七 色町
翌夕、土気色の顔をした舟吾郎と欣芽臺の二人を乗せた舟は、紀ノ川沿いの小さな港に着いた。
「まだ、地面が揺れているようでござる。もう舟には懲りました」
欣芽臺が頭を振る。
「まったく、大地がこんなに素晴らしいものだとは知りませんでした」
舟吾郎も、うつむいていた頭を持ち上げた。視線の先に和歌山城が見える。
「沢尻殿、紀州殿の城でござる。あの城の向こうの南側へ進めば、田辺そして、木生い繁る熊野ですね」
「そう、そして反対に、この紀ノ川を渡って北の山を越えれば、和泉、その先は大坂になります」
「さて、峰下はいずこへ」
「南の山中に入ったのであれば、まず見つけられますまい」欣芽臺が腕を組む。
「峰下が、この後も山間で隠遁生活をし、天狗にでもなろうと思うのであれば、山中に入るやもしれませぬの」
「はあ、だが、一度贅に慣れた峰下はその様なことできないのでは。相当な金品を持ち出したとのこと、であればまず銀なりに取り替えるため大坂に出るのでは」
「しかし人目につきましょう」
「いや、葉は森に隠せといいます。市中に入ればこれも隠れるに適当やもしれませぬ」
「そう考えるのが、やはり自然ですな」
と舟吾郎が言うと、欣芽臺も大きく頷いた。
「では、大坂へ急ぎましょう」と舟吾郎が言うと、
「今からですか」と、とたんにうかぬ顔になった欣芽臺を引っ張り、二人は紀ノ川の渡し舟に乗り込んだ。
藩の大坂蔵屋敷に寄居して、ふた月ほど探し回ったが、峰下の手がかりは全くつかめなかった。
自分たちは討手としては失格なのではないか、もう切り上げるべきだと、舟吾郎は思い始めていた。雨など降ると、さすがにやる気が失せる。だが、そんな時でも欣芽臺は、日々変わらぬ熱意で手がかりを求め歩き回っている。そのひたむきな姿を見ていると、本当にこの男と来てよかった、この男が父の部下でよかった、と思える。いますごすごと戻れば、城代、ひいては殿に申し訳が立たぬ。
この日は、暖かい日差しに土や木々の葉が何かを応えて、そこいらじゅうに漂わせている初夏の香りが芳しかった。
半日歩き回り汗みずくになった二人は、茶屋で休みを入れた。
「あとは、新町。ですな」
欣芽臺が団子を頬張りながら言った。
新町は、大坂の色町である。吉原同様幕府公認であるが、それゆえに厳しい決まりがあり、客は一日一夜以上の長居はできないことになっている。このため、新町に峰下がいることはないだろう、と考え、二人はまだ足を踏み入れていなかった。
「遊びにいく、ということもありますからね」
と、欣芽臺は自らの望みをつなぐように言う。
「十日ほどは張ってみますか」
まだ、陽が入るにはしばらくかかりそうだったが、とにかく行くことにした。
舟吾郎は東大門、欣芽臺は西大門から入ることにして、二人は新町近くの四ツ橋で分かれた。
東大門を入ると、いきなり後ろから声を掛けられ、驚いた舟吾郎は、刀に手をやって振り返った。
「いやいやいやいや。お待ちくだされ」
歯の出た小さな男が飛び上がりそうになった。
「お客はん、傘、お使いにはならしまへんか」
「なんだって?」
「編傘ですわ。顔、見られとうないんと違いまっか」
「なぜ」
「なぜって、お武家さんで、堂々と顔出してる方おらしまへんで」
「なに」
「ほんまでっせ」
「金をとるのか」
「そんな無粋な。この町でたんまり使うてもろてんのに。ただでお貸ししてます」
「……そうか、では、一つ借りようか」
「はい、どうぞ。お帰りにそこの番所にお返しください」
と小さな男は編笠を一つ舟吾郎に渡して番所に戻っていった。
有難いこともあるものだ、と思いつつ被ったが、すぐにこれを峰下が被っていたら、発見できないではないか、ということに気づいた。
――やむを得ない、大門の外で見張るしかあるまい。
と思って顔を上げた時、
はっ、とした。
目の前を見覚えのある女が通ったのである。
太夫か天神か、何と呼ぶのかよくわからないが、禿を一人従え、ゆっくりとした歩様で、歩いていく。
――しの、だ。
――しのに違いない。あの、田圃で救ってやったしのだ。あの目をしていた。化粧をしていても分かる。あの目は、しのだ。遊女になったのか……。
