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魂揺のかがり火  作者: 藍紅 吹雪丸
5/12

第五話 久世雅は遥か京の式嬢である

「手がかりなし、でしたわね……」


 放課後、十五分ほどの調査から一旦休憩をしに、密香と雅の一行は食堂にやってきていた。


「ねぇ久世さん、結構無理がない……? 『古典的であれど確実で優美な探し方』──もとい、聞き込みで探すのは」


 そう言ってから、密香は先ほど自販機で買ったいちごミルクを啜る。

 一行は食堂や廊下などを渡って、生徒たちに聞き込み調査をしていたのだが……雅の言う通り、手がかりになりそうな情報は全く得られなかった。原因はさておき、無駄足となったのは少々痛いものだ。


「それでも、妖怪探しは聞き込み(これ)が一番効きますのよ。妖怪伝説も、ほとんどは人伝か本で伝わるものですから」


 雅も同じようにいちごミルクに口をつけると、近くの椅子に腰掛けている累が口を開いた。


「そこは俺も同意だ。妖怪は現場に結果は残しても、直接的な手がかりは残さないのが定例でな。性質上手がかりを残してく妖怪は別だが、悪戯好きにはいつの時代も困らされてるもんさ」

「じゃあ、結局は地道に聞き込み続けるしかないの?」

「そういうことになるな、しょうがねぇ」

「げぇ……」


 ……正直な話、密香はコミュニケーションが得意な方ではないので、ここまで六人ほどに話を聞いただけで既に精一杯。ほとんど雅が受け答えをしたとはいえ、なんとなく気が疲れてしまっていた。

 なお、このうち二名が昼間にプリンがなくなった事件を知っていたが、二人揃って「気付いたらなくなっていた」という、密香たちと全く同じ感想しか持っていなかったため当てにならず。

 雅のような妖怪に精通した人間が他にも紛れていて、あの昼の食堂にいたのならば話は別だろうが──残念ながら、その線の希望は持てないだろう。そもそも、妖怪を認識している人間自体少ないのだ。


(わたくし)たちが自力でその妖怪の姿を見つけられれば、手間が省けて申し分ないのですけれど……今見回りをさせている烈もまだ戻ってきておりませんし、きっとそういうことなのでしょう」


 この場にいない烈も仕事をしていたのかなんて感心すると、密香の手に持っている紙パックが「ずずずっ」と言う音を立てた。


「さて、一息ついたところで再開いたしましょうか! 十発打ってダメなら、百発打って当てるのが私のモットーでしてよ。気長に行きますわ!」

「本当に、気長な話ね……」


 五行高校の在籍生徒は三六〇人ほどだが、その三分の一弱と顔見知りになるつもりなのかと密香は呆れたような表情を浮かべる。

 雅もいちごミルクを飲み終わったのか、立ち上がって紙パックを捨てに行こうとする──と、彼女は急に動きを止めた。


「……久世さん?」


 密香が雅の顔を伺うが、その瞳はどこか一点を見つめているらしい他は何もわからない。

 雅の視線の先──窓の外では、サッカー部と思われる生徒たちがグラウンドで練習をしているだけだ。日が射している中に練習していて元気だなぁと思える程度で、特に気になるところはない。少し満開を過ぎた桜の木の下で、お爺さんがお茶を啜っているくらいの平和だ。


「特におかしいところはないけど……どうしたの?」


 素直な気持ちを雅に伝えるが、彼女はそんな密香の考えとは違うようで。


「……烈、戻りなさい」

「──はい、只今参上いたしました」


 唐突に烈を呼び出し、それを一瞥すると窓の方──その先のグラウンドの隣、桜の木を指差した。


「比女織さん。中庭(あちら)にいらっしゃる老大人は、妖怪(・・)──ではなくて?」


「──あ」


 雅のその言葉を聞いて、密香はようやくこう思った。


 ────あのお爺さんは(・・・・・・・)()


