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槍と大太刀が、

何度も空中で噛み合った。



金属の音が、

短く、鋭く、幾度も弾ける。


男は、

槍の間合いを決して譲らなかった。


踏み込み。

半歩の退き。

馬の首をわずかに振って

槍の角度を変える。


(力に付き合うな)


(刃を受けるな)


(触れた瞬間に、

 流し、逸らし、潜り抜けろ)


そのたびに、

穂先はさくらの肌すれすれを通る。


袖が裂ける。

髪が揺れる。

頬に、冷たい風が走る。


ただの一突きでも、

命を奪う軌道だった。



さくらもまた、

ひたすら「受け止めない」剣を振るっていた。


大太刀を、


振り下ろさない。

振り抜かない。

叩きつけない。


刃を寝かせ、

峰を使い、

柄で押し、

ただ槍の芯をずらし続ける。


(殺さない)


(殺してはならない)


(でも――)


(“通す”必要はある)


腕に、

何度も重さが乗る。


槍の芯が太く、

しなりが強い。


(いい槍ですね)


(いい腕です)


心の中で、

まるで稽古相手に告げるように呟く。



やがて、

互いの息が僅かに荒くなり始めた。


男の額に汗。

さくらの襟元に汗。


どちらも、

まだ一歩も引いていない。


その瞬間。


ほんの一刹那。


槍の穂先が、

少しだけ深く差し込んできた。


これまでより半歩踏み込んだ突き。


(――来た)


さくらの視界が、

すっと澄んだ。



大太刀の柄を、

逆手に取るように握り替える。


刃をわずかに寝かせて、

穂先の真下をすくう。


槍の芯が、

かすかに浮いた。


男の目が、

驚きでわずかに開く。


(避けた――)


次の瞬間には、

さくらの身体が内側に入り込んでいた。


槍の間合いの「内側」。

男にとって最も触れられたくない距離。


大太刀が、

軽く振り上げられる。


質量のあるものとは思えない滑らかさで、


上から下へ。

斜めに。


すっと、

一本の線が引かれた。



遅れて、

布の裂ける音がした。


鎧の隙間。

胴の肉。


さくらは、

刃をそこで止めた。


もっと深く振り抜けた。

骨ごと断ち切ることもできた。


だが、

そうはしなかった。


あくまで「袈裟」。

深くはあるが、

命綱を外さない角度と深さ。


男の身体が、

半歩遅れてよろめく。


槍が、

指の間からこぼれ落ちた。



血が、一筋だけ。

布の上を伝って落ちる。


どっと、

周囲の空気が揺れた。


言葉も悲鳴もない。


言葉の前に、

息を飲む音だけが重なり合う。


(通した)


さくらは、

大太刀をすっと引き、

刃を振って血を払う。


鋼の線は、

まだ冴えている。



男は、

片手を胴に当てた。


指先に触れる熱。

ぬるさ。

確かに深い。


だが、

内側まで抜かれてはいない。


(……命には、届いていない)


不思議と、

痛みより先にその感想が浮かんだ。


立っていられる。

足も動く。


ただ、

胴のど真ん中に

一本の線が刻まれた。


これから何十年経っても、

鏡を見れば

必ず目に入るであろう傷。


初めての傷。


「……やられたな」


男は、

低く笑った。


負けて笑う顔ではなかった。

悔しさと、

どこか晴れやかなものが混じった笑い。



さくらは、

彼が倒れないことを確認してから

大太刀を肩に乗せた。


(手当てをすれば、

 命には関わりません)


(ただ――)


(槍を構えるたびに、

 この傷が疼くでしょう)


(“鬼娘の刃は、

 二度目は致命になる”と)


身体に刻むための線。


殺さずに、

しかし確実に残すための線。



陣中は、

誰一人として声を上げなかった。


「狸に過ぎたるもの」が

初めて血を流した。


それは、

矢が一本飛んだよりも、


城が一つ落ちたよりも、


この陣にとっては重い事実だった。


さくらは、

静かに口を開いた。


「――ひとまず、

 槍の切れ味はよく分かりました」


声は、

驚くほど穏やかだった。


「これ以上は、

 無用な血となりましょう」


「本来の用件を

 お伝えしてもよろしいでしょうか」


まだ槍を持つ兵たちの前で、

鬼娘は一歩も退かず


だが誰の首も狩らぬまま、

「話の場」を作り上げていた。


男の胴から、

じわりと血が滲んでいた。



「下がれ!」


ようやく、誰かが声を張り上げる。


槍を構えていた兵たちが、

慌てて男のもとへ駆け寄った。


さくらは動かない。


大太刀の切っ先を地に落とし、

ただ静かに男の様子を見ている。


「……手当てを」


そう言ったのは、当の男だった。


息は荒い。

額には汗。

しかし、声はまだ澄んでいる。


「命には障らん」


「ただ――」


指先で、

胴を走る火傷のような痛みをなぞる。


「二度と、

 忘れられぬだろうな」



周囲の兵たちの視線が、

さくらと男のあいだを行き来する。


「狸に過ぎたるもの」が、

初めて血を流した。


それでもまだ立っている。


鬼娘は、

いつでももう一度振れる距離にいるのに、

振らないでいる。


その事実が、

何より重かった。



「……鬼娘」


男が、さくらを呼んだ。


さくらは、

わずかに顎を傾ける。


「何でしょう」


「ここでさらに一太刀、

 振るうつもりはあるか」


「ありません」


即答だった。


「殿の命は、

 “戦を避けよ”です」


「あなたの命を奪えば、

 それだけで狸殿は退けなくなる」


「わたくしの役目は、

 あなたを殺すことではなく」


「“傷を刻む”ことでした」


男は、

ふっと笑った。


「ならば」


ふらつく足で一歩進み出る。


周囲が慌てて支えようとするのを、

手で制した。


「この傷は、

 狸様への言葉として受け取ろう」


「ここで鬼娘を斬れぬなら」


「正面から猿殿と戦など、

 なおさら出来ぬ」


男の目は、

冴えていた。


負けを悟った武人の目ではない。

次の手を読む戦人の目だった。

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