表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
anthology  作者: 森川めだか
2/26

僕の音楽の先生

僕の音楽の先生


 僕の、小学校の頃の、音楽の先生は孤独な人だった。

その先生は、ジブリの曲が好きで、給食の時間にはジブリの曲ばかりが流れていた。

細身の、美人の先生で、名前はもう忘れた。

ある日に教えてくれたことを覚えている。「一杯の水の中に墨を一滴入れたら真っ黒になる」何かの引用だろうか。幼心の私には、その話は何故か強烈に覚えている。

私は、音楽の授業が苦手で、いつも嫌がってばかりいたし、事実嫌いだった。

だが、その先生のことは、学校の先生の内、一番好きだった。いや、認めていた、というところだろうか。

その先生だけは、他の有象無象の先生とは違って、その人だけの雰囲気が有った。

存在感が、僕の中にあった。

僕は、卒業して、公立の中学校に進んだ。その後、その小学校では、何かあって、僕らの時代の、先生たちが大勢辞めてしまったという話を聞いていた。


 これは、僕が中学校3年生の頃だった。

ある下校時、その時仲良かった3人と帰っていた時(僕らの家は中学校から少し遠くにあった)、道路を挟んだ向かい側の道で、僕の名前を呼んでいる友達がいた。

「猫!!」と叫んでいる。

僕らは急いで、横断歩道を渡って、そこに駆け付けた。その友達の手には、明らかに産まれたばかりであろう、手の平に収まった目の開いていない仔猫が鳴いていた。

僕はその時から家で猫を飼っていたので、猫の扱いには慣れていたし、その猫を助けたいとたまらなく思った。

どういう訳だか、詳しく覚えていないが、その時私はその猫を渡してもらって、「動物病院に連れていく」ということになった。

私は、遠く離れた一軒の動物病院に向かって歩いた。

その猫が、今にもこの手の中で息絶えてしまうのではないかと心配と闘いながら。それだけ、猫は弱々しかった。

ちょうど、小学校にさしかかった頃だった。僕はその心配に耐えかねて、小学校のグラウンドに入り、横切り、職員室のドアを叩いた。

始めに出て来たのは、見覚えのあるようなないような、もう顔も印象も覚えていない教頭らしき男だった。

その男には、最初断られた。

しかし、次いで顔を出したのが、あの、音楽の先生だった。

その時、不意に、僕は、先生達が大勢辞めたのに、この人は残ったのか。この人ならあり得る。とボンヤリ思ったのは覚えている。

果たして、僕はその音楽の先生に事の経緯を話して、なんとその音楽の先生は、「自分の車で行ってあげる」ということになって、僕はその先生の車で、動物病院に連れて行ってもらった。

車中で、その猫を拾った最初の奴の話をした。「中学校は楽しいか?」とかいった話題からだったのか、そういうことだったと思う。その元生徒のことを先生は覚えていないらしく、「顔を見たら覚えてるかも」ようなことを言った。なんと、その先生は、僕のことを覚えていた。クラスの人気者だったせいもあったろう。

動物病院に着いて、すぐに医者に事の経緯を話した。中には、小型犬を一匹連れた婦人がいたような気もする。

診察室に通され、僕は緊張していた。医者の言ったことの詳しくは覚えていないが、最後の方に「飼うなら覚悟しておかないと」といった旨をはっきりと覚えている。お代は、確か、払わなかったと思う。


年をとるにつれ、私も孤独な人の一人なのだと知った。幼い頃から、人の心裏なんて、分かり切ってた。特に子供の頃は。

「皆、バカばっかりだ」高校生の頃から私はこう思っては、自己嫌悪に似た感情を持つのだ。

いわば、私と、あの、音楽の先生は似たもの同士だったのだろう。

孤独な人は孤独な人を好む。だからいつまでも孤独なのだ。

あの猫が死んだ時、私の母があの音楽の先生に、手紙を書いたら、と勧めてきたが、私は断固として書かなかった。

心が通い過ぎそうで、手紙も書けなかった。

孤独な人というのは、まるで、水平線に立っているような、そんな感覚を持つ。

誰からも近寄られない、何か空しさの向こうに立っている感じだ。

あの、音楽の先生は、少なくとも、僕が出逢った一人の「賢者」だった。


 動物病院からの帰りも、その音楽の先生の車に乗せてもらった。送ってもらったのだ。

帰りの車中は、言葉少なだった。

確か、「覚悟を持って飼わないとね」と先生が、お医者の言葉を借りて言ったのを覚えている。

僕と、その、音楽の先生が乗っている車には、間違いなく、音のない沈黙というブルースが流れていた。

同じ悲しみを共有したというところだろうか。


 その猫は、ほどなく死んだ。大人になれずに、死んだ。

僕はトイレの中で泣いた。手の平に抱いた動かない猫に、涙の粒が当たったら、生き返るかもと、思いながら、泣いた。

それが、その猫に対する最後の思い出である。

確か、名前を付けていたが、もう忘れてしまった。


 今、思い出した。

あの先生、姿(すがた)先生だった。

今も、元気にしているだろうか。

                             


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