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巨城を囲んだとき、

それは「陣」ではなく、ほとんど新しい国の形をしていた。



殿は、自ら大軍勢を率いて関東の平野に入った。


川を押さえ、

街道を押さえ、

田畑の境目に旗を立てる。


そして、巨城をぐるりと取り囲む位置に

本陣を据えた。


「攻めるぞ」とは言わない。


代わりに、最初の命はそれだった。


「町を作れ」



最初に建てられたのは、市だった。


兵のための市。

だが、それだけでは終わらない。


米。

塩。

味噌。

油。


遠くから商人たちが呼ばれ、

仮設の店を出す。


いつの間にか

「陣の市」は、

周辺の農民たちまで通う市になった。


巨城の上から見ると、

民が城ではなく

敵の陣へ用を足しに行く光景が

はっきりと見えた。



次に建てられたのは、宿だった。


簡易なものから始まり、

やがて二階建ての屋根が並び始める。


兵が休むため。

商人が泊まるため。

役人が詰めるため。


そして、そのうちの何軒かは

いつの間にか「茶屋」と呼ばれるようになり…


さらにその奥まった路地には、

灯りの落ちない一角ができた。


遊郭。



昼は市のざわめき。

夜は笛と笑い声。


巨城の上から見下ろせば、

敵の陣は

「攻め寄せる群れ」ではなく、


年ごとに肥っていく街に見えた。


「……あれが“陣”か」


城の中の誰かが、

思わず漏らした。


「どう見ても、

 囲まれているのはこの城の方だ」



殿は、それを承知でやっていた。


城を崩すための戦ではなく、

心を折るための戦。


「何年かかろうとも構わぬ」


その覚悟を、

土と木と瓦で見せつける戦。


陣の中には、

寺も建てられた。


祈る者がいる限り、

ここは「いつでも引き払える仮の場所」ではなくなる。


子どもが生まれ、

年寄りが死に、

墓が立つ。


巨城の上から見えるのは、

日ごとに増えていく「生活の煙」だった。



城内でも、評議が繰り返された。


「打って出るべきだ」


「いや、あの数では

 野に出た瞬間に呑まれる」


「籠城すれば、

 いずれ飢えるぞ」


「この城は米蔵だ。

 簡単には尽きん」


「そういう話ではない」


冷静な者ほど、

声が低かった。


「あいつらは、“待つ”顔をしている」


「今日、明日を見ていない」


「ここを囲んで

 町を立て、女を囲い、寺を建て…」


「十年でも二十年でも

 変わらぬ顔で囲み続けるつもりだ」



さくらは、

殿の本陣の近くに与えられた屋敷の縁側から

巨城を見ていた。


遠く。

だが、確かにそこにある影。


「……妙な戦ですね」


ぽつりと言う。


「崩すのでもなく、

 焼くのでもなく」


「ただ、

 “ここにいる”と

 言い続ける戦」


桃の匂いは、

戦場より薄かった。


ここは前線ではない。

だが、どの戦よりも

深く骨に沁みる静けさがあった。



陣の市を歩けば、

鬼娘の姿はすぐに分かる。


男たちは、

一瞬目を奪われてから

すぐに視線を逸らす。


今は「戦の最中」ではない。

刃は抜かれていない。


それでも、

彼女が歩いているだけで


どこか城の方角の空気が

少し重くなる気がした。


「……あの城の者たちにも」


さくらは思う。


「この市の賑わいは見えるのですね」


「見たくなくても、

 見えてしまう」


兵が市の酒を飲み、

女と笑い、

新しい着物を買い、


子どもが走り回り、

掛け声が飛び交う。


「戦をしているのは

 城の中だけだ」と

嘯いているかのような景色。


それが、

巨城の石垣を外側から

じわじわと削っていく。



城内でも、年の流れは止まらない。


籠城のために蓄えた米も、

食えば減る。


矢も、

射ればなくなる。


兵も、

病に倒れ、年老いていく。


「援軍は来ないのか」


「東北の諸勢力は、

 こちらを見るだけで動かぬ」


「殿の世が、

 あまりにも広がりすぎた」


「この巨城が、

 最後の“外側”だ」


その自覚が、

城の内側に

じわりと広がっていく。



殿は、

急がなかった。


城攻めの用意もする。

堀を探り、

弱い門を探し、

兵を入れ替え続ける。


それと同時に、

市を整え、

道を通し、

寺を建て、

遊郭の管理にまで目を配る。


「囲みながら、治める」


「攻めながら、住む」


それは、

殿が歩いてきた戦の集大成でもあった。



さくらの役目は、

即座の「切り札」ではなかった。


今、彼女は

数多ある軍勢の一つの刃として

必要な場所にだけ顔を出す。


出入りの道を見せつけるとき。

城からの小さな打って出を

瞬く間に跳ね返すとき。


「鬼娘は、

 まだ刃を抜いていない」


その事実が、

巨城の中で静かな恐怖として

蓄えられていく。


(心を折る戦)


(刃を振るう前から、

 もう戦は始まっているのですね)


さくらは、

縁側から見える巨城の影に

静かに目を細めた。


殿の軍勢にとっても、

巨城の守り手たちにとっても、


ここからの年月は

「刃の長さ」ではなく、

「心の持ち」と「覚悟」の戦になる。


何年かかろうとも構わぬ――


その言葉が、

平野に新しい季節が来るたびに


巨城の石と、

人の心とに

少しずつ、静かに沁み込んでいった。

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