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12.次の血の匂い

――戦の塵が落ち、

風が土と血を撫でていく。


夕陽が傾き、

村の影が長く伸びている。


さくらは、

村の外れの小丘に立っていた。


戦後処理の喧噪は背に残り、

ここだけが不自然なほど静かだった。


遠くの尾根から、

風が降りてくる。


山の向こうで

誰かが軍を起こし、

またこちらを睨んでいる気配がある。


(……まだ、終わらない)


斬っただけでは、

戦は終わらない。


死んだ兵を数えるのではなく――

彼らが逃げた先で、

どんな形で戻ってくるか。


それが戦の“次”。


彼女は空を見上げた。

淡い雲が裂かれ、

日が血に染まったような色で沈んでいく。


刀を腰に触れて、

鞘の冷たさに小さく息を吐く。


「刀が欲しいなぁ……」


その声は、

愚痴でも嘆きでもない。


ただ、

淡々とした本音。


刃こぼれした刀。

戦うには足りない質。


“戦に耐えられない武器”で、

武器として扱われている自分。


(戦わせるつもりがあるなら、

せめて……)


さくらは目を閉じた。


戦の気配は、

匂いで分かる。


鉄、

汗、

わずかな恐怖、

土と血の湿り。


その中に――

自分の匂いが混ざる。


嘘のない匂い。


甘い桃の皮のような、

抗い難く、人の心を乱す香り。


それが風と戦の匂いの間に漂い、

村の空気を覆っている。


(この匂いも武器か。

なら、刃も武器であるべきだ)


彼女はゆっくり息を吸い、

吐いた。


夕風が髪を撫でる。


山影の向こうに、

まだ見ぬ敵の気配が沈んでいる。


次の戦は――

村では終わらない。


もっと大きい場所で。


刀を変えなければ

その戦場では生き残れない。


(だから作る)


心の中で、

誰にも聞こえない決意が形になる。


夕焼けが

刃の欠片を照らした。


さくらは、

小さく笑った。


「……良い刀が手に入ったら、

また花を咲かせましょう」


風が運んだその声は、

村の騒がしさには届かず――


ただ空と戦の匂いに吸い込まれていった。


---


――山の向こう、

敗走兵たちが戻った砦では、

火の粉が散ったような空気が漂っていた。


煙草の腐った匂いと、

煮出した兵糧の臭いが混ざる狭い軍議の間。


粗い甲冑の将が机を叩いた。


「女ひとりに蹴散らされた、だと?」


額を地につけて震える兵が答える。


「ただの女では……ありません。

刀ごと……身体ごと斬られる……

人の力では……」


言葉が途切れる。

顔に恐怖が染みついたままだ。


別の将が鼻で笑った。


「誇大だろう。敗走を飾るための戯言さ」


その瞬間、

部屋の空気がひとつ歪む。


老臣が、茶を置きながら言った。


「――その兵、虚言は言っておらん」


若い将たちが振り返る。


「何故そう言い切れる?」


老臣は、

ゆっくりと息を吐いて答えた。


「匂いだ」


兵の肩が跳ねる。


「戦場で、

桃の皮を裂いたような匂いが漂ったと、

複数の者が言っておる」


部屋がざわつく。


「女の匂いが戦の空気を変えた、とか……

そんな妖か?」


「妖ではない。――人だ」


老臣の声は静かでありながら、

誰より重かった。


「女でありながら、

歪んだ天賦を持つ者が稀にいる。

力、殺気、そして……

戦を“呼ぶ”匂いだ」


若い将は鼻で笑いかけたが、

言葉は喉で止まった。


兵の目が――

真実を見た者の目をしていたからだ。


老臣は続ける。


「その者――名を、さくらと言うらしい」


名の響きに、

部屋の温度が変わる。


「殿の影として使われていると聞く。

ならば我らが戦うのは、

ただの女ではない」


将たちの胸に

小さな嫌悪が芽生えた。


屈辱だ。

女一人に乱されたなど、

口にしたくもない。


だが――

戦は現実だ。


無視すれば死ぬ。


老臣が地図を指で叩いた。


「この村を落としたいなら、

兵を揃えよ。

ただし――」


間を置く。


「その女を殺せる者が先頭に立て」


沈黙。


誰も名乗らない。


その沈黙が、

この“さくら”という存在が

脅威として刻まれた瞬間だった。


堅物の将が問う。


「……刀で切れるのか?

噂では刀ごと切られると――」


老臣は杯を取り、

わずかに口元を歪めた。


「刀で斬るのではなく、

精神を折ることが先だ」


若い将が眉をひそめる。


「どうやって折る」


「女であることを、

武器ではなく弱点に変えられた時――

あやつは初めて崩れる」


老臣の言葉に、

将たちの顔色が複雑に歪む。


「しかし、

聞けば匂いは味方すら惑わせるとか」


「ええ。

ゆえに――厄介なのだ」


老臣は、

机の上の地図を見つめる。


「戦とは、

理屈で説明できぬ者が勝つ」


その言葉に、

誰も笑えなかった。


部屋の隅の兵が震えながら呟いた。


「……彼女は……

死神ではありません。

春を抱いた死の風でした」


その比喩が、

誰の心にも刺さった。


桃の匂いと血の匂いが同居する女――

さくら。


軍議の空気は、

もはや討伐ではなく

“怯えた策”へ変わっていた。


そして、

老臣は締めくくる。


「――あの女が戦場に出るなら、

地形も兵数も無意味よ」


「ならばどうする?」


老臣は障子の外を見た。


「簡単なことだ。

あれが来る前に戦を終わらせろ」



風が通る。


その風は、

遠い村で空を眺める

さくらの匂いを

わずかに運んでいた。

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