第八話 天登すばるは穏和な女子部員である
──月曜日に入学式、そして累と出会って式神使いになった。
火曜日には八重野達とお花見。水曜日には遅刻して雅と友達になって──今思うと途轍もない偶然であったのだが。昨日──すなわち木曜日にはとんとん拍子で陰陽学部に入部させられた。
四季山に来てからまだ一週間経っていないというのに、もう既にこれ以上無いほど波乱万丈な日々を送っている。
……しかしまだ密香には、金曜日という日が残っていた。
「それじゃあ、式神に関する講義を始めま〜す」
放課後、陰陽学部の部室に来てみれば、今日も何やら始まるようである。
●
ポスターの下を覗くと、昨日と同様に少し傷のついた銀色の鍵穴があった。
そこに『比女織密香』と名の刻まれた鍵を差し込む。するとその隣の壁が音を立てて動き、金色のノブがついた扉が現れた。
ドアノブに手をかけてガチャリとひねれば、昨日と同じようにクラッカーの音に包まれ──
──ることはなく、今日は式神たちがわちゃわちゃと遊んでいるようだった。
「あ……こ、こんにちは……」
先にこちらに気付いてくれたのは空。臆病という訳でもないが人見知りな様子を見せる彼は、恐る恐るというような控えめな挨拶をする。
それを聞くと、一緒に遊んでいた宙──と、もう一人、女の人がこちらに顔を向けた。
「あっ密香さまだ! こんにちは!!」
「ん……あぁ、昨日の。比女織……さんだっけ? こんにちは」
にぱーっ、とでもオノマトペがつきそうな宙の挨拶に対して、女性の方は優しげな声色ではあるものの、こちらにあまり興味がないと言った様子である。
──彼女は腰より長い薄い色の髪と閉じられた瞳、そして身体に巻きついた蔦が印象的な式神だ。左眼のあたりに根付いたピンク色の花が、蔦と相まってとても生々しい。
身長はそれなりに高く、宙空姉弟よりも──いや、八重野なんかよりも大人びた印象を受ける。
実際今も、小さなマットの上にクレヨンを広げて絵を描いている姉弟を、彼女は事務椅子に座って保護者のように見守っていたようだ。
「三人とも、こんにちは。私は比女織密香で合ってるよ」
そう言いながら女性の式神に改めて顔を向けてみるも、彼女にはふいと顔を逸らされてしまう。
なんだか冷たい態度を取られたような気分だが……ちらりと覗く表情を見るに、特にそういう訳でもなさそうである。
「合っていたならよかった。……まぁ……私から何か言うことがあった訳じゃないけど。
…………でもそうね、すばるとは仲良くしてあげて」
すると彼女は優雅に右腕を持ち上げ、密香の方に掌を差し出してきた。
握手でもするのだろうか──と思ったが、どうやら違うらしい。後ろ、今密香が入ってきた入り口の扉がまた開けられた。
「こ、こんにちは…………」
振り向いてみると、密香とあまり身長の変わらない女子生徒がそっと扉を開けたところだ。
その女子生徒は、蔦が印象的な女性の形をとる式神──翠のご主人様であり、密香の二つ上、三年生の天登すばる先輩である。光を吸い込むような漆黒の髪に紅桔梗色のエクステが特徴的な少女だ。
「すばる先輩。こんにちは」
「密香ちゃん……だよね。昨日ぶり、……こんにちは」
陰陽学部部員では密香と雅を除けば唯一の女子部員にあたるので、あまり人覚えの良くない密香もきちんと覚えていた。小柄で優しい雰囲気の、声は小さいけれどそれも可愛らしい印象を抱く先輩である。
……きちんと至近距離で対面して気づいたが、遠くから見ると翠玉のように見えた彼女の瞳は、よく見れば二色に分かれているような。カラーコンタクトを一瞬連想したが、校則的にアウトだったはず────生来のものなのだろうか、密香の見間違いだろうか。
────密香に挨拶をしながら、すばるは少し困ったような、ほんわかとした優しい笑みを浮かべた。そして首に巻いている淡い色のストールを少し上に引き上げると、式神三人がいる方に目を向け「宙ちゃんと空ちゃんも、こんにちは。翠ちゃんは、さっきぶり」と声を掛ける。
「すばるさまこんにちは! あのですね〜、今すばるさま描いてたんですよー!!」
声をかけられた宙は嬉しそうに挨拶を返し、さっきから何かを描いていた画用紙を広げた。
