開く。


「戦うために生まれた刃が、

人の形をしている」


家老は青ざめた。


(殿は……

あの女を“兵”としても“侍”としても

見ていない……)


殿にとって、

さくらは概念なのだ。


力の凝縮。

戦の代行。

秩序を壊す旗。


だから、

刃を持ったことを喜ぶのだ。


「さて」


殿は眺めを変えて言う。


「敵は必ず動く。

“鬼娘が刃を得た”と

広まる前に――」


扇を閉じる音が、

部屋の空気を切った。


「彼女を前面に出す」


家老が息を呑む。


「殿、それは家中の秩序が――」


「秩序など、

強き者に従う形に変われば良い」


その言葉に、

誰も反論できなかった。


殿は庭へ歩み寄り、

静かに呟いた。


「……面白い」


「戦の女が、

刃を得た」


その声は、

まるで自分こそが

戦を産んだ者であるかのようだった。


そして殿の瞳には、

理解できぬ恐怖でもなく――


期待と愉悦が宿っていた。


“家が変わる時、

常に異物が中心にいる”


それを殿は本能で知っていた。

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