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夜の海が、じわじわ赤くなっていた。



いくつめかの戦が終わったあと、

島の本城に、兄弟たちが集まっていた。


床には、血の滴る甲冑。

壁にもたれてうなだれる兵。

香の代わりに、薬草の匂いが満ちている。


刀二本の兄弟が、

酒をあおりながら笑った。


「いやぁ……負けたな」


「だが、楽しかった」


笑ってはいたが、

腕には布が巻かれている。


さくらの大太刀に、

一度「触れられた」痕だ。



槍の兄弟は、

黙って地図を見ていた。


島のあちこちに、

赤い印が増えている。


負けた場所。

押し込まれた場所。

かろうじて押し返した場所。


「……このままでは、立ち直れん」


ぽつりと呟く。


酒の兄弟が、

眉をひそめた。


「まだまだ、

 奴らの首は並んでおらんぞ」


「鬼娘の首もな」


「そうだが」


槍の男は、

静かに首を振る。


「兵は、替えが利かん」


「腕の立つ者から減っている」


「次の戦で“勝てばよい”話では

 もうなくなってきておる」



若い兵の名が、

何人も読まれる。


あの岬で倒れた者。

あの入り江で沈んだ者。

あの森で戻らなかった者。


名前を口にするたびに、

部屋の空気が少しずつ重くなる。


それでもなお、

誰かが言う。


「だが、退けば海の笑いものだ」


「島の男が、

 海の向こうの女に膝を折るのか」


「そんな話、

 子や孫に語れん」


勇猛さはまだ、

胸の真ん中に居座っている。



それでも――

敗戦のたびに

別の声も育っていた。


「負けるたびに、

 向こうは形を変えてくる」


「初めての釣り野伏せりで、

 あれだけ切り抜けられた」


「次に同じ手を使っても、

 あの鬼娘がいる限り

 きっと通じぬだろう」


「こちらも、

 毎度違う手を探すが」


「最後には“兵の数”の差に

 押し潰される」


冷静な者ほど、

声は小さい。


だが、その小さな声が

負けるたびに少しずつ大きくなっていく。



数戦を重ねると、

島の空気も変わってきた。


戦場に向かう足は、

まだ軽い。


若者たちは、

鬼娘の噂を肴に笑う。


「今日こそ、

 大太刀を折ってやる」


「髪の一本でも

 抜いて帰ろうぜ」


だが、

年長の者の目は

笑っていなかった。


「また、

 戻ってこられるかの」


妻が、

黙って背中の紐を締める。


子どもが、

門の柱から顔を出している。


その光景が

少しずつ増えていく。



ある夜。


戦から戻った兄弟たちが、

静まり返った城の広間に座っていた。


酒の兄弟の盃は、珍しく空だ。


「……手打ちに、せんか」


先に言ったのは、槍の男だった。


「このままでは、

 島ごと折れる」


「戦好きのわしが言うのだ」


「もう、

 “楽しい負け”では済まん」


刀の兄弟が、

悔しそうに天井を見上げる。


「鬼娘を討ち取りたかったがな」


「向こうも本気を出し切っておらん」


「本気を出したときのあいつを

 想像すると……」


言葉を飲み込む。



当主も、

そこに座っていた。


兄弟たちの顔を、

一人ずつ見渡す。


「手打ちにすべきだ、という声が」


「ここまで増えたのは初めてだな」


低く言う。


「戦を好むこの家で」


沈黙。


火が弾ける音だけが響く。



兄弟のひとりが、

笑って頭を掻いた。


「俺は、まだ戦いてぇ」


正直だった。


「鬼娘とも、

 海の向こうの軍勢とも」


「だが――」


視線を横に滑らせる。


担架の上で眠る兵。

痛みでうなされる声。


「こいつらの顔を見てるとよ」


「“俺一人の楽しい”のために

 島を巻き込むのは、

 ちょっと違うなと思い始めた」


笑いながら言う声に、

わずかな震えがあった。



敗戦のたびに強くなっていたのは、

軍勢だけではなかった。


「このへんで矛を収めるべきだ」と

主張する声もまた、


戦のたびに

厚みを増していた。


最初は、

老いた者の愚痴のようだった。


次には、

女たちのすすり泣きに混じった願いになった。


その次には、

戦場から戻った男たちの口から

ぽつりぽつりともれる言葉に変わった。


やがて――

広間の真ん中で、

当主の前で語られる意見にまで育った。



「……よし」


当主は、

ようやく口を開いた。


「わしらの誇りは、

 もう十分に海に流した」


「鬼娘も、

 殿の軍勢も」


「わしらが“弱い”と思う者は

 一人もおらん」


「ならば、

 ここで手を打つことを」


「“弱さ”とは呼ばぬ」


静かな声だった。


兄弟たちは、

順に頷いていく。


「島を守るための“勝ち”だ」


「そう、

 言うていこう」



殿の陣に、

使者が送られた。


血の匂いがまだ残る戦場の先に、

白い布を掲げた舟が進む。


さくらは、

遠くからその様子を見ていた。


(ようやく、ですね)


(あの勇さと、

 この島の戦のうまさが)


(“生き残る知恵”に

 追いついた)


大太刀の柄を、

軽く撫でる。


今日は、

抜かないで済むかもしれない日だ。



殿の前で、

島の使者は深く頭を下げた。


「島をひとつに束ねようとしたこと」


「海の向こうの殿に

 牙を向けようとしたこと」


「それらすべて、

 島の男の未熟とお笑い下さい」


言葉は丁寧だったが、

声は決して折れていない。


「ただ」


「ここから先は、

 殿の“世”の中で」


「海を守る役を

 我らにお任せ願いたい」


「陸で剣を振るう鬼娘がいるなら」


「海には、

 島の槍と船を」


殿は、

しばらく黙ってその言葉を聞いていた。



敗戦のたびに強くなったのは、

殿の軍勢と鬼娘だけではない。


島の男たちの

「負け方」と「生き残り方」もまた、


戦の数だけ鍛えられていた。


やがて、

その「生き残りたい」という理が


「勝ちたい」という勇猛さを

少しだけ追い越したとき。


西の島の戦は

ようやく「手打ち」という形を

選べるようになったのだった。

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