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上陸の日は、
風がやけに乾いていた。
◆
小さな港町は、
すでに半ば焼け落ちていた。
黒く焦げた柱。
穴のあいた土塀。
波打ち際に打ち上げられた壊れた船。
助けを求めてきた国の兵たちが、
顔に煤をつけたまま
さくらたちの軍を出迎えた。
甲冑も、槍も、ばらばらだ。
それでもまだ、
目の奥に「諦めきれない何か」が残っている。
(よく持ちこたえていましたね)
さくらは、
心の中でだけそう呟いた。
◆
丘の上に陣を張る。
少し離れた向こう側――
広い平地の先に、
島を統一しようとしている勢力が
堂々と陣を敷いていた。
驚くほど整っている。
旗の色は揃い、列も乱れない。
そして何より、
兵たちの足が一歩も引かない。
押し込まれても。
矢を浴びても。
前の列が倒れても、
次の列が踏み出してくる。
(勇いですね)
さくらは、
遠目に見て感心していた。
恐怖で足が止まる気配がない。
◆
当主の兄弟たちが、
その前線を駆けていた。
一人は、
笑いながら兜を脱いで叫ぶ男。
「もっと前へ出ろ!」
自分が誰よりも前に出ている。
一人は、
黙々と馬を操り、
槍を振るう男。
一人は、
両手に刀を持ち、
血煙の中を踊るように動く男。
皆、
顔つきがよく似ている。
目の奥に、
「戦そのもの」を好む色があった。
(この島は、
ああいう人たちの血で
ここまで塗り替えられてきたのでしょう)
そのことが、
どこか納得できてしまうくらいには
彼らは勇猛だった。
◆
味方となったこの国の兵たちは、
さくらの背中に集まるように立っていた。
「鬼娘が来た」
「本当に、あの噂の…」
声は震えているが、
それは恐怖だけではなかった。
沈みかけた船に
新しく打ち込まれた太い楔のように、
何かに縋ろうとする音。
さくらは、
振り返らない。
(殿の世から
海の向こうへ伸びる刃)
(この場では、
わたくしがその先端)
ただそれだけを意識する。
◆
敵の鼓が変わった。
低く、
腹に響く音。
当主の兄弟たちが
前へ並び立つ。
先頭の男が、
こちらへ槍を突き上げた。
「海の向こうから来た者どもよ!」
声は、
風に乗ってはっきり届いた。
「ここは我らの島ぞ!」
「退く気がないなら――
その首、波打ち際に並べてくれる!」
笑って言っている。
脅しではない。
純粋な宣言。
さくらは、
肩の大太刀にそっと手を添えた。
(いいですね)
(退く気がないのは、
こちらも同じです)
◆
殿の本陣からの使者が駆けて来る。
「さくら殿」
「ここから先は、
あなたにお任せとのこと」
さくらは、
小さく頷いた。
「承りました」
「まずは――」
丘を下りる。
一歩ずつ。
地面が、
近づくたびに静かになる。
桃の匂いが、
風に混じって流れ始めた。
「この国が、
今夜もまだ“国”として残るように」
それだけを心の真ん中に置いて、
鬼娘は、
西の島の勇猛な兵たちと
真正面から向かい合った。
最初の一太刀で、
空気が変わった。
◆
さくらが一歩踏み出すたびに、
前列がまとめてはじけ飛ぶ。
大太刀は、
振り上げられているようでいて
実際にはほとんど「落ちて」いない。
すっと肩から滑り落ちるだけ。
刃先が、
兵の槍と甲冑の隙間をなぞるように通る。
それなのに、
列は裂け、
兵たちは足を止める。
(斬られた、というより)
(“通られた”)
そんな顔をしていた。
◆
島の勇猛な兵たちは、
最初は笑っていた。
「おお、あれが鬼娘か」
「面白い!」
槍を鳴らし、
刀を掲げて前へ出る。
一人が突き、
一人が薙ぎ、
一人が叫ぶ。
だが、
十合、二十合と打ち合うにつれ
笑い声より先に
息を呑む音が増えていった。
◆
大太刀は、
決して「重さ」を誇示しない。
軽く見える。
しなやかだ。
しかし、
触れたものはみな
槍なら軌道を折られ、
刀なら根元ごと逸らされる。
「怪力」ではない。
「武」だった。
島の兵たちが
これまで自分たちの当たり前として
積み上げてきた強さを
一つ一つ、
別の形に組み替えて見せられる感覚。
◆
当主の兄弟の一人が、
前に出た。
両手に刀。
目は笑っている。
「よくやる!」
「もう少し見せてみい!」
叫びながら突っ込んだ。
さくらは、
その声に応じるように一歩進む。
交差する刃。
火花。
兄弟の肩口に、
いつの間にか線が走っていた。
深くはない。
血もすぐには溢れない。
だが、
刀をもう一度振ろうとして
初めて気づく種類の傷。
(届いていた)
彼は、
ほんの瞬きほどのあいだ
目を見開き、
次の瞬間には笑っていた。
「――こいつは、たまらん!」
しかし、その笑いが
後列に伝わる前に
周囲の兵たちの足が
ほんの少しだけ鈍っていた。
◆
(動揺)
さくらは、
それを嗅ぎ取る。
血の匂いの中に混じる
ごく微かな「迷い」の匂い。
(彼らも、
初めて見ましたね)
(自分たちの“上”)
島を駆け回り、
戦を重ね、
どこへ行っても前に出続けた男たち。
その背を見て育った兵たち。
その「上」が、
今ここに立っている。
それは、
勇猛な者ほど心を揺らす。
◆
その瞬間を、
殿の軍は逃さなかった。
丘の上――
後方で待機していた大軍勢が
一斉に旗を翻した。
合図の太鼓が鳴る。
低く、
地面を震わせるような連打。
「――行けッ!」
殿の側近が叫び、
歩兵の列が崩れずに前へ走り出す。
盾代わりの槍の列。
その後ろに続く鉄砲。
さらに後ろに、
予備兵が層を成す。
陸で何度も繰り返された
「殿の軍」の形が、
海を渡ったこの島でも
寸分違わず再現されていた。
◆
さくらの前で、
一瞬たじろいだ島の兵たちの列。
そこへ、
殿の軍が斜めから突き込んでいく。
鬼娘の大太刀が
正面の軸を割り、
そこへ大軍勢の楔が
横から打ち込まれる。
島の兵たちの足が、
初めて「下がった」。
押されて、ではない。
自分の意思で半歩退いた。
半歩。
そのわずかな退きが、
これまで一歩も退かなかった
彼らの「誇り」に
ひびを入れる。
◆
さくらは振り返らない。
背後で上がる味方の鬨の声。
足音の重み。
鉄の擦れる音。
(殿の軍)
(いつもの形)
(でも、
ここは海の向こうです)
彼女は、
ただ前を見据えたまま
大太刀の位置を
少しだけ下げた。
これ以上「武」を見せすぎれば、
ただの蹂躙になる。
恐怖しか残らない戦は、
殿の望む戦ではない。
(退きどきと、
追いどき)
(ここから先は、
殿の軍の仕事です)
さくらは、
その境目を静かに見極めながら
西の島の勇猛な兵たちが
初めて「揺れる」瞬間を、
確かに切り開いていた。




