第三話 八重野汐は一対の式を持つ
高校の授業は、時の流れが速い。
ちょっと前にそう聞いてはいたのだが、小学校から中学校に上がる時も同じことを言われ、あまり違いを感じていなかったからこそこれを嘗めていた。あっという間に始まり、あっという間に終わる。本当に、授業スピードが速い。
密香は今、そんな高校生活初日の授業を終え、下校しようと教室を出たところだ。
どこもかしこも笑い声が聞こえてきているが、廊下には人っ子ひとりいない。帰る者はそそくさと帰り、教室に残る者は自由に残っているということなのだろう。
ふと、廊下の窓から、学内にある一本の桜の木が満開に咲いているのが見える。
東京より北である山形だからこそ味わえる、少し遅咲きの桜。
東京で三月下旬の桜を楽しんだ後、山形で四月上旬の桜を楽しめるなんて、密香は何と幸運だろうか。校庭のそば──比女織邸に至るまでの通学路を含めても、すぐに行けるような場所にある桜がこの校庭の一本だけしかないことが、なんとも悔やまれる。
どうせなら、どこかでお花見でもしてみたいものだ。
しかしこうしてひとりで歩いていると、つい昨日の出来事が、まるで夢のように思えてくる。
式神という存在、妖怪という存在。それが、何でもない一般人である密香に、真に迫っていること。それをはっきりと断言し、目の前に姿を現した式神使いと妖。
……思い返せば思い返すほど、あれは幻だったんだろうなと思うようになってしまうくらい、現実味のないことだった。
密香が階段を下りきったと思い廊下に出ると、「ヒメさーん」と後ろから呼び止められた。
声する方を見ると、そこには和服を纏った鬼角の男──式神・累の姿があった。昨日のことが夢じゃないと、きっぱり言われた気分。
「まだここ二階だぞ。もいっこ階段降りなきゃまた迷うぜー?」
累は階段の方を指差す。
密香は2度見してから、ようやく事の重要さに気付いたようで。
「……あ、本当だ」
密香が踵を返して階段に戻ると、累は空中であぐらをかきながら密香についてくる。
「んー、こういうのに気が付かないから道に迷うんか。ならヒメさんは、方向音痴っつーより、おっちょこちょいな性格なだけかもな。かっはっは」
「う、うるさいわね。……早く帰るわよ」
累の的を射た一言に、密香は何も言い返せず帰路へと早歩きする。
デメリットだと気付いている部分を指摘されると、案外カチンと来るものである。
改めて。
比女織密香は、昨日をもって式神使いとなった。
祖母の形見とも言える注連縄を依代に、式神・累を召喚したのだ。
累はそれこそこんな軽口叩きではあるものの、その実は膨大な力を持つ存在である。
それを密香は、己の意志で従える。
彼女は自ら、凄絶たる運命を紡ぐことになったのだ──。
今度は階段をきちんと最下階まで下り、左手の方へ普通に進むと、驚くほど何事もなく昇降口に降り立つことができた。どうして昨日、あんなに迷ってたんだろ。
上靴の白スニーカーから外靴のローファーに履き替えると、後ろから「ヒメさーん」とまた呼び止められる。
「累、何? 今は道に迷っ──」
「そうじゃねぇ。──あそこに何かいるぞ」
そう言われ、また累が指差した方向を見遣る。
開いている正門のところ。そこには、密香よりも背丈の小さい少女が、紫色の風呂敷で包んだ大きな荷物を持って歩いていた。
特に変哲のなさそうな女の子のように見えるが……。
「……誰かの妹さんとかかしら?」
「どこ見てそう思ったんだよ。よく見てみろって」
──少女は、猫のような獣の耳を頭につけており、腰から髪と同じ色の……尻尾のようなものが垂れている。身に纏っているのは……巫女服だろうか? 学校の雰囲気とはかけ離れた、珍妙な姿をしていた。
……ん? 獣の耳に、尻尾?