そこにはクレヨンの温かなタッチで描かれた、上手いとは言えずとも幼げでとても愛らしい絵が描かれている。
「ここは空が描いてくれたんです! ふふん!!」
「えへへ……へ、変かもしれないですけど……」
背景に描かれたお花と思われるものを指差しながら、宙が空よりも誇らしげな顔を浮かべれば、空も釣られたように笑みをつくった。
「わ……! こんなに可愛く描いてもらえて、すっごく嬉しいな。宙ちゃん、空ちゃん……ありがとう……!」
ほんわかとした様子に思わず心が和む。
すばるが宙から画用紙を受け取ったのを見ると、大人しくしていた翠が「すばる」と口を開いた。
「今日もお疲れ様。目当ての本は借りられたの?」
翠の言葉を聞くと、すばるは「あ……」と呟いて手に持っていた鞄の中から二冊、ブックカバーのついた文庫本を取り出した。
「うん、えっと……ちゃんとね、司書さんが取り置いてくれてたから。休日は図書室お休みだし、もう少し借りてても良かったかもしれないけど……気になってた本だから、じっくり読みたくて」
「それなら良かった」
二冊の本を抱きしめ朗らかな顔を浮かべるすばるに、翠が柔和な笑顔を向ける。あまり大きな表情の変化があった訳ではないが、なんとなく翠の周りの空気がやわらいだような気がした。
──式神にも多種多様な気質があるようだが、中でも翠は見てわかる通り、自分の主人以外にはあまり懐かない性格らしい。
密香にはあまり興味を寄せなかったようだが、己が主人の前での彼女はぴんと尻尾を立てた猫のようである。
なんて、部室に流れる和やかな雰囲気に呑まれていると。
『お取り込み中のとこいいかな〜?』
閉められていた扉の向こうから、不意にそんな声がした。それから返事をするような時間も与えられる前に、勢いよく扉が開けられた。
「やぁやぁ諸君、チャオ〜!」
現れたのは密香のクラス担任──否、ここでは陰陽学部の顧問の、式守先生だ。
彼女は大きな声でそう部室の中に声を響かせると、部屋の隅の教卓に手荷物を放るようにして置いた。……すばるは特にそうだが、翠もあまり大きな声を出すタイプではないので、さっきまでとの音量の違いに耳が驚いてしまう。
「こんにちは! ……稲葉いるー…………?」
するとその式守の後ろから八重野が顔を見せた。
「汐くんも……こ、こんにちは。稲葉くんは……今日も、来てないみたい」
それを聞くと、「まーたあいつ……」と言いながら、気怠げに後ろ手で扉を閉めた。
「今日もサボり〜? 全くアイツも懲りないねぇ、課題出しとくか〜」
「……一応、友人の誼で情けをかけてやるんですけど、アイツは昨日サッカー部の助っ人を──」
「先生ねぇ〜、学生は文武両道してこそだと思うんだ♡」
「…………あはは、ですよねー……」
式守の黒い笑顔に、八重野の顔が引き攣る。
稲葉──というと、先日ぬらりひょんを追っていたときに情報提供をしてくれた、陰陽学部部員の彼か。あの時はサッカー部員だと思ったが、助っ人と言うならば違うのだろう。
「ま〜いいでしょ! とりあえず今年度初講義するから、君たちさっさと座りたまえよ〜?」
……今日はさっさと帰ろうとしたところ、式守に「今日は式神関連の講義するから、部活強制参加ね〜♡」と言われたので来たのだが──講義と言われたからか、少し堅苦しいものだと思っていたけれど、実際はそうでもないのかもしれない。
●
「それじゃあ、式神に関する講義を始めま〜す」
ホワイトボードの前に並べられた机の前にその場にいた全員が腰かけたのをみて、式守が改めてそう告げた。
「……っと、その前に改めて出席確認ね。サボり常習犯はいつも通りサボりで、雅チャンは弓道部のミーティングを優先するってことで承諾済みだけど……萌は〜?」
「あ、会長は今日も生徒会業務です」
「オヤオヤ、生徒会長サマはいっつも大変だねぇ。ってことは、今日はこの面子かぁ〜」
萌、もとい会長──は、生徒会長であり陰陽学部の部長でもある、瑞白萌先輩のことだ。
立場上いつも多忙で中々来られず、昨日はなんとか予定をこじ開けて試験観察をしていたらしいが……今日はいないので詳しいことは割愛する。
「今年度初回ってことで毎年恒例、今日の講義は『式神について』!
