橋が鳴る
わたくしのことで、ございますか?
はい。
小さな橋についております。7尺もあるかどうかの川の橋に。
腕の強い者でしたら、かるがると向こう岸まで石を飛ばす程度の川でございます。
それでも橋は、村内にはそれほど架かってはおりません。
橋を架けるのは、一大事でございますから。
いえ、このような橋ばかりではないのです。
わたくしの橋、名はうえた橋。田植えの時に昔はこのあたり、川を渡って行き来しておりました。しかし案外と深渕もあり、幼い子やか弱い女どもが何人も足をすくわれ、そのまま流されていったのです。
これではいかん、とこの村初めての石橋が架けられました。渡り初めは決まり通り、一家三代そろった夫婦が先に渡るのです。その時も、村一番の古老であった新造が荷車に乗せられ、女房のクワと息子の太一カネ夫婦、その息子のまだうら若き吉蔵とし子夫婦とが、しずしずと渡ってゆきました。
その後ろには、鉦や太鼓、笛に踊り集、餅まき、それから子どもらがぞろぞろと付いて歩き、その後には紋付き袴の役連中、後からようやく村の大半がうち騒ぎながら、橋を渡って行ったのです。
それからちょうど百年、うえた橋の少し下手の川沿い、ちょっとした賑わいができました。
地元の者たちが今では田畑も少なくなり、このままでは村が廃れてしまう、と思ったのでしょう。木を植え、草を刈り、何かと考えて人の集まる所をこしらえ始めたのです。
春は桜、夏は蛍、秋は彼岸花、と。橋の下手はずっとまっすぐ、川がのびておりますゆえ、花々の輝くさま、蛍の舞い浮かぶさまは、それは見事でございます。わたくしでもそう思うくらいですので。たまに寄った連中や土地の者が景色を楽しむうち、噂が噂を呼びまして、最近観光名所として平屋の館もできたのでございます。
しかし反対に、わたくしの橋はずいぶんと傷みが目立ってまいりました。
今度は立派な、鉄の橋を架けよう、とやはり地元の働きかけでようやく、人の寄らぬ冬時から新しい橋を架ける普請が始まりました。
しかし彼らは知りませんでした、橋の柱のすぐ元、冷たい川底の中に、その柱を支えるべく生きながら埋められた者がいたことは。
そう、わたくしのように。
子子孫孫残すこともなく、わかくして橋の安寧のために埋められたわたくしのように。
家族が対で三代揃い、渡り初めをするのは、わたくしたちを慰めるため、そして橋納めも同じことをするという、それすら知らずに彼らは橋を無造作に取り壊したのです。
普請は予定通り桜の咲く前に終わりました。
さて渡り初め、となった前の週、自治会とやらが夜桜まつりを企画いたしました。
咲き始めた桜の祭りをしたいがため、広い車停めを確保して会場の館に首尾よく人を運ぶため、彼らはなんと、まだ通行止めの板が並ぶのを取りよけて、まだ祀り済んでいない橋に、人を通してしまったのでした。
わたくしは泣きました。
その音は、今でも続いております。朝晩構わず、時折ごおぉん、と橋を響かせ、たまたま通りかかる人を驚かせるのが関の山ですが。
この真夜中に、貴方も先ほど驚いたでありましょう、橋がごおぉん、と鳴ったのに。
ささやかなる橋の呪いでございます。
普段通りかかる方々には、それは単なる音でございます、唐突に鳴る、不可思議な音。
しかし、貴方にはどうでしょう。この呪われし橋の、まだ取り付けられたばかりの橋名板を金目当てで外して持ち去ろうとする貴方には。
わたくしはどこまでも、とり憑いてまいります。
それでもよろしければ、どうぞお盗りくださいまし。
(了)