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11.形を変える牙

――午後。


戦の熱が地に沈み、

村人の手が土と血を洗い流している頃、


風が、

また変わった。


太鼓は鳴らない。

音がないからこそ、

胸の奥で圧が膨らむ。


若侍が眉を上げる。


「……来ますね」


さくらは村の中央で、

刀を腰に差したまま空を見た。


(戻ってきたか)


先ほど逃げ延びた斥候と兵が、

恥を雪ぐためでも、

命令に従うためでもなく――


恐怖を報告したから

増援が動いた。


彼女は知っていた。


戦場で逃れた者ほど、

噂の運び手になることを。


それが今、形になりつつある。



村の外。


山道の土煙が立った。


前回の兵の二倍――いや、

三倍か。


矢面に立つのは、

命令を抱き直した兵ではなく、

恐怖を知らない顔ぶれ。


つまり、

「聞いたことはあるが見たことはない」

者たち。


その方が厄介だ。


無謀が、

一番刃を鈍らせる。



若侍が息を整える。


「……さくら殿」


「はい」


「今度は……一人で、とはいけないでしょうか」


その言葉に

彼自身が驚く。


(なぜ、助けになりたいと思った?)


しかし、

その問いは口にしなかった。


さくらは横目で若侍を見た。

その視線は硬くも優しくもない。


ただ、

“この者はまだ死なない”と

判断したような静かな色。


「あなたは斬りません」


若侍の胸に

重い何かが落ちる。


(……まだ、足りないということか)


さくらは続けた。


「ただ、見てください」


刃を抜く前の空気が、

村全体を押し潰す。


遠方の敵軍が、

布陣しようと雑に列を組んでいる。


矢など構えない。

ただ――


「前の戦より、力押しの構えです」


さくらの声は低い。


「斥候の言葉は、

恐怖と誇張で伝わります」


(つまり……敵は“怪物”を止めに来た)


若侍は悟る。


戦わずには帰れない状況が、

敵の側にもあるのだ。



村の入口に立ったさくらは、

風上に身を置く。


桃の香が外へ流れる。


敵兵の数名が、

一瞬だけ違和感で顔を動かした。


(……匂いだ)


噂どおりなら、

この女は匂いで混乱させると

聞かされているはず。


だが、

「噂として知る」ことと

「実際に揺らぐ」ことは

違う。


そして、

そのギャップが

戦場を崩す。



敵軍が太刀を抜いた。


号令は短い。

首級を上げろ――

それだけ。


さくらは一歩進む。


「村の者は下がって」


誰も逆らわない。


今度は、

先ほどのような奇襲ではない。

“戦の形”が整っている。


風が止む。


敵の第一陣が走り出した。


若侍は手を刀にかける。

だが、さくらの声がそれを止める。


「まだです」


(まだ……?)


敵が迫り、

距離が詰まり――


次の瞬間、

さくらが踏み込んだ。


最初の斬撃は、

一人を越えて、

二人、そして三人をまとめて断った。


前列の身体が

斜めに崩れる。


その光景に、

後列の兵が

言葉を失った。


(まただ……

一人で戦線を割る)


第一陣が裂け、

乱れた空間が生まれる。


そこへ、

さくらは滑り込んだ。


怯える兵を狩るのではなく――

“武器を振るおうとした者から先に”

落としていく。


戦いを知る者の

順番。


敵は怯まないようにと

号令をかけるが、

声は届かない。


なぜなら――

誰も彼女を理解できていないからだ。


この戦いは戦闘ではない。


処理。


兵士は

命令と誇りを持って来たのに、

それが意味をなさない。


背を向けた者から死に、

立ち向かった者も死に、

ただ戦場は静かになるだけ。


若侍は震えた。


(この人は――

本当に、一人で終わらせてしまう)


桃の香が

血と土の匂いを打ち消し、

戦場に似つかわしくない

“凪”を生み出す。



再度の増援は、

多数であっても

機能を失っていた。


逃げる者が出る。

怯む者が出る。


前線が崩れ、

列が乱れ、

兵が散る。


戦う意思は、

もう残っていなかった。


さくらは

振り返らずに言った。


「――終わりです」


その声が、

戦の幕引きだった。


風が動き、

桃の香が静かに村へ戻る。


若侍はその背中を見て、

恐れではなく

畏敬と安心を同時に抱いた。


(この人は……国を変える)


村人は息を吐き、

天を仰ぐ者もいた。


一人で、

二度の襲撃を退けた女。


噂はもう、噂ではない。


事実。


そして事実は

語られるたびに

物語へ変わっていく。


---


――城の奥、

報告は思いのほか早く届いた。


血気盛んな急使が

ほとんど馬を殺す勢いで駆け戻ったためだ。


畳の上で

息を荒げながら土下座し、

その一言だけを放った。


「殿ッ――

女武者、一人で敵軍を二度退けましてございます!!」


座敷が揺れた。


家老の扇が止まる。

側侍が目を見開き、

書記が筆を落とした。


しかし、

大名だけが微かに笑った。


「ほう……」


それは、

期待が裏切られなかった笑いだった。


家老が半信半疑で問う。


「……一人、とは?」


急使は顔を上げ、

声を震わせた。


「さくら殿が……

最初の襲撃を一太刀で崩し、

逃れた敵が増援を引き連れて戻りましたが、

再び――

その者一人で……」


言葉がうまく続かない。


戦場で何が起きたのか、

彼自身の理解が追いついていないのだ。


殿は杯を手に取り、

ゆっくりと傾けた。


「なるほど。

“異物”は異物らしく働いたか」


家老が慎重に言う。


「殿……

このままでは家中が乱れます。

侍が女に従う前例など――」


「前例を作れ」


殿は淡々と切り捨てる。


「戦で使える者を

男女で測る時代は終わる」


その一言が、

座敷の空気を裂いた。


側侍たちが

憤りと困惑を押し殺す。


(殿は……

本気であの女を旗印にするのか?)


殿は続ける。


「この戦果を

城下と家中に示せ」


家老が顔色を変える。


「殿、それでは侍たちの面子が――」


「面子がなんだ?

面子で村が守れるか?

面子で敵が退くか?」


殿の声は静かだが、

全員の胸を打つ力がある。


「……変わる時は、

常に異質な者が前に立つ」


殿は急使に命じた。


「報告を広めよ。

あの女は――

我が軍の“影”にして“刃”であると」


急使は深々と頭を下げ、

走り去っていく。


座敷が騒然となる。


侍が囁き、

家老は沈痛な顔で扇を閉じた。


「……殿は

あの者を国の顔にする気か」


殿は杯を置いた。


「まだだ。

あやつの刃こぼれを見よ」


家老が怪訝な顔をする。


殿は薄く笑う。


「戦える者は、

次の戦いに向けて

刃を研ぎ直す」


障子の外の風が

庭を揺らす音が響き、


殿は

誰に聞かせるでもなく呟いた。


「――あやつは

ここで終わらんよ」


その言葉は、

未来を示す“予告”だった。


家中はざわめき、

城下は沸き立ち、

敵国は怯え始める。


噂はもう噂ではない。


一人の戦が、

国の形を

変え始めた。

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