密香が見ていることに気付いたか、こちらに顔を向けた少女の、つぶらな水色の瞳と少しだけ目が合った。
すると少女は瞬時、大きな荷物を持っていると思えぬスピードで、密香の元へ駆け寄ってくる。あやうく「ひゃあっ」なんて情けない声を出すところだった。
「くんくん……はっ、もしかして、式神使いさんですかー?」
少女はそう言いながら、じっと密香の顔を見つめている。
この子、式神使いを知っているの?
そんな疑問は純粋な視線の圧に押されて、訊くのを躊躇ってしまう。どこから見ても害はなさそうだし、その言葉に裏があるとは到底思えないけれど。
「えー……? た、多分……?」
「たぶん……え、多分ですか〜?」
「あ、あー……ははは……」
どう答えていいかわからず、密香がつい誤魔化し笑いをすると、少女も首を傾げてしまう。それを見ていた累は後ろで笑っている。
「はは、別にそこは『式神使いだけど?』って言い切っていいんだぞ! 嬢ちゃん、別に邪気があるわけでもないしな!」
「えぇ……そういうもんかしら……」
「あ、やっぱり式神使いなんですね! じゃあ、宙、はじめましてします!!」
包みを隣に置いた少女は、密香と累に向かってビシッと敬礼した。
「わたし、宙って言います! 式神です! よろしくおねがいします!」
元気でかわいげある声を上げて、にっこりと笑う少女──宙を見て、密香は思わず顔が緩んだ。こういう子は嫌いじゃないという心の表れだ。
しかし、式神というのなら、先程の疑問も自然と晴れるというもの。累も立派な角を持っているわけだし、獣耳や尻尾があったって何ら不思議ではない。……人体構造的な問題はさておき。
「へぇ、式神か。俺の勘は正しかったな」
「宙ちゃんって言うのね。よろしく」
「あ、宙でいいですよー! 式神使いは、式神のことをそのままの名前で呼ぶのが習わし?なので!」
ゆらゆらと宙の尻尾が揺れている。かわいい仕草だなぁと思いつつも、その規則性を見ると都会育ちの頭は、不意に車のワイパーを思い出してしまう。失礼極まりないぞヒメさん。
習わしって?という密香の疑問より先に、累が答えた。
「貴族が、他の家の従者を敬称付けて呼ぶな、みてーな暗黙のルールだ。主人が従者に敬語ってのも面白そうだし、別に気にしたくなかったらそんままでいいけど──ま、それよりご挨拶だ。
俺は累。こっちはご主人サマのヒメさん」
「え?? ヒメ、ってお姫様の姫です? ヒメさんさん、お姫様なんですか??」
きょとんとした顔で、輝く眼が密香にそう聞いてくる。
その純朴な瞳は、言葉の裏の意味を考えない素直な思考を思わせた。
改めて言葉の意味を考えた密香は、仄かに顔を赤らめた。
「ちがっ──わ、私は密香。比女織 密香って名前! こいつが勝手に『ヒメさん』って呼んでるだけっ!」
「そっか、こいつまだ小っちぇえから、そういう夢見がちなとこもあるんか。かっかっか」
すぐさま訂正すると、今度は宙が「ひめ……ひめ……?」急にフリーズした。耳をピンと立て、尻尾も棒が入ったように動かなくなる。
「……宙ちゃ……いや、宙……? どうしたの?」
「──ひぁっ! ああと、えと……!」
不審に思った密香が呼び掛けながら肩を突けば、宙は突然顔を上げ、密香の方を見ながら五歩下がり、両膝を床につけて、ビシッと正座で地面に座り込んだ。
……あっ。これ、どこかで見たことがあるぞ。
続けて膝の前に右手、左手と順に手を置く。そして勢い良く頭をその手の上へと下ろし──この体勢は、つまり────
「ひめおりさまっ、大変申しわけございませんでした!! ……えっと、えっと、です!!」
「またこのパターン!?」
「かっかっか、こりゃどっかで見たことあるなぁ!」