「なるほど。ぬらりひょん(・・・・・・)か」


 いつの間にか密香の後ろに移動していた累が、颯爽と口を挟んだ。


「そのようですわね。

 ──ぬらりひょんという妖怪は、家の者が忙しくしている時などにどこからともなく家に入り、茶を飲んだりして自分の家のように振る舞うとされる、意識を妨害する妖怪。

 他者は彼を目撃しても、『この人は家の主』と思って追い出すことはできないどころか、その存在の違和感さえ忘れてしまうという──。と、答えるのが模範的でしょうか」

「が、学校に和服のお爺さんがいるなんて、とんでもない違和感があるはずなのに……全然気が付かなかった……」


 まさに密香は、相手(ぬらりひょん)の術中に嵌っていたらしい。

 思い返してみれば、昼の食堂でもあのお爺さん──ぬらりひょんを見たような気がしないでもない。その時も同じようにお茶を啜っていたから、甘味が欲しくなったのかもしれない……かどうかはわからないが。とにかく、悪戯(ぬすみぐい)をしたのは、この妖怪だという推理は容易にできた。


「……あれ、なんで家に出る妖怪なのに、五行高校(ここ)にいるの?」

「五行高校の結界が原因と考察いたしますわ。彼も最初から家に現れる訳ではありません。ここに姿を現したはいいものの、結界に阻まれて出られないのでしょう」

「そういえば、そういう話があったわね……」


 いつぞやの某弟式神(から)の話を思い出した密香。こういう時に、結界って便利なんだなぁと思ったのは(つか)の間。


この前のあいつ(かまいたち)みたいな悪意のある悪戯妖怪っつーよりは、その辺にあったものを我が物として扱う癖がある妖怪だな。時にはその物自体をどこかに隠すこともあるから、意図があってもなくても、人間たちにゃとんだ迷惑野郎だ」

「正直なところ、ぬらりひょんは掴みどころがなくて、明確な目的があるかどうかはよくわかっていないのですけれどね」


 納得が行ったように相槌を打つ。あのデザートも自分の物だと思って食べてしまったのだろうか。なんと図々しい妖怪……。

 私怨が含まれてるとはいえ、またどこかで被害が出てしまうかもしれない。ならば、早急に退治しなければ────


「比女織さん、急いで桜の木の(もと)へ行きますわよ!」


「えっ」なんて口を挟む間もなく密香はぐいっと手を引かれ、その姿を見た累が愉快そうに笑っているのを視界の端に捉えた。



  ●



 ……と言った感じに目的地に辿り着いたはいいが、そこに老人などいるはずもなかった。


「追いつけるとは、思ってなかった、けど!」

「あぁっ、振り出しに戻ってしまいましたわ……!」


 密香は少しばかり肩を上下させているが、雅は涼しい顔をしながら真剣に考え事をしている。


「いえ、ご主人様。外見の正体を掴めたという要素は、今回の件に大きく影響するでしょう。

 それならば、『食堂でデザートがなくなった事件に遭遇したか』と聞くより『今日何処かでご老人を見かけなかったか』と聞くことで、手がかりを得やすくなるかと思われます」

「……そうですわね。私たちもしっかり確認するまで違和感に気付けませんでしたが、指摘されれば違和感になりましたし……今度こそ、聞き込みでどうにかなりそうですわ」

「えぇ……!?」


 聞き込みはもう面倒と思っていたところにまた聞き込みか──なんて、情けない声をあげてしまう。


「かっかっか! 人と話すのは大事だぞ、ヒメさん。せめてこいつらみたいに頑張るこったな!」

「自分は喋らないからって、他人事ね……!」


「おい、何が他人事なんだ?」


 累に落ち目を弄られたところで、密香と雅は後ろから声をかけられた。


「あら、どなたですの?」


 そちらを振り向くと、累ほどではないが背の高い、如何にも体育会系なのだろうと判別できる男子生徒がそこに立っていた。ユニフォームを着ているところを見る限り、すぐそこで練習をしていたサッカー部員のひとりなのだろう。


