13.新しい刃
――夜。
村の篝火が、
血と汗の臭いを押し流すように揺れていた。
戦は終わったが、
風はまだ落ち着かない。
さくらは村外れの井戸のそばで、
刃こぼれした刀を鞘ごと撫でていた。
(……もう限界ですね)
刀は嘘をつかない。
戦えば戦うほど、
刃はその主の在り方を映す。
この刃は、
彼女の力に耐えられない。
「城へ戻ります」
突然の言葉に、
近くで傷の手当てをしていた若侍が顔を上げた。
「さくら殿……
戻る、というのは……」
「刀を探します。
この家中には、
私に合う刃を用意する者がいません」
若侍は口を開きかけて、
その言葉の真意に気づいた。
(――大名は彼女を使うつもりでいながら、
道具を与えていない)
戦わせるのに、
武器を与えない。
それは、
“試す”という意図の裏返しだ。
さくらは立ち上がり、
村の方を振り返らずに言った。
「戦はまだ終わりません。
敵はまた来る。
その時、
この刃では足りません」
腰に残る刃の重みは、
戦の続きへの負債だった。
「私は使い捨てではありませんからね」
その言い方は
皮肉でも怒りでもなく――
ただの、
生存者の宣言。
若侍は息を呑む。
「城に戻って、
殿に直談判なさるのですか」
「ええ。
刃を選ばせてもらいます」
若侍は胸の奥で小さな衝撃を受けた。
(直談判……
普通なら命を落とす言葉だ)
だが、
彼女は“普通”ではない。
城が恐れるほどの存在なら、
刀を求める権利がある。
そして――
彼女はそれを自覚している。
さくらは続けた。
「刀鍛冶も見に行きます。
己の刃を鍛える者を選ばなければならない」
若侍は思わず口に出す。
「自らを鍛える者……
人ではなく、
刃を?」
さくらは振り返り、
薄く笑った。
「――刃こそ、私の延長です」
その言葉は、
若侍の胸を深々と刺した。
人も戦も政治も匂いも、
全てが流動する。
だが、
刃の質だけは
自分で決めなければならない。
それが、
戦を生きる女の矜持。
夜の風が吹き、
桃の香りが微かに揺れる。
村人は寝静まり、
侍は疲れ果てた。
その中で、
さくらだけが
まだ戦を見ていた。
明日の朝には、
城へ向かうだろう。
刃を求める帰路。
その旅の先には、
抗いがたい政治と噂と恐れが待つ。
それでも――
(私は刀を選ぶ。
この命を預けられる刃を)
さくらは空を見上げ、
呟いた。
「次は、
花を咲かせるより――
咲く場所を選びましょう」
風がそれを抱き、
夜の山へ消えた。
---
――城への帰還は、
戦の凱旋とは違った。
太鼓も旗もない。
ただ馬蹄と風だけが、
城下に知らせた。
城門が開くと、
そこには空気の揺れがあった。
さくらが戻ったと知り、
侍たちが遠巻きに目を向ける。
彼女が帰ってきたという事実は、
誰にとっても“扱わねばならない現実”だった。
若侍が後に続く。
城の廊下は磨かれ、
香に満ちている。
その香りが、
彼女の匂いと混じると、
侍女たちが息を呑むのが隠せなかった。
――謁見の間。
畳の奥に座する大名は、
噂通りの笑みを浮かべていた。
「戻ったか」
さくらは深く頭を下げず、
ただ正面に立つ。
「刀を求めに参りました」
家老の扇が止まる。
側侍たちの眉が跳ねる。
普通なら無礼だ。
だが、大名は笑っただけだった。
「戦を終えて、
まず刃を問うか」
「刃がなければ、
戦は続けられません」
その言い方は、
“あなたが望む戦果を与えたければ”
という含みを持っていた。
大名は面白そうに顎を触れる。
「なるほど。
お前は兵や名誉を求めぬのだな」
「刃だけあれば十分です」
殿の瞳が僅かに光を変える。
(……この女は自分が“武器”であることを
理解している)
しかし同時に――
武器を選ぶ側だと知っている。
大名は手を叩いた。
「刀鍛冶を呼べ」
◆刀鍛冶の登場
ほどなくして、
黒い囲炉裏の匂いをまとった男が現れた。
背は低いが、
目だけが鋭い。
「御前にて」
鍛冶は深々と頭を下げる。
大名は示す。
「この者に刃を与えよ。
ただし――」
目線だけで応えるさくら。
「刃が、この者に侮られるような
そんな安物では困る」
鍛冶は一瞬だけさくらを見た。
その視線が、
薄く驚いたように揺れる。
(……剣を知る眼だ)
鍛冶は腰の包みを解き、
一本の刀を差し出す。
「戦場向けに鍛えたものです。
刃文は荒いが、
折れず、欠けにくい」
さくらは受け取らない。
ただ、刀を見た。
一寸の刃先が、
光を受けて鈍く輝く。
彼女は静かに言う。
「悪くありません。
しかし――まだ足りません」
殿は口元を押さえ、愉悦を隠した。
鍛冶の眉が動く。
「どこが足りぬと?」
「私の力で振れば、
この刃は泣きます」
鍛冶は、
“この女が粗暴な力任せだ”と言おうとして
言葉を飲んだ。
彼女の太刀筋は、
無駄がなく、
刃が負担を受ける場所が違う。
わずかに頷き、
鍛冶は言う。
「……ならば、
鍛錬場へ」
大名が面白げに笑う。
「鍛冶の眼が動いたな。
よい、試せ」
◆鍛冶場
炉の熱が立ち昇り、
鉄と灰の匂いが充満する。
鍛冶は新しい鉄を置き、
さくらの刀を手に取った。
「――戦で刃が欠けている」
「その通りです」
「これは、
刀の打ちが弱いからではない」
鍛冶は刃を見ながら言う。
「扱う者が、
刀の限界を超えていたのだ」
さくらは答えない。
その沈黙が、
鍛冶の中で確信に変わる。
「ならば鍛えるべきは――
刀も、あなた自身もだ」
鍛冶は鉄槌を構えた。
「見せてみよ。
あなたの斬り方を」
さくらは刀を抜き、
一瞬で構えた。
桃の匂いが
鍛冶場の焦げた空気に混ざる。
その瞬間、
鍛冶は理解した。
(――この女には、
刃の延長が必要だ)
「作ろう」
鍛冶の声は、
宣言に変わった。
「あなたのための刀を。
あなたに斬られることを
喜ぶ刃を」
さくらは小さく息を吐き、
鞘に刀を戻した。
「お願いします」
大名が遠巻きに聞いている。
女は刃を得ようとしている。
その刃が、
国をどう変えるか――
城全体が、
次の戦の匂いを嗅ぎ始めていた。