結論から述べるのならば、宙が唐突にJAPANESE-DOGEZAをかましたのだった。……ここまで再現度が高いと、この式神の「ご主人様」が誰かすぐ想像つくと言うものである。
幼くたどたどしい口調の中、土下座の姿勢だけはこれ以上ないほど美しいのだから、あの優男先輩が普段どんな教育をしているのか知りたいものである。
「ま、ここまで来りゃあんたさんの家がどんだけすごいか分かるだろ?」
「分かんないわよ! 実感なんてありゃしないし……!」
累は最初から分かっているだろうが、自分は一般人だと信じ込んでいる密香に、そんなことが理解できるはずがない。
「もー、だから比女織がなんだって言うのよぉ────っ!」
春乙女の心の咆哮が、春の暖かい空気に滲んで融けた。
……ちなみに、今の累たちは式神使いの目にしか見えない状態なので、一般人の目から見れば、今の密香は正門の前で突如叫び出した、だいぶイカれた人間である。
この時は見物人がいなかったからよかったものの、のちにこのことを知らされた密香は、今日の行動を恥じることとなるのであった。
●
少し経ち。「別に比女織家の人間として見なくていいから。むしろしないで。絶対に」という表明に同意した宙と密香たちは、ちょうど校門から出たところにいた。
密香自身はそのまま家に帰ろうと歩いているのだが、家の方向が違うはずの宙が一緒についてきているのが、いまいちよく分からない。
「……ねぇ、宙。もともと宙はどこかに行こうとしてたんじゃないの? 私についてきていいの?」
なんとなく気になって密香がそう尋ねてみる。すると宙は一瞬、さっきと同じように「えっ?…………」とフリーズし、それからすぐに「あ──────っっっ!!!」と大声を上げる。それに驚いたのか、累があぐらのまま空中で一回転したのが少し面白かった。とはいえ、密香も驚きで倒れそうになったのだが。
「忘れてました!! 宙、お花見行くところでしたっ!!!」
そんなこと忘れないで!と思わず突っ込みたくなったが、宙は見た目の通り、少し幼いところが多いのだろう。記憶より興味が勝るなんて、幼い頃の密香自身もよく経験してたことだし。
「まっ、まずいです!! 空がず────っと、宙のこと待ってるんでした!! 今頃待ち惚けてるかも……!」
「おいおい……誰かは知らんが、待たせてんのは良くねぇよ。さっさと行ってやったほうがいいと思うぞ?」
「そうします! それではっ!! 密香様、またお会い……あっ!!!」
そこまで言うと宙は一瞬口を止めて、そしてまた、今度はにっこりと可愛らしい笑みを浮かべながら口を開く。
「そーだ! よければお花見、密香様たちもどーですか? おべんといっぱいあるので、何人来てもだいじょーぶです!! たぶん!!!」
「……え、いいの?」
確かについさっき、どこかでお花見にでも……と思っていたところだったが。
流石にまだ四季山の中で 桜が綺麗なところなどは詳しく知らないし、一緒に行ってもいいのならそれこそ願ったり叶ったりである。
「はい! ご主人様、ほんとはもっとほかの人を誘ってたらしいんですけど、みんな予定があって来られないみたいだった〜って寂しがってたので!! ご主人様もよろこびます!! たぶん!!!」
……たぶんという言葉が多すぎてなんだか不安にはなってくるが。
ちらりと累の方を見やると、「ヒメさんの好きなように」と言わんばかりの表情を浮かべている。
「……じゃあ、少しだけお邪魔させてもらおうかな」
「わーい! それじゃ、宙についてきてくださーい♪」
というわけで、宙のお言葉に甘えてついていくことにした。
「ちょ、ちょっと待って! 宙、荷物くらい置いてかせてよ!」
……あれからどれくらい経ったのだろうか。