「はは、面白そうに話してたから話しかけてみたくなっただけだよ。俺、二年の稲葉。お前ら新入生だろ、迷子か?」

「いえ、私たちは人探し中ですの。先程この辺りにいたお爺様、どちらへ行ったかご存知ではありませんか?」


 雅の言葉を聞いた彼──稲葉はうーんと首を傾げた後、「そういえば」と話を続けた。


「確かにここにいたな、お茶飲んでる爺さん……そいつならあっち行ったぞ」


 稲葉が今さっき出てきた昇降口の方を指す。何処かですれ違っていたのだろうか、校舎に戻っていったらしい。


「ただ、なんかやけに──」

「情報提供ありがとうございます。──俄然やる気が出てきましたわ、それでは比女織さん、行きますわよ!」

「ちょっ、ちょっと待って引っ張られなくても自分ででで……!!!」


 そんなあがきも聞き入れられず、密香が雅に手を引かれ、式神たちもそれに引き連れられて去っていく。それを、言葉を切られた稲葉は何か感じたようにぼうっと見つめていた。

 ……やがてグラウンドから、「稲葉ー!」と声がかかる。

 彼は大きく返事をして、無心でボールを蹴る、ひたすらな単純作業に戻っていった。



「昇降口、とは言われても……流石にそこからどちらに行ったのかは、わかりかねますわね」


 靴を履き替えてから、雅がそう呟く。

 右へ行ったのか、左へ行ったのか。そして階段を登ったのかどうか、登ったのならどこから登っていったのか、その後どこまで登ったのか。……あまりにも分岐が多すぎて、挙げていけばキリがない。


「痕跡のようなものでもあればいいのですけれど、そこまで都合よくはいかないでしょうし……烈に昇降口を塞がせつつ、(しらみ)潰しに行くしかないでしょうか?」

「うーん、そしたらまた別のところから逃げちゃいそうだけど」

「難しいでしょうか……。こんな広い場所だと、追い込むのは厳しそうですわね……」


 一妖怪(いちようかい)のためだけに、学校中を巻き込む訳にも行かない。かと言って、手がかりを掴めなければどこまでも逃げられてしまう。これではまるで(いたち)ごっこだ。

 本当に、何か痕跡さえあれば…………


「──あっ」

「ヒメさん?」


 徐に床を見ていると目に入ったそれを、拾い上げて三人に見せた。

 少し散り始めた桜の下に残るもの、と言えば。


「これ、他のところにも落ちてたりしない?」


 窓の風などとは無縁そうな廊下の隅に落ちていた桜の花びらを見せると、雅を筆頭に「なるほど!」と声を上げた。

 つまり、基本的にお茶を啜ってのんびりしているあの妖怪であれば、頭や服に桜の花びらが乗り、移動の際にそれが床に落ちる──という寸法だ。

 放課後ですでにほとんどの窓が閉め切られていて、放課後になる前に掃除もされたばかりのはず。勝手に桜の花びらが落ちていることはおそらくないだろう。


「それでは、その桜の花びらを追っていけば良さそうですわね! ええと、次の花びらは──」

「ご主人様、あちらに」


 烈の手が差す方、昇降口隣に設置された階段の方を見遣る。すると、階段の一段目に、小さな花びらが乗っていることが確認できた。


「ははぁ、こんな感じで辿って行けばいいんだな」

「どんどん探して行きましょう!」


 やっと手がかりが掴めたと、気分が乗ってきた四人。

 花びらの導く先を、追っていくことにした。


 …………。


 ──二階のホール前。

「また見つけた。ここら辺通ったのかな?」


 ──三階、美術室の近く。

「これだな。おーい、こっちにあったぞー!」


 ──(ひと)つ階段を降りて二階、職員室前。

「随分と動いていらっしゃいますね。どこへ向かっている、という目的はないと思っていましたが……」


 ──一階、昇降口。

「……おや?」


 ここを最後に、花びらの痕跡は途絶えている。

 弾切れなのかはわからないが、ぐるりと回って一周してきただけのようだった。まさか、二度も振り出しに戻ることになるとは。


「なかなか進展が得られませんわね……」

「結局、校舎を出ていっ──わっ!?」


 密香が結果を口に出そうとすると、後ろから頭をどすっと圧迫された。


「なーんの話だい、比女織チャン」


 後ろを向くと、そこには二人の担任教師、式守先生が立っていた。どうやら偶然居合わせただけのようだが、声もかけずにちょっかいをかけるのは教師として如何なものか。


「びっくりしたぁ……先生、出席簿を頭に乗せて呼び止めるのやめてくれません?」

「あれ、もしかしてこれ体罰認定される? それならごめんね、ははは」

「笑いごとですか……それより、式守先生こそどうされたんですか? もう授業時間も終わりでしょう」

「職員室でのお仕事が終わったから、寮に引き上げるとこ。今日は何もないからね、早く帰ってのんびりしたいんだ」


 ちなみにだが、五行高校の校舎横には寮が通算四つある。内二つが男女それぞれの生徒寮、もう二つが男女それぞれの教師寮だ。教師寮は生徒寮の監視を兼ねた位置にあるため、下手なことはするんじゃないぞという話を聞いた気がする。


