幕間3.商人と英雄の男
とある街の商人の男はある商談の帰り道、未だに興奮を抑えることができなかった。
何故なら、その日は初めて英雄の家に行ったからだ。
馬車に揺られながら、男は密かに持ち歩いている手のひらサイズの英雄の肖像画を見つめる。
さらに高まった気持ちに叫び出してしまうのを堪えるように、息を吐いた。
商家の家に生まれた男は小さい頃から冒険録や英雄譚が好きだった。
非日常のハラハラドキドキする展開、どんなピンチにも諦めない強い心。
そして、主人公が皆、勇まく人格者であった。
男はそんな物語の主人公たちに憧れを抱いていた。
だが、自分もそうなりたいというようなものではなく、彼らを一目見たい、彼らと関われたらどんなに幸せか。そんな思いだった。
月日は流れ、成人した男は家の仕事を継いで商人となった。
忙しい日々の中、子供の頃の夢は夢として忘れ去られていた。
それに、自身の冒険録を書いた人物と実際に会うような機会があったが、傲慢で思い描いていたような人物とは違っていた。
夢と現実は違うものなのだと、身を持って実感した。
そしてさらに月日は経ち、この国と隣国の間で戦争が始まった。
戦争中は小さな街の商人なんて厳しいばかりで、早く終わってほしいとそればかり考えていた。
そして、そんな辛い日々の中で子供の頃に夢中になっていた英雄の物語を思い出した。
現実にはそんな存在はいるわけがない。
英雄が現れて戦争を終わらせてくれるなどあり得ないと、頭では分かっている。
しかし、失いかけていた童心が、心の中で期待するのをやめられなかった。
戦場でなくても生きていくのがやっとの日々の中、ついに終戦の時が訪れた。
この国の勝利と共に。
人々はこの知らせに皆、歓喜した。
そしてその勝利は一人の英雄によるものだと噂されるようになった。
前線からも王都からも遠い男の住むこの街には、噂程度の話しか入ってこなかった。
英雄が敵国の大将を打ち倒した。
撤退直前だった軍を鼓舞し、立ち直らせた。
歴代の戦争よりも前線での戦死者が少なかったのは英雄の功績によるもの。
そんな聞けば聞くほど輝かしい話を耳にする。
きっと、話に尾鰭がついたものなのだろう。
実際に英雄と呼ばれる人物と会うことがあれば、その想像と違って落胆するに違いない。
男はそう思いながらも、英雄の話を聞かずにはいられず、心のどこかで期待するのをやめられなかった。
夜遅く、男はベッドの中で子供の頃に一番好きだった冒険ものの小説を開いた。
その主人公は空想上の生物で人に害をなす魔王という存在を打ち倒し、世界に平和をもたらした。
様々な困難の末、圧倒的な存在にも諦めずに立ち向かい、魔王にとどめをさした。
主人公がいなければ成し得なかったことだろう。
だが、主人公は言うのだ。
“俺一人の力では決してない。仲間の助けがあったからこそだ。それにこの世界に平和が訪れたなら、それでいい”
決して驕らず、謙虚に優しく微笑む。
男は本を閉じて、その余韻に浸った。
一番好きなシーンだ。
現実にはこんな英雄がいないことは分かっている。
でも、もしこの国の英雄がそんな人物だったら。
そんな想像ばかりしていた。
終戦からしばらく経った頃、英雄の噂話も落ち着いてきて人々の関心も薄れてきた頃、領主から商人の男に話があった。
この街のある屋敷をあの英雄が購入したと。
王都から離れ落ち着いたこの土地で過ごすことを決めたとのことだから、不自由がないように対応してほしいと。
その話を聞いた時、男は耳を疑った。
英雄が。この街に。来る。この街で暮らす。
思ってもいなかったことにかろうじて返事はしたものの、男はすぐにその事実を受け止めることができなかった。
本物の英雄に会うことができる。
幸運なことだ。
だが、やはり思い描いていた人物と違っていたらと思うと不安になる。
それならこのまま想像の中での英雄を見ていた方が幸せなんじゃないだろうか。
そんな正反対な二つの葛藤を抱えて、鬱々とした日々を過ごしていた。
そして、英雄はこの街にやってきた。
初めて英雄と顔を合わせた時、胸の内の期待と懸念が入り混じったような感情を態度に出さないように心がけるのが大変だった。
「何かご入用のものがあれば、何でも言ってください」
「ありがとうございます。色々とお世話になると思うので、よろしくお願いします」
自己紹介を終え、言葉を交わしてみると英雄の印象は悪いものではなかった。
商人の男に対しても対等に丁寧に接する。
そして別れ際、商人の男は社交辞令も込めて英雄を持ち上げるようなことを言った。
「この国を救った英雄のあなたと取引できるなんて、こんな光栄なことはありません。英雄様のお望みであれば、どんなものでもお持ちします」
「そんなに私を特別扱いしないでください。私は英雄とは言われていますが、この国に平和が訪れたのは私一人の力では決してありません。戦っていたみんなが英雄なのですから」
その言葉を聞いた時、男は胸を強く打たれたような衝撃を受けた。
まるで冒険小説の主人公のような言葉。
目の前の人物はまさに男が思い描いていたような英雄そのもの、いやそれ以上の人物だったから。
「いえ!あなたが英雄です!あなたこそが英雄なのです!」
男は胸の内の興奮を抑えることができなかった。
英雄に思いをぶつけずにはいられなかった。
英雄はその男の話をにこやかに聞いてくれていた。
これからの仕事が、いやこれからの人生そのものが楽しみで仕方がない。
男はそう思わずにはいられなかった。