足は自然と、その後に付いていく。二間ほど離れたが、付いている十にもならぬ小さな女の子が気づき、ちらちらと舟吾郎を見る。その禿が何かしのに言ったが、しのはまるで気にせずに歩き続ける。
やや歩いた後、しのは右手にある大きな店に入った。正面に島津屋、という看板が掲げてある。
舟吾郎は、続いて入ろうとした。
すると、女中なのか、年配の女性が舟吾郎の前に立ちはだかった。にっこりと微笑んでいる。
「お武家はん。お遊びでっか?」
身なりのよくない武士が払えるような額で遊べる店ではないのだろう。そのくらいは舟吾郎にもわかった。
「今の子は」
舟吾郎が訊くと、女はさらに笑みを増した。
「惚れなさいましたのやな」
「いや、そうではない。名を知りたい」
「お武家はん。なんぞあの子の関わりでっか?」
「いや、そうではないんだが。名は?」
「あの子は、しじまと言う天神はんや。静かに寂し、と書いてしじま」
「しじま……。どうすればあの子に会える」
「あら、やっぱり惚れなすったんや」
「いや違う」
「まあまあ。照れんでもよろしいやん。あの子は、その先の花車という置屋におりますん。で、どこか茶屋で遊ぶ時に呼んだらよろし。まあ、遊ぶなら島津屋が一番です」
「……。島津屋で遊ぶんなら、いくらかかる」
「ははははは、お武家はん。そんな、いくらかかるか気にする人、遊べへんわあ」
このばばあ。と言葉も息も呑み込んで、深呼吸して、帰ろうと後ろを向いたら、欣目臺が立っている。口元がにやにやしている。
「さ、沢尻殿」
「しっ」
「ん?」
欣目臺が後ろから見えないように、後ろを指さした。
道の反対側を傘を被った武士が通っている。隙のない足運び。
「お」
ちらと見えた脇差、鞘は、紛れもない、舟吾郎が蔵奉行方で見た峰下の物に違いない。
――沢尻殿は、これでにやにやしていたのか。
「しかし……」
舟吾郎は視線を峰下に向けたまま腕を組む。
「しかし、何ですか?」欣芽臺も、峰下の動きを追う。
「なぜ、あんな目立つ物を差しているんだろう」
そう言われると、と言いながら欣芽臺も腕を組んだ。
「見つけてくれと言わんばかりではないですか」
「見つかっても、むざむざやられはしないという、自信ですか。挑発ですか」
「そうかもしれませんね。あ、曲がります。つけましょう」
足を踏み出した途端、前に人が立ちはだかった。
舟吾郎に編笠を貸した番所の出っ歯の小男である。どこから来たのか。
「どけ」
と欣芽臺が刀に手を掛けると、
「ややややや。あきまへん」
手を広げて上下に振った。
「お武家さん。新町ではいかなる理由があろうとも、争いは禁止ですよって。あの方追っかけて何しはりますのや」
「なに」
欣芽臺の顔が憤怒に彩られた。
これを見て、舟吾郎が欣芽臺の前に出た。
「親父、何故われらがあの男と争うと思った」
「そら、わかりますわあ。お武家さんら、遊ぼうって顔じゃありまへんや」
欣芽臺の顔を見ると、いかにも新町にいるとは思えぬ顔だ。舟吾郎から笑みが漏れた。 が、すぐに表情を戻して小男に向き直った。
「親父、新町の中で争うつもりはない。が、奴は藩の罪人であり、見つけるまでにふた月かかっているのだ。後をつけねばならぬ、そこをどけ」
「大丈夫ですわ。あの方なら逗留先わかってますよって。明日にでもそちらに行ったらよろしいわ」
「何だって?」
「あの方、新町じゃもう有名ですわ。楽しく遊んで金払いも頗る良い。仲良うさせてもろてます。で、あのお方、いずれ自分らを追っかけてくる男がいるから、見つけたら宿を教えてやれ、と言われましてん」
「なんと…」
「罠ですか」と欣芽臺がつぶやいた。
舟吾郎も首をかしげる。
「本町の春日屋という旅籠におられるそうですわ」
小男は言うと、ちらと峰下の曲がっていった方を見やった。
それを見た舟吾郎は目を細め、顎を突き出した。
「おぬし、なにか奴に含まれているのではないか」
「いえ、めっそうもございまへん」
「怪しいな。峰下の連れは何人いた」
「峰下さん。あの方、峰下はんというんですな。お連れはお一人、たまに一緒に遊ばれますが、ほとんどはお一人ですわ」
「そうか……」
舟吾郎も欣芽臺も黙って何か考えている。
「まあ、いい」
舟吾郎は欣芽臺を見て頷くと、
「わかった。では、明日にでもその春日屋に行くとしよう」
と言い、欣芽臺を促し東大門に向かった。