「んで、キミたちは? なんか探し物?」

「あー、探し()というか、探し()なんですけど。先生、この辺でお爺さん見ませんでしたか?」

「お爺さん?」


 密香がそう問いかけると、式守はきょとんと一瞬首を傾げる。まぁそうだろうな……と思った瞬間、彼女は急に「あぁ〜!」と何か閃いたような声を上げた。


「そういえばいたかも、変なお爺さん。キミたちの関係者?」

「ま……まぁその辺りですわ」

「ふぅん。後で職員室に許可取ってもらわないと、生徒たちの安全を守る側としてはだいぶ困るねぇ」

「えぇ、そうですわね。それで、どちらに行かれたかご存知ではありませんか?」

「あっちの方に行ったよ。えーと、あそこは……」


 そう言いながら式守は、昇降口から左に行った方向──校舎から離れた、小さな木造の建造物を指差して見せた。


「弓道場だね。弓道部の見学にでも来たの? お爺さん」

「……そう、っぽいです。すみません、わざわざ足を止めちゃって」


 弓道場。

 密香自体は弓道に興味があるという訳ではないものの……弓道場のような小さな空間に入っていったというのなら、こちらとしては都合が良い。

 先程の雅のように話をあやふやにしながら、「ありがとうございます、迎えに行ってきますね」と言って密香と雅──そして静かに話を聞いていた累と烈も、そそくさと弓道場の方に向かっていった。


 取り残された教師は、何のことやらと思いつつ、くすりと笑みを浮かべると、彼女も密香たちとは反対の方へと立ち去っていった。



   ●



 ──累の形代の能力は、注連縄で囲んだ範囲を、聖域として現実から切り分けること。

 それを用いて弓道場を囲ませ、簡易的な結界を作る。内から外へ妖怪のような存在が出られない聖域にしたらしいので、この中にもし ぬらりひょんがいたのだとすれば、そこから出られず、囚われの身にさせることができる──はず。


「それでは乗り込みましょう!」


 バーン!と威勢よく弓道場の扉を雅が開けると、弓道部らしい白と紺の弓道着に身を包んだ女子生徒が顔を出した。


「あ、こんにちは! 見学の新入生かな? 入って入って〜!」


 ……案の定、弓道部の見学と思われたらしい。

 都合が良いので、一応そういうことにして案内されるままに入っていく。和の文化を重んじる弓道部に相応しい、年季の入って深い色をした木の床が、妙に心地良い。


 案内される先は『的場』と言われる場所らしい。アニメなんかでよく見る、あの的がある広い空間だ。

 その的場でも、的が置かれているあたりを射場、上を矢が飛んでいく芝生のところを矢場と言いますのよ……と雅が細かく捕捉を挟む。雅がその辺に詳しいのもそうだが、そもそも弓道場なんて初めて来たくらいなので、密香は「へ〜……」と静かに感嘆の声を漏らすのみである。


「あっ」


 的場に到着し、密香の目に初めに飛び込んだものは、的……ではなく。かと言って、弓道をしている先輩方の姿……でもなく。


 射場に腰をかけてお茶を啜る、お爺さんの姿。

 ──あれこそ今回の目的たる妖怪、ぬらりひょん(・・・・・・)だ。

 「比女織さん、あれ」と耳打ちしてきた雅に、こくりと頷く。これにてようやく、ご対面となった。


『見学だったらまずは私たちのを見ててもらうってことで!』という先輩の指示で、密香と雅は射場の片隅に座り練習に耽る先輩──そして、その隣のぬらりひょんを眺めていた。

 ぬらりひょんの隣では先輩が次々に矢を打っていくが、それも気にした様子はなく、むしろその矢がどう的を射るかを楽しんでいるようにすら見える。

 ……これだけならいいのだが、お昼のデザートの前科もある上に、これから何をやらかすかは未知数だ。申し訳ないが、退治させてもらわなければならない。


「……掴めそうなら掴んできた方がいいか?」


 どうするか考えていると、ついてきていた累にそう声をかけられる。


「それが一番良さそう……よね」


 真剣に弓道をしている先輩方に水を差すような行為は避けたいし、妖怪の話は同じ妖怪──それに近い式神に片付けてもらうのが、一番手っ取り早い。


「それじゃあお願い、累」

「りょーかい」

「烈、貴方も同行してぬらりひょんを捕まえてくださいまし」

「畏まりました」


 烈も累と共に、じりじりとぬらりひょんに近寄っていく。……この、背も高くちょっと格好つけたような見た目の大人が二人がかりでお爺さんを追い詰めていく構図、普通の人が見たら問題行動にしか見えないな……じゃなくて。

 いつの間にやら投げ縄の形にした注連縄を手に持っていた累が、それをぬらりひょんの方に投げる──と同時に、ぬらりひょんと目が合った、気がした。


(気付かれた──?)