毎年おんなじ内容だけど、三年連続皆勤賞のすばるチャンはえらいねぇ〜!」
「ちゃんと復習できますし……何より、翠ちゃんのことしっかりわかるようになりたい、ので……えへへ」
すばるがそう微笑むと、隣の翠の顔が少しだけ緩む。見ているとなんだかこちらまでほんわかとするような雰囲気の二人だな、なんて心の中で思った。
そんなことには構わず、式守が冗談めかして「あのサボり魔にはもう期待してないんで、八重野は来年も絶対聞けよ?」と言えば、八重野も「善処します」と薄ら笑いを浮かべた。
「じゃ、講義始めるよ! とりあえず初講義の密香チャンに質問ね」
そう言って、式守はホワイトボードに板書しながら、密香を指差す。
「まず第一前提! ──式神って、何だと思う?」
……改めて聞かれると、よくわからない存在としか言いようがない気もするのだが。
いや、確か初めて累に会った時に、八重野から何か聞いたような……脳をフル回転させて思い出す。
「……人間に使役される神様みたいなもの、でしたっけ」
記憶から引っ張り出した答えを発言する。そうすれば、式守は刹那と一秒の間ほどの時間、じっくりと動きを止めた後──
「ピンポーン! ほぼ正解、はなまるあげちゃおっかな〜!」
──と、式守はボードに筆を走らせた。
『式神とは?
→人間に使役される神霊など』
「神霊っていうのはここでいう神様みたいなモンのことね。時々亜種で『妖怪が使役されてる』ってパターンがあるけど……妖怪も、式神として使役されてる時には神霊と大きな性能違いとかは無いんだよね」
あの時も八重野がその辺の認識は曖昧だとか言っていた気がする。意外とみんな同じ認識なのかも?
話を終えると、式守はすかさず「第二問!」と密香の方を見た。
「密香チャン、多分『形代』ってもんがある、っていう話は聞いたよね。これ、具体的にどんな役割だと思う?」
形代──といえば累で言うあの注連縄で、宙と空なら狛犬像のことだったか。存在こそ知っているものの、その役割については聞いた覚えがない。
「え……えーっと…………式神の生命維持装置、みたいなもの?」
「アハハ! 密香チャンは察しがいいねぇ〜、ほぼ正解でいいんじゃないかな! ひとまずここは曖昧なまんまじゃマズイし、ちゃんと解説しようねぇ」
すると式守はホワイトボードに向き直り、空いているスペースに横長の長方形を描いた。その横の真ん中に線を入れると、二つできた箱の真ん中にそれぞれ小さな丸を描く。
左側の四角を指さして、式守はまた口を開いた。
「こっちが、アタシたちの住んでる世界。わかりやすく、人間界と呼称するよ」
左側の四角の下に『人間界』と書き入れると、「先輩になった八重野! こっちの右側はな〜に?」と八重野に質問を投げかけた。
「あー、……二重世界──で合ってますよね?」
「合ってるよ〜! なんで自信ないのさ、もう少し己の知識とアタシの指導を信じなよ〜?」
二重世界、は流石に聞き慣れない単語だ。
式守は『二重世界』と右側の箱の下に書き入れ、話を続ける。
「二重世界ってアタシたちが呼んでるのは、その式神の元になる神霊が住んでる世界のこと。詳しく話すと長くなっちゃうしめんどいからざっと簡単に言うけど、ここには神霊たちの魂がある」
そう言いながら式守は、右側の箱の中に描かれていた丸をペン先で差し、「これがその魂ね」と言いながらそれをぐるりと強調するようになぞった。
「けど、神霊はいわゆる土着神みたいなモンだから、魂が他のとこに行ったりはできない。逆に妖怪ってのは自由に移動できるたくましい魂だから、特別なスキマからある程度勝手に出入りできるんだけど……神霊が人間界に姿を現すには、人間界専用の魂が必要なのね」
「それで人間界での魂の役割をするのが、形代……ですよね、式守先生」
「そういうコト! 三回生は違うね〜、ちゃんと覚えててくれる優等生なすばるチャンで嬉しいよぉ、先生は!」
式守が二重世界と描かれた箱の中の円と、人間界と描かれた箱の中の縁を線で結んだ。
「映画で例えるとわかりやすいかな? アタシたちは映画を見るとき、映写機には触れない。けど、映写機から投影されてる映像の光──垂れ幕に映る映画は見ることができるよね。
ここでいう映写機が二重世界にある魂で、垂れ幕が形代ってトコ。垂れ幕が無くなると映画は見れなくなっちゃうよね、映っててもうまく見えないから」
「……何となくわかった、ような。
形代が壊れたら、式神は人間界に姿を現せなくなる。……けど、魂そのものは壊れていないから、その神霊自体は二重世界には存在し続けている……みたいになったりするのかな」
「お! 密香チャン応用力が高いな〜、そういうコト!
