転轍
ある夏の昼下がり、どこまでも蒼い空には入道雲が泳いでいる。
〇〇駅のホームに電車が到着しようとしていた。
5人の高校生が電車に乗ろうとベンチから立ち上がる。
小旅行の帰りで皆どことなく疲れている様子だ。
「なぁ、電車一本遅らせてくれねぇ?」
「はぁ?なんで」
「腹が痛くて、トイレ行きたいんだ。頼むよ」
「…分かったよ、待っててやる。後は帰るだけだからな」
「しゃーねーな」
「早くしろよ」
「…」
プシュー
電車のドアが開く。
平日の昼下がりということもあり、座席は疎らに空いていた。
乗降を終えたドアから放たれたクーラーの冷気が彼らの身体をひやりと抜けていく。
トイレに行った克也を見送るのは、光、拓実、剛志、健二の4人だ。
「あー暇だし飲み物買ってくる」
「じゃあ、俺も着いてくわ」
剛志と健二はすぐ近くの自販機まで、ドカドカと足音を立てて歩いて行く。
二人が離れると、ミンミンと響く蝉の鳴き声と電車の唸る音だけが残る。
会話が無いとそわそわとした気持ちになる光は、新たな話題を切り出した。
「なぁ、人生やりなおせたらどうする?」
「何だよ急に」
「誰かが、そんなことを話していたんだ」
「誰か?そういうこと話すのは克也だろ」
「そうかも、まぁいいや誰でも。拓実はそういうことないの?」
拓実は怪訝な顔をしつつも、スマホをいじる手を止めて光の話題について考える。
ジメジメとした空気が満たされた駅のホームは、サウナのような熱気に満ちていた。
『この電車は ○○線 各駅停車 ○○行きです。間もなく発車します』
「早く、早く」
「急かすなよ…俺なら、3年前からやりなおしてるな」
「3年前…あのゲームの大会か」
「最後の操作ミス…未だに夢に見るんだよね。やりなおせたら絶対優勝できる」
「てっきり、もうあのゲームに興味ないと思ってた。夢に見るほど後悔してるなら、続けておけばよかったのに」
「いいんだよ。今の俺にはこれがある」
拓実は手に持ったスマホを光に見せつける。
プシュー
アナウンスが終わるとすぐに電車の扉が閉まり、次の駅に向けて発車した。
ドカドカ
電車が発車すると、飲み物を買いにいった二人がホームに戻ってくる。
「なんか話してた?」
「人生やりなおせたらどうするって…誰かいってたんだよ」
「それ俺じゃない?だって今すぐにでもやりなおしたいしさ」
「なにそれ初めて聞いた」
戻ってくるなりお喋りの剛士が、ドカっと光の右隣に座り絡みだした。
西の空がにわかに陰りを見せる。
「今すぐにでもやりなおしたい。一週間前のあの日から…」
「は?」
「そしたら真奈ちゃんに嫌われることもないからな」
「あぁ、そういうことか…フラれるのは分かってたっていってなかったか?」
「うるさい!あの時はカッコつけてただけなんだよ」
自販機で買ってきたジュースを、一気に半分ほど飲むことでごまかしているが、剛士の目元には若干涙が浮かんでいた。
「別にやりなおしたからって、真奈と付き合えるわけが」
「でもフラれる前なら普通に話かけることはできるだろ?今だともう気まずくて無理だし」
「気にしすぎだって」
「…そんなこといってもさ…俺ってかっこ悪いな」
剛士が手に持つジュースの缶が結露し、水滴が涙のようにホームの床を濡らす。
ジリジリと地球を焼くように照らしていた太陽の光が、大きな雲の影に隠れる。
同時に風も出てきたが、湿度の高い大気が絡みつくだけで、真夏の気候は四人が涼むことを許しはしないようだ。
『ご利用のお客様には大変ご迷惑をおかけします。只今、電車に遅れがでております』
「僕のIQ一千万の脳みそが、いいだしたのは拓実だと記憶しているな」
「健二、お前こないだのテスト下から数えたほうが早かったろ」
「そんな昔のことは忘れたな。僕は今を生きる人間なんだ」
「はいはい、それでお前ならどうする?」
「僕なら将来のために取っておくな」
「健二の夢って総理大臣だろ?」
「今はアメリカ大統領!狙うなら世界一でしょ?」
「だから最近英語の単語表持ち歩いてるのか」
「まぁなれなかったら、革命家かテロリストにでもなってやるよ」
「落差がすごい」
「何でもいいんだよ。俺の名前が人類史に残れば…」
ゴゴゴ…
さっきまでの晴天が嘘のように曇り、雷がうなりを上げる。
ピカッ
空が一瞬だけ光ると、土砂降りの雨が降り出した。
「お待たせ」
「克也、おかえり」
「電車遅れてるのか…急いで帰ってくる必要なかったな。そいえば何の話してた?」
「人生のやりなおしについてさ」
「また下らないこと話してたんだな…やりなおすなんて出来もしないのに」
「つまんねぇな、未来だと簡単にできるようになってるかもよ?」
雨は降り続ける。
蛇口を捻ったような雨は、この世の全てを塗り替えているようだ。
「…それが現実になるなら、案外近くにやりなおしてる奴がいるかもな」
「克也はやりなおしたいことないの?」
「ないな。だって…」
滝のように降る雨の音が会話を遮る。
その日、○○駅に電車が来ることはなかった。
彼らが乗るはずだった電車が、豪雨により氾濫した河に呑まれたからだ。