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1.忘れられたい男

本編はマリウス視点です。

 

 英雄と言われる男がいた。

 先の戦争で活躍し、この国の勝利に大いに貢献した男だ。

 その男は誰もが憧れるような存在で、その一挙手一投足が注目の的だった。

 その男の言葉を行動を皆は期待し、決して忘れることのないように記憶に焼き付け覚えていた。

 そのように人々に注目され尊ばれることは光栄なことだろう。

 しかし、男はそのことを全く望んでいなかった。

 注目され、覚えられることが苦痛だった。

 言ったこと行動したことを、むしろ忘れて欲しいとさえ思っていた。



 ***



 男は名をマリウス・ホルデイクといった。

 中流貴族の三男に生まれ、跡取りになる立場でもないので良く言えば自由に悪く言えば放置気味に育てられた。

 そんなマリウスは小さい頃から失言が多かった。

 それは彼の感覚が普通の人とは違っていたから。

 彼が言ったことに対して、周りの空気が凍るような感覚。

 そんな雰囲気を何度も体感した。

 だが、その空気は慣れるようなものではなく、日に日にマリウスの中で耐え難いものになっていった。


 だから、マリウスは自分の考えを話すのをやめた。

 相手が望んでいることは何かを考えて話すようになった。

 最初のうちはそのように話そうとすることは難しく失敗もあったが、次第に上手くできるようになっていった。


 時が経ち、成人したマリウスは本音と建前を上手く使えるようになっており、会話であの嫌な空気になることはもうない。

 人生は問題なく順風に過ぎていく。

 それなりの人付き合いもする。

 けれど本当に親しい友人はいなかった。

 建前でしか話せない人間となんて心から親しくなれるはずがない。

 それに、人と話す時に本音を言えないことは気を張って疲れるため、むしろ一人でいることの方が楽だった。


 マリウスが十八歳の時、隣国との戦争が始まった。

 人生に何の心残りもないマリウスは前線への出陣を志願した。

 戦場で死ぬことを恐れずに怯むことなく戦っていたら、悪運の強いことに生き残って英雄などと呼ばれるようになっていた。


 一人でいたいのに、周りに人が集まってくる。

 鬱陶しい。

 そう思うが、誰かにその本音を言うこともできない。

 周りのことを気にする余裕のなかった戦争中の方がずっと楽だった。

 せっかく平和な世の中になりつつあるのに、また戦争が起こらないかと不謹慎なことを思ったりもした。

 それを誰かに話すこともできないのだけれど。


 英雄が独り身でいることを周りや上の人間は良しとしない。

 優秀な遺伝子は残すべきだと口うるさく言ってくる。

 マリウスは内心辟易しつつも、やはり愛想良く無難なことを言って返す。


 だが、マリウスは何と言われようと結婚する気はなかった。

 政略結婚などの愛のない結婚など巷にはありふれているが、わざわざそんなものをする気はない。

 長男ではないし、家を継ぐ必要もないのだから結婚は義務ではない。

 夫婦となれば必然的に一緒にいる時間が増える。

 会話をすることも少なくないだろう。

 そして妻となった人物は自分の夫が話すのであれば、熱心に耳を傾けて言った言葉を覚えていようとするだろう。

 マリウスにとって、そのことが一番の恐怖だった。


 自分の言った言葉を相手が覚えている。

 普通の人間だったら、それは嬉しいことだろう。

 むしろ、忘れられる方が不満に感じるだろう。

 だが、マリウスは自分が伝えたかった言葉を忘れられるよりも自分の失言を覚えられている方が耐え難いことだった。


 何か一つだけ願い事が叶うのだとしたら、自分が話した相手の記憶を消すことのできる力が欲しい。

 そうすれば失言に怯えることなく自由に話すことができるから。

 そんな叶いもしない願いをマリウスはいつも胸に抱いていた。



 ***



 まさに運命の巡り合わせ。

 それは、古い友人の墓参りへの道中だった。



 マリウスの学園時代に少しの間、寮で同室だったヘルハルトという人物が半年前に馬車の事故に遭い亡くなったと聞いていた。

 機会が取れずに今更ながらになってしまったが花を手向けようと、マリウスは彼が眠るこの地へと訪れていた。


 小高い丘の上に彼は眠っているという。

 その丘は春になり、黄色い花が咲き乱れていた。

 その花々を眺めながら歩いていたマリウスの目に、不意に花以外のものが入り込んできた。

 フリルのついた可愛らしいドレスに身を包んだ少女がそこにはいた。

 マリウスには少女と婦人のドレスのデザインの違いなど知りえなかったが、彼女の身につけるものには何となく幼い印象を受けた。

 しかし、その少女に近づくにつれてマリウスは自分の持った印象が間違っているのではないかと思い始めた。

 遠目に見た時は十歳くらいの少女だろうと何となく思っていたが、そばに来た時には十五、六歳くらいにも見えた。


 普段子供と関わる機会はほとんどないので、年齢感が掴みにくいのだろうか。

 そんな風に思い少しの違和感を覚えつつも、マリウスはその女性の横を会釈でもしてそのまま通り過ぎようとした。


「お兄さん、こんにちは!この丘の上には何もないけど、お花を持ってどこへ行くの?」


 だが、彼女と目が合った瞬間、マリウスは突然に声をかけられた。

 想像していたよりも舌足らずな幼い話し方だ。

 そんな予想外の少女の様子にくわえ、急に声をかけられたことにマリウスは少なからず驚いた。

 しかし、動揺を表に出すことなく、すぐに冷静にいつも通り無難なことを言ってその場をやり過ごそうと口を開いた。


「はじめまして、親切なお嬢さん。この丘の上には知り合いの墓があると聞いて来たんだ。俺が場所を勘違いしたかもしれないな。せっかく来たから丘の上まで登ってみることにするよ」