ま、別の形代を持ってくれば再召喚も可能だろうけど〜、日本の神様って『八百万の神』って言うじゃない? んだから同じ式神との再会は難しいけど、あくまで難しいだけで理論的にはいけるっちゃいけるんだよね」
ちなみに〜、と言いながら式守がさらに補足をする。人間界の箱の中の円──形代からもう一本線をひっぱり、その先にまた小さな円を描いた。
「人間、もとい式神使いは映画の例えで言う電気。垂れ幕だけじゃなくて、電気がなくなっても映像は見えなくなっちゃうよね。だから、式神使いも式神の顕現には絶対に必要なんだ」
「なるほど……」
「とりあえずわかった、って顔だね! 今のとこはそんな感じで大丈夫かな〜」
ホワイトボードを改めて眺めていると、ちょいちょいと右から服の裾を引っ張られる。その方を見れば、宙が立っていた。そして、小さな声で耳打ちする。
「密香さま、これのーと?とったほうがいいらしいですよ! ご主人様が言ってました!」
そう聞いて、思わず八重野の方を見る。そちらはノートを取ってはいなかったものの、何か書かれたルーズリーフが広げてあった。去年のノートだろうか?
それなら一応ノートを取っておくかと、宙に「教えてくれてありがとう」と伝えてから密香も真新しいルーズリーフを一枚鞄から取り出し、ホワイトボードの内容を何となくメモしておいた。
「密香チャン、そろそろ続き行くけど大丈夫? 今回の本題の話するよ〜」
「あ、はい……大丈夫です」
「ボードの内容はまだ消さないから安心してね〜! それじゃ、本題!
──ずばり、式神の『能力』についてのお話だね」
能力……といえば、よくファンタジーものの作品で言われている特殊な力のことだが、まさかこのような場で聞くとは思わなかった。
累で言うところの、あの注連縄を使って何かしていたのがそうなのだろう。……具体的にどんなもの、と言うのは知らないが。
「式神使いが一番把握してなきゃいけないのってこれだからね、その使役してる式神の能力、そして術式! ま、ひとまず基本、式神の力についてきちんと話していこうか」
式守はホワイトボードに『式神』と書き、その隣に枝分かれするようくの字を書く。その先端に、上に『能力』、下に『術式』と書いた。
「式神は、『能力』と『術式』の二つの力を持ってるんだよ。どちらかというと強くて使い勝手がいいのが『術式』ね」
「二つもあったんだ……」
「ちょっと、ややこしいから……少し、びっくりするよね」
まずは能力の方の話をするよ〜、と言いながら、式守は『能力』という文字をぐるりと丸で囲んだ。
「能力は、式神の二つの力のうち、その式神の形代によって決定される方の力。呪文の詠唱は必要なく、本人が使いたいと思った時に使える、汎用性の高い力だね」
「……例えば?」
「自分のに聞いてみたらいいじゃないのさ」
まぁそれが早いか。
累、と口に出せば、密香の書いていたルーズリーフを覗き込むような姿勢をとっている累が、机の横にすっと姿を現した。
「話はちゃんと聞いてたぞ。俺の能力を見せてやりゃあいいんだろ?」
彼はすっと姿勢を正して立つと、徐に密香の筆箱から消しゴムを机の上に転がした。
次に、どこからか現れた注連縄を円の形にして机上に落ちた。全体を客観視すれば、普段見るよりも少し細い注連縄が消しゴムをぐるりと囲んだような形になる。
……そう、囲んだだけ。
「はい、これが俺の能力」
「…………え?」
見たことかと澄まし顔を浮かべた累を訝しんで思わずそう声を上げると、累は飄々とした様子で「まぁまぁ、触ってみな」と消しゴムを指した。
……能力も何も、ただ囲っただけじゃない……なんて思いながら、促された通りに消しゴムに手を伸ばす。
──が。
「──え、あれ?」
消しゴムに指先が届かない。注連縄で囲まれた範囲の中に手を入れようとしても、不可視の壁に阻まれてしまっているのだ。
それはまるで、消しゴムが見えない筒で囲まれているかのよう。
「古来から注連縄っつーもんは、神聖な区域とその外とを区分するための標とする縄だからな。縄で囲ったところを聖域として外界から分かつ──格好良く言えば『結界生成能力』、ってとこだ」
「結界生成……それで見えない壁を作ったってこと?」
「そういうこった。ちなみに細かい設定もできるぞ」
累が消しゴムに手を伸ばす。密香に同じく壁に阻まれるかと思ったが──今度は注連縄の中に指先が難なく入り、消しゴムが掴まれる。
そしてそれを持ち上げ、注連縄の外に出そうとすると──消しゴムだけが、壁に阻まれたように空中の変なところで止まってしまった。どれだけ引っ張っても、結界の外に出すことができない。
「これは外から入るものは拒まねーけど、内にあったもんを外へ出させない設定だ。これの逆だったらこの前鎌鼬の時ヒメさんにもやったことあるな。応用楽々で色々と便利だぞ」
「お〜……」
「ちなみに能力は、式神の気質──性格と形代が何なのかによるよ。累の場合は注連縄が形代だから、まさに形代を使った能力だよね〜、ウンウン」
八重野の補足に頷いていると、式守の「わかったところで次行くよ〜」と言う声が聞こえ、再び顔を前に向けた。
「今度はもう一個、『術式』の方ね。規格外に強い力を持つのはこっち。
こっちは式神の意思でいつでも発動できる『能力』と違って、発動条件として『術式・ナントカ』って呪文みたいに唱えなくちゃいけない。ナントカ、ってとこにその式神の名前を入れてね!
