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西の海が静まった頃には、

地図の余白もだいぶ減っていた。



殿の秩序の中で、

島の男たちの旧来の所領は安堵された。


港。

小さな城。

荒れた畑。


どれも、

「殿の世」の中の一部として

そのまま残された。


海沿いの村々では、

殿の旗と、島の旗が

同じ風に揺れている。


島の男たちは、

戦の中で学んだ通りに

あっさりと現実を飲み込んだ。


――強い秩序の下で生きること。

――その秩序を、今度は自分たちも守り手として支えること。


彼らは、「殿の敵」であることをやめ、

「殿の世の海」を預かる者になっていった。



残された敵は、あと一つだけとなる。


関東をまるごと呑み込む平野。

その要を押さえ、

東北の諸勢力の盟主のような顔をしている巨大な力。


天下一の巨城。


山の上でも、

入り江でもない。


どこまでも続く平地の真ん中に、

石と土と人の知恵を積み上げて作った

異様に大きな城。


それだけが、

未だに殿の旗に背を向けていた。



評定の場。


地図の右側――

関東と呼ばれる一帯に、

大きく墨で囲まれた印がある。


その中心に、

巨城を表すしるしが

ぽつんと記されていた。


「……ここだけが」


殿は、

指先でそこを軽く叩いた。


「いまだに“殿の世”を

 自分の外に置いておる」


策士が言う。


「関東を支配し、

 東北の諸勢力の顔をしている以上」


「ここを放置して

 天下を名乗ることはできませぬ」


別の重臣が続ける。


「山でもなく、海でもなく」


「広い平野に築いた巨城ゆえに、

 攻めにくいことこの上なし」


「兵の数も多く、

 米蔵も深い」


「籠られれば、

 何年とかかりましょう」



さくらは、

少し離れた場所から地図を見ていた。


(山城でもなく)


(谷の砦でもなく)


(“平地の巨城”)


想像するだけで、

その姿は異様だった。


「籠城のためにある城」


「農と兵が、

 同じ地平線を見て生きている土地」


そこへ攻め入るということは、


ただ城を崩すだけでなく、

一帯の空気そのものを変えさせることになる。


(ここまで来たのですね、殿)


(島も、北も、西も、都も)


(“残りは一つ”と呼べる日が来るなんて)


心のどこかで、

ふっと笑いたくなるような感覚と、


ここから先の重さを

肌で悟る感覚が同時にあった。



「殿」


策士が静かに問う。


「西も、南も、都も、

 帝の裁定もひとまず収まりました」


「残るは、

 関東と東北を束ねる巨城のみ」


「ここを攻めるか、

 残すか」


「いかがなされます」


殿は、

答えを既に持っている顔をしていた。


ただ、

言葉にするまでの間を

少しだけ味わっているような、そんな目。


「……わしは、

 殿の世の“守り役”になったつもりはない」


ぽつりと言う。


「この世のどこかに、

 別の天下を名乗る者が残る限り」


「わしが歩いてきた道は

 半ばで途切れる」


指が、

巨城の印の上で止まる。


「ここだけを残して

 “天下”と呼ぶのは」


「わしの性には合わぬ」



さくらは、

その言葉を静かに聞いていた。


(山をもらい、

 都をもらい)


(寺と、川と、海をもらい)


(今度は、

 平野の城をもらいにいくのですね)


殿の刃。

鬼娘の大太刀。


両方が、

ここからまた

新しい地平へ踏み出そうとしている。



「ただし」


殿は続けた。


「ここは、

 正面から叩き潰すだけの戦では済まぬ」


「関東の平野ごと焼けば、

 その辺り一帯が

 当分のあいだ死ぬ」


「わしが欲しいのは

 焼け野原ではない」


「“この世をひとつにすること”だ」


策士が頷く。


「巨城を落とす戦になりましょう」


「長く、重く、

 兵と米と心を磨り減らす戦です」


さくらは、

自分の指先を見つめた。


剣を握る手。

大太刀を支える腕。


(長く、重く)


(“一太刀では終わらない戦”)


鬼娘にとって、

それは今までよりも

遥かに息の長い戦いになる。



評定が終わったあと、

廊下でさくらは小さく空を見上げた。


関東の空は、

まだ見たことがない。


東北の風も、

まだ肌で感じていない。


ただ一つだけ分かるのは、


(あの巨城が、

 殿の世の中で“最後の敵”になる)


ということ。


それは、

彼女の鬼としての生にも


ひとつの区切りを

告げる戦になるのだろう。


桃の匂いが、

ふっと薄くなり、


代わりに

冷たい東風の匂いが


まだ遠くから、

かすかに漂ってきている気がした。

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