 マリウスは愛想良く少女に笑いかけてそう言った。

 マリウスは墓の場所が間違っているとは思っていない。

 少女の方が勘違いしているのだろうと内心では思っている。

 だが、わざわざ指摘することでもない。

 そんな風に言葉を選べば、いつも上手くやり過ごせるから。


「そうね。お花の中を歩くだけでも楽しいものね。私もよくここに来てお花で遊んでいるの。可愛いでしょ」

「うん、上手だね。素敵だよ」


 マリウスは少女の手元に目をやった。

 丘に咲いた花を摘んで花かんむりにしている。

 少女の見た目は成人女性に近いものではあったけれどやはり行動も幼かった。

 小さい頃も女の子と遊ぶことのなかったマリウスはそう言った遊びがあることは知っていたが、実際に見るのは初めてだった。

 正直、花かんむりの良し悪しは分からないが、褒めておくに越したことはない。

 マリウスの反応に少女は満足そうな表情だった。


 マリウスは最初は面倒なことになったと適当に返してその場をすぐに立ち去ろうと思っていた。

 だが、雰囲気の柔らかい彼女自身が花のような少女と話すことは苦ではなかった。

 むしろ、もう少し話したいとさえ思っていた。


「この花かんむりは私のお兄ちゃんにあげるつもりなの。一生大切にしてねって言うのよ」


 機嫌よくかんむりを自分の頭に乗せた少女はその場をくるくると回った。

 そんな子供っぽい様子に気が緩んだマリウスは、つい思ったことをそのまま言ってしまった。


「男ならそんなかんむりはいらないんじゃないか?それに一生は無理だろう。すぐに枯れるだろうし」


 その言葉を聞いた少女はピタリと動きを止め、花かんむりを頭から外すとムッとした顔をしてマリウスに向き直った。

 そんな少女を見たマリウスはしまった、と内心酷く焦っていた。

 余計なことを言ってしまったことには少女の反応で気づいていた。

 どう取り繕うかとマリウスが思考を巡らせているうちに、少女の方が先に何かを思いついたようにあっと声を上げた。


「お兄さんの持ってる花って、ここに咲いてる花と同じだよね。いっぱい咲いてるのにわざわざお店で買ってくるなんて可笑しいの。それにその花は追悼の花でも何でもないのにお墓に持って行こうとしてたなんて変わってるね」


「それは……花のことはよく知らなかったんだ」


 少女はマリウスの間違いを指摘できて、してやったりという顔をしていた。

 いつもの冷静なマリウスならそのことを先ほどの失言から少女が機嫌を直してくれるきっかけになったと良い方に解釈できただろう。

 だが、久々に失言に混乱していたマリウスはさらなる自分の失態を酷く後悔し、耐え難いほどの羞恥を感じていた。

 ごちゃごちゃになった頭で、何としてでもこの場を上手くやり過ごせないかと必死に考えていた。


「きゃっ!?」


 そんな中、目の前の少女が急に声を上げて手に持っていた花かんむりを取り落とした。

 少女の視線を追うと、花の匂いに誘われてやってきたと思われる蜂が飛んできていた。

 目の前の少女は怖がっている。

 どうにかしなければ。

 反射的にそう思ったマリウスはほとんど何も考えることなく体が動いた。

 近づいてきた蜂を払って叩き落とし、また飛んで来ないように靴底で踏み潰した。

 これでもう危険はない。

 少しは挽回できただろうかと少女の方を見たマリウスだったが、その先にはさらに引き攣った表情を浮かべた彼女がいた。


「虫は苦手だし近くに来たのは怖かったけどここまでするなんて……かわいそう」


 この丘には暖かい日差しが降り注いでいるというのに、この二人の周りにだけ凍りついたような空気が流れていた。

 最近はほとんどなかったその感覚に、マリウスは耐えられなかった。

 そして、少女に一言も声をかけることもせず、その場から逃げるように立ち去った。




 最初に花かんむりのことを指摘したのが間違いだったかもしれない。

 でも、後で彼女が失敗するよりも気づいた時点で教えた方が親切だと思ったんだ。

 花はもっと調べてから買えば良かった。

 死者に手向ける花さえ知らなかったのは馬鹿だった。

 でも、蜂を殺したのは間違いではなかったはずだ。

 もしかしたら、蜂に刺されて怪我をしてしまうかもしれなかったのだから。

 それでも、もっと穏便に済ませる方法もあったかもしれない。


 あのまま墓参りもせずに宿に戻りベッドに蹲ったマリウスは一人、少女との出来事について考え続けていた。

 あの時、こう言うのではなくああ言えば良かった。こうすれば良かった。

 そんなことをぐるぐると考える思考が止まらない。


 もう気にするのはやめようと決意しても、ふとした時に思い出して悶絶する。

 こんなことは久しぶりだ。

 久しぶりだから、こんなにも耐え難い気持ちになっているに違いない。

 マリウスはそう思った。そう思い込もうとした。

 名前さえ知らないあの少女に二度と会わなければ何の問題もない。


 そう思えば安心できるはずなのに、それと同時に心がざわついた。

 子供っぽい少女の雰囲気の奥にどこか大人な印象もちらつくような不思議な彼女。

 忘れようと思っても、忘れることができなかった。


 ああ、今日の出来事を忘れて欲しい。

 覚えていて欲しくない。

 彼女の今日の記憶が消えて、もう一度やり直せたら良いのに。


 そんな幾度も願った叶うことのない願いを、マリウスは考え続けるのをやめることができなかった。



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