口を塞がれてたりしたら使えないから、ちょ〜っぴり不便。その代わり、ちょ〜っとだけ強い、って感じ。さっきの能力と違って、こっちは式神の名前と、式神使いの気質で決定されるんだよ」
「術式……累のは?」
「お、いいぜ。じゃ──」
累が顔の前に、人差し指と中指を立てた手の形を作る。そして、小さく口を開いた。
「──『術式・累』」
…………しかし、何も起こらない。
「…………?」
「かっかっか、まぁ見てなって」
そう言いながら、累は注連縄の中に置きっぱなしになっていた消しゴム手に取る。そして、徐に力を入れ──
──ぼきり。
「ちょっ!?」
この前開けたばかりの、まだ角が残っていた白い消しゴムが、真ん中からカバーごと真っ二つに折られた。同時に密香の心も折れてしまう。
「累!? 何やって──!」
「まぁ見てなって」
抗議したい気持ちをぐっと堪えて、累がその折った消しゴムを注連縄の中に戻す様子を見守った。
すると、先程と同じように、累は人差し指と中指を立てた手を再度胸の前で作った。
「『術式・累』」
「────え」
──累が呪文を唱えた次の瞬間、折られたはずの消しゴムが、折られる前の元の姿に戻ったのである。
「俺の術式は、注連縄で囲った聖域を、向こう側の世界──二重世界と「かさね」る、って力だ」
「……言葉遊びでもしてるの?」
「おいおい、俺は大真面目だぜ? まぁ──言霊っていう意味では間違っちゃいねんだけどな。
さっき説明が省かれてたから補足するが、二重世界ってのはちょっと次元が違うだけで、今この俺たちがいる人間界と全く重なってるんだ。生物のいない平行世界、って考えるとわかりやすいかもな。
……つっても、文明が進んだお陰で淘汰されてきて、今やこの四季山の辺りにしか及んでねーんだけど」
言葉を続けながら、累は元の姿に戻った消しゴムを、その大きな手で弄ぶ。
「二重世界の存在意義は、現代風に言うと人間界の状態のセーブデータだ。生物は対象外だが、地を育てる根、川のせせらぎ、気──言い換えれば、エネルギーの流れ……そんなもんを記憶しておいて、何かどうしても取り返しがつかなくなった時は、そのデータをもとに人間界を修復する。
それは普段認知されてねぇし、使い道もねぇんだが──今の俺の術式は、それをうまいこと利用できる」
しばらく消しゴムで遊んでいたが、飽きたのか筆箱に消しゴムを戻し、今度はその場に残されていた注連縄を指に絡め始めた。
「二重世界ってのはいつも日の出と日の入りに人間界の状態を保存──ゲームで言ったらセーブだな、それをする。残念ながら、基本的にロードはできない。
だが、俺の能力は二重世界と人間界──その中でも俺の結界の範囲を重ねて、勝手にセーブできるし、普段できないロードもちょちょいのちょい、ってこった」
「…………なるほど?」
つまり、人間や式神が持っていない読み込み権限を、彼だけが持っているということか。やり方こそわからないが、とんでもないことをやれる……という事だけは把握できた。
「かっかっか、俺さえわかってりゃいんだよ」
「アハハ、とまぁ密香チャンちの式神はそんな感じ。八重野やすばるチャンの式神も、それぞれ能力と術式は全く違うんだよね。
それじゃあどーせだし、君たち互いの能力と術式……知りたくない?」
累の術式をきちんと教わったところで、式守が愉しそうな笑みを浮かべ──
「先生、みんなの能力把握大会するならさぁ……折角だし、争いが見たいなあ♪」
──そして、教師とは思えぬとんでもない言葉を口にした。