疑惑から
湯船に浸かり南乃花は手足をグッと伸ばす。今日は色々あったから体が疲労しているのを感じた。あの男は一体誰なのだろう。以前ストーカーになっていた八谷匠とは違う気がするが背格好は似ていた。だが彼は今行方不明なはずだ。何度か警察が来て被害者である南乃花が警察から失踪に関与していると疑われたのだ。
なぜただ生きているだけで狙われていた自分が疑われなければならないのか。その無常に軽く絶望する。南乃花はそれからしばらく家に引き篭もった。もう生きていることが嫌になって何度も命をたとうと考えた。部屋に引きこもり部屋の中央には首を吊るロープを設置して毎日それを見て過ごした。
そんな中、唯一の希望は雅也の手紙だった。メールや電話ではなく毎日違う封筒と便箋でなんということもない日常を綴ったその手紙からは彼の優しい心が滲み出していた。もちろん秀治と菜摘からのLINEも嬉しかったが、それは既読スルーする日々だった。返信することが億劫だったのだ。もちろん雅也の手紙にも返事は書かなかった。
引き篭もって1ヶ月が過ぎた頃、突然雅也が部屋の前までやってきて扉越しに南乃花に今日あった楽しかったことを話し始めた。もちろん手紙もつけて。久しぶりに聞く雅也の優しいトーンの声は耳に心地よく、ずっと張り詰めていた糸がぷつりと切れて涙が止まらなくなった。そして扉を開けると雅也に飛びついてぎゅっと抱きついた。その頃南乃花は数日に1回しかお風呂にも入っていなかったので、多分匂いも酷かっただろうに、雅也はそんなことを気にせずにぎゅっと抱きしめ返して頭を撫でてくれた。その時改めて思った。自分がどれだけ雅也のことが好きなのか。
「雅也あ…悔しい。悲しい。寂しい」
「うん。そうだね。悔しいし、悲しいし、寂しかったね」
雅也はただ南乃花の言葉を繰り返してその全てを受け止めてくれた。変な押し付けを一切しない雅也の態度にずいぶん癒された。それからだった。南乃花はまた学校に通えるようになったのは。もちろん雅也が毎日迎えに来てくれて、途中で秀治も合流してからだけど。久々の学校は緊張したが、元々学友たちは南乃花のことを遠巻きに見ているだけなのでその反応は痛くも痒くもなかったけど、菜摘に泣かれたのは心が傷んだ。ずっとLINEに既読スルーしてしまったことを詫びて抱きしめあって少し泣いた。