 ──刹那、柔らかい表情を浮かべていたぬらりひょんの目が大きく開かれ────ものすごいスピードで動き、的場の方まで走り去ってしまう。


「「──!?」」


 累と烈も流石にこれは予想していなかったらしい。ぬらりひょんは足が速い、なんていう言い伝えはなかった気がするが──でも確かにあの速さで移動できるのなら、密香たちが探してもなかなか見つけられなかったのも、重々納得できる。


「く、久世さん。あんな足があるなんて、初耳なんだけど……!」

「……近付いたから逃げられたと考えると、遠距離から退治してしまいたいですわね」

「確かにそう……って、どうやって遠くから──」

「もし取り逃しても、累の聖域によって外に逃げられることはありませんが……先輩方のお使いになられている弓でも隠されてしまったら、実害問題になってしまいますわ。……よし!」


 雅はぶつぶつと呟いてから、唐突に立ち上がった。


「……久世さん?」

「ふふふ、これも何かの縁です。どうか『雅』とお呼びください。代わりに私も『密香さん』とお呼びしても?」


 それはまぁいいんだけどなんて口にしたところで、雅は先輩方の方に声をかけに行った。


「先輩方、一度私にもやらせていただけませんか? (わたくし)、弓道の心得がありまして」

「そうなの? それなら是非是非ー!」


 声をかけられた先輩が貸すための弓を探しに行ったが……その間に、先程まで姿を消していた烈が、雅に麻布で覆われた弓を渡していた。何かの御守りがついていて、どこか妙な古臭さがあり、しかし大切に扱われてきたような、そんな一張り──。


「久……雅、弓道できるんだ」

久世と言えば(・・・・・・)弓道だろ(・・・・)。『弓削(ゆげ)』の名を引き継いでる血統だし、陰陽道の界隈じゃ有名な話だ」

「……累?」


 思わずそう呟くと、いつの間にか密香の隣に戻ってきていた累に口を挟まれる。


「って、ぬらりひょんはいいの?」

「大丈夫だろ。それよかヒメさん、久世の嬢ちゃん(・・・・・・・)が弓持って立つなんてなかなか見れる光景じゃねぇからな。俺たちは観戦と洒落込もうぜ──っと!」


 その場にどしんと座り込んだ累が、雅の方を指す。静寂が支配する空気の中、彼女は体の左側面を的場に向け、静かに目を瞑っているところだった。


 密香も音を立てないように座り直し、雅の射法を見届けることにした。


 ……一秒かけて、浅葱色の双眸を開き、弓を左膝の上に構え、右手を腰に当てる。続けて右手を弓の弦にかけ、射場を凛とした表情で見つめた──のだが、


(あれ……肝心の矢は──?)


 矢のつがられていない弓を両手で持ち上げ、右手は弦だけを引きながら、両腕が少しずつ下されていき──直後


「──わっ」


 弓の構えが完成した雅の弓には、ぼうっと現れた矢──赫い火で覆われた、幻想的な矢がつがえられていた。


 (かい)

 精神(こころ)と身体を渾然一体(ひとつ)にし、瞳が獲物を捉えるまで待ち続ける、無限の時間。


 ──そこから矢を放つまでの一瞬は、短かったようにも思ったし──一瞬のはずなのに、とても長い時間にも感じられていた。


 そして。



 ──────パシュッ、



 矢が、空を駆ける音。


 火の矢は一分の狂いもなく刹那の間を駆けていき、的を──ぬらりひょんの頭を、射抜いた。


 ぬらりひょんはそのまま声を上げる隙もなく、硝子(ガラス)の破片のように体が砕け、ばらばらと小さな音を立てながら煙と化していった────。



「────………………ふぅ。」


 的場に眼差しを向け、矢が離れた残響を噛み締めるかのように、雅は同じ姿勢を保っていた。


 やがて弓を静かに降ろし、密香の方を見遣ると『やってやりましたわ』とでも言わんばかりの表情で、少し不恰好なピースサインを作ったのだった。



   ●



「はぁ〜、一件落着ですわね!」


 ちゃっかり弓道部への入部届も出した雅が、満足したように頬を赤くしながら、うーんと大きく伸びをする。「お疲れ様」と声をかければ「密香さんこそお疲れ様でした!」なんて声を返された。


