三 辞世
小竹弥治兵衛が城内で自裁したと、舟吾郎に伝えに来たのは欣芽臺だった。呼び出されてからちょうど一月経った師走の木枯らしの強い日のことである。
涙のあふれるままに、要領を得ない語り口で欣芽臺が語ったところによれば、藩の貯蔵米を弥治兵衛が横流ししているという告発文が目付に届いたため、目付は弥治兵衛を呼んで内密の詮議をしていたという。御用蔵の貯蔵米の出し入れは蔵奉行だけでは行えず、必ず御納戸番頭の許可証が必要となるのだが、今回はその許可証も見つかっていたらしい。弥治兵衛は決して自分は横流しなどしない、許可した覚えもないと言っていたが、不正を防止できなかったのは自分の責任であるとも言っていたという。
弥治兵衛が横流ししたという明確な証拠は出なかった。だが、無実であると証明するものもなく、正式な評定が始まってしまうと弥治兵衛の責任罰は避けられないだろうと、目付も言っていたということで、そうすれば、小竹家は間違いなく改易される。
それならば評定前に切腹にて本件にけりをつけ、家名存続を図ることはできないか、と弥治兵衛が言い出したということで、そして、その意向を殿が了承されたということだった。
「殿は、泪を流されながらのご決心だったということでした」
一月ぶりに知らせてくれた安否が「否」だったことへの大いなる失望と、死ぬまで一つの連絡も寄越さなかったことへの藩と父とへの恨みと、何もできなかった自分への怒りと、やはり殿は最期まで父の味方であったとの誇りが混ざって、それでいて、ただ悲しいという感情に猛烈に突き動かされて、舟吾郎の目から泪が際限もなく溢れ出てきた。
言うべき事を言い終えた欣芽臺は、黙ってそれを見ていた。
とよは、次の間で話を聞いていたらしい。むせび泣く声が舟吾郎の耳に聞こえてきた。すると、舟吾郎に少しだけ、考える力が戻ってきた。
――なぜ父が腹を切らねばならなかったのだ。父が腹を切ってまでしてとらねばならぬ責任とは何なのだ。腹を切って責任を取って、何を守ろうとしたのだ、本当にこの小竹家を守るためだけに命を捨てたというのか……。
遺書はなかった。
辞世は、
泰き夜の 川にひとさし 曼珠沙華
清き流れに 絶えぬ竹の根
という懐紙に乱雑に書かれ置かれているのを目付が見つけ、とりあえずこれが辞世の句なのだろう、ということで欣芽臺に託されていた。卓の上に置かれたその懐紙を舟吾郎は見つめる。
自分の身は清らかであり、清らかでありつづける限り小竹家は栄えるのだという思いが込められている。それは、舟吾郎に真実を明らかにせよと言っているようであり、またこれ以上の深追いはするな、と言っているようにも思える。曼珠沙華が何を意味するのかはわからない。
「沢尻殿」
湿った舟吾郎の声に、欣芽臺は静かに目を上げた。
「何か、真実が隠されているのではありますまいか。父は、蔵奉行方に不正があると言っていたのです」
欣芽臺の目は舟吾郎に吸い付く。
「そ、そうでしたか。それがしも、そ、何か、違う何かがあると感じておるところです」
「やはり……。では沢尻殿。ひとつお願いの儀が」
と言うと、欣芽臺は手を挙げて舟吾郎を制した。
「むろん、承知のこと。これから、それがしの納戸番の立場で、少しずつでも真相を探っていこうと思っております」
舟吾郎の目に映った欣芽臺は、今までよりも一回り大きく見えた。
父は無念であっただろうか。父らしく、何かに殉じることを誇りに思って死んでいったのだろうか。
本当は何があったのか分からなければ、その時の父の気持ちを推し量ることさえできない。だが、出発前に向後は頼む、と言い残した父は、少なくとも覚悟はあったにちがいない。だから、自分も父の死を悲しむだけでなく、とにかく強くあらねばならぬ。
欣芽臺にくれぐれも慎重に進めるよう頼み、送り出してから部屋に戻った舟吾郎は、とよを呼んだ。とよは、部屋に入ると、隅でうつむきながら控えた。涙がぼたぼたと落ちている。
「とよ。父は腹をお召しになられたとのことじゃ」
「……」
「理不尽なことよ」
「理不尽……」
とよは、顔を上げる。
「すると、旦那様は、本当は悪くないってことでっしゃろか」
「うむ。悪くはない。が、少し悪いということも間違いではないようじゃ」
と言い、とよの涙をみたら、また少し喉が痛くなった。
「これから、ご遺骸を受け取って、寺で供養してくるゆえ、今日はもう下がって良いぞ。明日からは、わしの分だけの食事でよいからの」
「はい。でも、御葬儀などはいかがされますんで」
「とよ」
「あ、はい」
「もう少し言葉遣いを武家の奉公人らしく、な」
「あ」と顔を赤らめる。存外可愛らしい。傷心も少しは癒える。
「葬儀はせぬ。そちの心の中で弔ってくれや」
「はい」
しおらしくうつむくとよを見ながら、歳上の下女とはいえ若い女子と二人きりで暮らすのはよろしくはないかもしれぬ、と思った。