近場なのかと思ったが、お花見会場までは距離があるようで。
「……意外と、遠い…………」
思わずそう呟く。
もうだいぶ山の中を歩いたと思うのだが、あたりは緑で生い茂っており、一向に桜は見えない。こんなことなら荷物を家に置いた時に、靴も履き替えておけばよかったなぁと思った密香である。すっかり後の祭りだ。
「ヒメさん、大丈夫か……?」
「うん、なんとかね……」
息を軽く切らしている密香を心配したのか、累が声をかけてきた。
そう言う累は、宙から包み──十中八九お弁当なんだろう──を受け取り、それを軽々と片手で持って、地に足をつけた状態で普通に歩いている。こう見ると、人間とそう変わりはないのかもと錯覚してしまいそう。
──ちなみに累曰く、式神は人型の時、三つの形態に変化することができるというのを、昨日の夜に聞かせてもらった。
今の累や宙は、実体化状態。普通の人間も見ることができるようになる状態で、重力に従う代わりに物に触ったりすることができるようになるそうだ。
式神特有の和服などの現代からすると違和感がある物は、他の人間が見ても違和感がなくなるとかなんとか。脳に干渉してるのか、それとも目に見えるものが違っているのか……その詳細はわからないが、不思議なものである。
他の二つのうち、一つは霊体化状態。さっきまでの浮いていた累がこれで、式神使いにしか見えず、重力に従わなくていい代わりに物に触ったりすることはできない状態らしい。
相手が式神や妖怪であれば触れることができるようで、式神の本来の仕事である『主人を護る』時は、この状態で敵と対峙することが多いという。
最後の一つは気体化状態。式神使いでも見ることができず、式神は話したり手を出したりすることはできないが、式神は主人の様子を見ていたり、聞いていたりすることができる状態らしい。
授業中など、姿を現していない累はこれだったのか、なんて思いながらさっき説明を聞いた。……正直、姿が見えないので、気体化している時にどこに行くかまではわからないのだが。
まぁこれを聞いてわかるのは、式神とはなんとも便利なものであるという点に限られるのだが。
「もーちょっと……もーちょっとですから!」
荷物がなくなってからぴょこぴょこと跳ねるように移動する宙は、さっきからずっとその言葉を繰り返している。最初にも「ちょっと行ったところなので!」と言っていたが、式神と人間とではやはり体力量が違うのだろうか……。
「宙……さっきからずっとそれじゃ──」
「ほら、密香様! 見えましたよっ、桜ー!!」
それを聞いて、密香がスッと顔を上げる。
すると少し先の場所に、とても大きな桜の木が見えた。
「わあ────」
抹茶の色をした木々に混じって、桃色の綿が目に映る。待ち望んだ、桜花の木だ。
近くには既に散ってしまった桜の花びらが落ちていて、春らしい暖かな光景が広がっている。よく見ると密香の足元にも、少しだけ花びらが見て取れた。
「あそこまでなので、もうちょっとです!」
何度目かわからないその言葉を口にしながら、宙がどんどん先へと歩いて行く。密香と累も、急いで後を追いかけた。
「はぁっ、よ、ようやく着いたぁ……!」
「お疲れさんよ、ヒメさん」
「おつかれさまです、密香様っ!」
息切れの密香が顔を上げると、そこには桜に囲まれた少し広い空間が広がっていた。
見渡す限りの純白が、きらきらと輝きながら春風に揺られている。東京でもここまで綺麗に桜だけの場所はなかなかない。まさに絶景と言えるだろう。
「しっかし、こりゃあすげぇな! こんなとこ、俺も知らねーぞ!」
累もそう零し、桜を見渡していた。