「火の矢、すごかったよ」

「うふふ、ありがとうございますわ! 私もまだまだ未熟ですけれど、あの程度でしたらお茶の子さいさいでしてよ」

「かっかっか、そりゃあ重畳。流石は久世家のお嬢ちゃんだな」


 あの後、弓道場内が黄色い声で埋め尽くされたのは、雅の弓道の熟練度だけではなく、本人の美しさも重ねがけされた、その名の通り『雅』な形が周りに影響した結果だった。弓道に関しての知識を得ていない密香からしても、充分以上に目を見張るものがあった。

 ちなみに烈は、本当に必要な時だけ姿を見せるという姿勢を貫いているようで、雅から弓を返されると、また姿を消したため今この場にはいない。現在帰りの道を踏んでいるのは、密香と雅、そして累の三人だけである。


「さて密香さん。事件も無事収束したことですし、寮に戻りましょうか。本日の夕食まではまだまだ時間がありますので……あ、密香さんはご自宅から通われているのでしたっけ?」

「うん、そう。ちょっと歩くけど、おばあちゃんの家をそのまま使わせてもらってて……」

「あ、あら……それはそれは……」


 昇降口で立ち止まると、雅がしゅんとした顔を浮かべたので、思わず「ふふっ」と笑ってしまった。雅には「何を笑っていらっしゃいますの……!?」と言われてしまったが。


「……ふふふ、それでは、明日学校で。お互い寝坊に気を付けましょうね、密香さん」

「あはは、そうだね。じゃあ……また明日、雅」


 密香が何気なくそう口にすると、雅は一瞬ニコッと満面の笑みを浮かべてから、密香に背を向けて寮の方へと去っていった。


「……騒がしかったけど、楽しかったな」

「ヒメさんがそう思えたんだったら、大団円だな! かっかっか」

「あんなに興奮したの、結構久々かも。すごいんだね、式神使いって」

「それこそが式神使いってやつだ。ヒメさんもだいぶ分かってきたんじゃねぇかー? うりうり」

「だからって、頭に肘を押し当てるのはやめてくれない……?」


 しかし、累の言う通り、式神と妖怪の世界に少しずつ慣れてきたのは、自分でも実感が持ててきている。

 思い返せば、累に宙・空、烈。鎌鼬にぬらりひょん。まだ少ないとはいえ、多彩な式神や妖怪と出会った数日間だった。

 ……というか、まだ一週間経ってないの?と思ってしまったのは、死んでも言わないことにしよう。


「……それにしても面白ぇな、久世の嬢ちゃんまでこの代にいるなんてよ。こりゃあ忙しくなりそうだ────」

「──久世の嬢ちゃん、だって?」

「うおっ?!」


 いきなり声をかけられたのに驚いたのか、宙に浮かんでラフな体勢を取っていた累が一瞬肩を上下させた。


「あ、八重野先輩じゃないですか」

「やあ、奇遇だね。僕は生徒会帰りなんだけど」


 声の主──八重野が右手を上げて挨拶をする。累も「なんだ坊主か、ビビらせんなよ!」と笑いながら呟いていた。


「ははは、そんなつもりはなかったんだけどねぇ」

「……あ、今日もあの二人はいないんですね」

「今日も揃って、家のことを任せてるから。妖怪が出るなんて、そんなにあることじゃないしさ」

「そ、そうですね……はは……」


 軽く濁しながら、校門の方へ歩いていく。

 今日の帰路は彼も一緒らしい。

 ……既に日は、朱く染まっていた。


「……さーて、久世ってことはー……先生(・・)が言ってた京都出身の子は、あの子で間違いなさそうだね」


 すると八重野はそう独りごち、ふーむと右手を顔の下に当てる。その表情は神妙ながらも、奥に喜楽の感情が含まれているように見えた。


「今年は大型新人が一人だけって聞いてたけど、結局二人だし。まぁ例年通りってところかな」

「……先生? 例年通り……?」


 思わずそう聞いてみれば、八重野は楽しそうに「ははは」なんて笑い、次の一言を紡いだ。


「うん。準備できたって。


 比女織さん。明日、久世さんを連れて、放課後屋上に来てくれるかい?」

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