10.欠けた刃
――静寂の中。
さくらは、
刃をわずかに傾けた。
陽光が反射し、
微かな欠けが光を乱す。
刃こぼれ。
(……やはり)
大名から与えられた刀は
精錬も甘く、
打ちも浅い。
“形として侍に持たせる刀”であって、
“戦で生き抜くための刃”ではない。
戦の最中は気づかずとも、
終わってこうして見てしまうと
事実は残酷だった。
さくらは短くため息をつく。
「安物ですね」
その独り言は
誰の耳にも届くほど小さくない。
近くにいた若侍が
気まずそうに目を伏せた。
「……お恥ずかしい限りです。
城の武具庫の質は……」
さくらは首を振った。
「恥じるのはあなたではありません。
支給する側です」
その言い方には、
怒りはなく、
失望でもなく――
ただ、
“無駄を嫌う者の冷静さ”。
刃を親指で撫でる。
欠けは小さいが、
次の戦では命を分けかねない。
「一太刀ごとに…
刃面が泣いていましたね」
村人の耳には
その言葉の意味が分からない。
だが若侍は、
その評価が
刀ではなく
“戦を軽んじている家中”に向けたものだと
気づいていた。
「殿は、
私を武器として扱うつもりなら――」
さくらは長身の影を伸ばし、
刃を鞘に納めながら言う。
「刀もまた、
その価値で扱うべきです」
若侍は思わず息を飲んだ。
(……この人は
家中の者として扱われていないことを
理解している)
彼女は“実験される駒”にすぎない。
だが、
その認識を嘆くことはせず、
淡々と現実を整理している。
さくらは、
ひとつしかない刀を腰に返す。
「この刃が欠けるなら、
次は……」
風が少し強まり、
その言葉をさらう。
だが若侍には、
その先が暗に読めた。
(自分で鍛えた刀を持つ……
そう言おうとした)
彼は勇気を奮った。
「私の領に、
腕の立つ鍛冶がいます。
お望みなら――」
さくらは若侍の申し出を
聞き終わらないうちに
軽く首を横に振った。
「刀は……
人に作らせるものではありません」
その言葉に、
若侍は耳の奥が熱くなる。
(戦う者は、
自らの刃を求めるか……)
さくらは歩き出す。
「――戻ったら、作ります」
それは野心でも、
誇張でもなく。
ただ、
武器を選ぶ者なら
当たり前に言う言葉。
その背中に、
若侍はひれ伏したい衝動を覚えた。
(これほどの力が、
その器に見合わぬ刃を持たされていたのか……)
周囲の村人も、
その短い言葉の端に
“戦の女の不満”ではなく、
一人の戦士が、自分の武を正確に理解している姿
を感じていた。
さくらの背は大きく伸び、
風に匂いを流す。
刀の刃こぼれは、
彼女にとって
――戦の続きへの布石でしかない。
---
――刃こぼれを見終えると、
さくらは刀を腰に戻し、
村の中央へと歩いた。
血の跡がまだ湿っている道。
倒れた敵兵と、
それを遠巻きに見る村人。
誰も声を掛けない。
ただ、
彼女が何を言うか待っていた。
さくらは立ち止まり、
短く言った。
「動く人は、死んだ者から離れて」
村人がぎこちなく距離を取る。
若侍が頷き、
侍たちが周囲の確認に散った。
さくらは続ける。
「斬った者は、そのままに。
村の者は触れないでください」
その声を聞いた老人が問う。
「……弔いは?」
さくらは振り返らない。
「戦が終わるまで、
死に場所は変わりません」
それは冷酷ではなく、
戦を知る者の常識。
地方の者には受け止め難いが、
言い切ることで村の動揺を止めた。
次に、
彼女は屋根の抜けた水場へ向き、
村人に指をさした。
「水と塩を持ってきてください。
負傷した者がいるならそこへ」
村人が慌てて走る。
若侍が横につき、
問いかける。
「戦はまだ終わっていませんか?」
さくらは空を見ない。
風を読む。
「逃げた者が戻れば、
今度は数を揃えてきます」
若侍の喉が固まる。
「……その時は?」
「彼らが来る前に、
村の人を動かす」
そう言って、
彼女は家族連れに向き直った。
「子どもと女は、
山のあちらにある祠まで下がってください」
指先で尾根を示す。
村人たちは迷いなく従った。
怯えていた者ほど、
声をかけられることで
“自分にも役目がある”と理解する。
次に、
侍たちに向ける。
「あなた方は残ります。
村人の背は守らず、
敵が来たら前に立ってください」
侍たちが息を飲む。
守る、ではなく――
盾になることを命じられた。
だが、
不思議なことに拒否の声は出ない。
あの戦いを見た今、
自分たちが何の役割を担うかを
痛いほど理解していた。
さくらは最後に短く言った。
「命を張る覚悟ができない者は、
今、逃げてください」
誰一人動かない。
それは忠義ではなく、
“逃げれば死ぬ”のが
この場の真理だと理解しているから。
さくらは頷いた。
「では――
戦に備えましょう」
その声音に、
村人も侍も
恐怖ではなく、
方向を得た安心
を感じた。
備えるとは
武器を取ることだけではない。
子を隠し、
傷を縫い、
動ける者を配置につかせること。
それを、
戦の女が教えている。
若侍は
その一連を見ながら、
初めて理解する。
(この人が戦で強いのは、
斬るからじゃない……
戦の「型」を知っているからだ)
風が匂いを運ぶ。
桃の香が
村の恐怖を薄く塗り替える。
さくらは、
村の中心に立ち直り、
刀の柄に指を置いた。
この村は
すでに彼女の“戦場”となった。
そして――
次の波が来ることを、
彼女は静かに待っていた。