もともと密香の祖母の式神であったらしい累は、おそらく四季山の地形に関して密香より詳しいだろう。そんな累が知らないようなら、本当に穴場なのではないか。
「あ! おーい! 空〜っ!」
すると、宙が広場の真ん中に向かって手を振り始める。そちらに視線を移すと、そこには宙と近い身長の少年が、ブルーシートの上で一人、ぽつんと体育座りをしている姿があった。
少年は宙と似たような獣耳と尻尾を持っているが、宙よりも優しい顔立ちをしている。少年は、手を振る宙を見つけると途端に目をキラキラさせて、膝立ちになって手を振り返した。
宙に連れられるがままに密香と累もブルーシートの方へ行くと、少年はこてんと首を傾げる。
「……えっ? 宙ねーちゃん、この人たちは……?」
そう言った少年の声は想像していたよりは低いが、これはこれでかわいらしい。声変わりしそうな、でもまだしていないという境目くらいの声だ。
「途中で会ったから連れてきたのー! ご主人様、人いっぱいの方が嬉しいって言ってたから!!」
宙がむふふーと胸を張ったのとは反対に、少年はさあっと顔を蒼褪めた。
「そ、それ……ご主人様怒られたり……はわわわわ」
心配して言葉通りに慌てふためく少年に、宙は「だいじょーぶだよっ! 絶対だいじょーぶだよっ! たぶん!!」と言い続けている。普通、少年の方の感覚が正しいと思うけど。
「勝手にお邪魔してごめんなさい。私は密香って言うの。君は?」
ここまでの反省を踏まえて、密香はあえて苗字を晒さずに名前を教える。またここでDOGEZAされても困るし……!
「う……あ、あの……僕は、空……って、言い……ます…………」
少年──空は自信なさげに、「ます」を言うときにはもうほとんど消えかかるくらいの声で自己紹介をする。
「空、ね。よろしく」
空と宙が並ぶと、違いはわかるものの、名前からもわかるがパッと見ではかなり似ていると言う印象を受けた。双子とか、そういうものの可能性は充分にあるだろう。
「おーい、宙ぁー! 空ぁー!」
そんな声が聞こえて、声の方に視線を向ける。その先で、案の定あの先輩、八重野が……木から降りてきたように見えたのは、気のせいだろうか。
こちらも小さな包みを持った八重野の姿を見つけると、宙と空はそちらに目線を動かし、目を輝かせながら「「ご主人様!」」と口を揃えて声をあえた。
「ご主人様、遅いですよ〜!! 空がずっと待ってましたよー!」
「僕は宙ねーちゃんを待ってたんだけど……でもご主人様、ちゃんと僕、『ばしょとり』、できましたよ!」
褒めて褒めてとばかりにわぁわぁ騒ぎ、ぶんぶんと尻尾を振る二人を優しくあしらいながら、八重野が密香の方を見た。
「あれ、比女織さん! 来てくれたの?」
「えぇ……この宙って子が────」
「あ! そうですそうです、宙ががっこー? で会ったので連れてきました! ご主人様、人いっぱいの方が嬉しいって言ってたので!! ご主人様、宙、えらいですかー?」
「よく覚えてたね。偉いよ、宙」
「わーい! 宙えらいです! えへへ〜♪」
宙を宥める八重野は、まるでよく懐いたポメラニアンとその飼い主のように見える。
その雰囲気を崩さない程度に、密香は八重野に話しかけた。
「先輩。私達、宙に連れられてきちゃったんですけど……大丈夫でした?」
「全然! むしろ大歓迎だよ! 今日の桜が満開って聞いたからお花見したかったんだけどね、他の友達はみんな忙しいみたいで。すばるさんあたりはこういうの好きだろうし、来ればよかったのになあ」
「あの人の式神さん、予定に厳しいから……仕方ないです……」
「そういう式神もいるんだ」
ご主人様が寂しがっていた、と言う宙の言葉は間違いではなかったようだ。
ちなみに『すばる』というのは、八重野の知り合いの生徒だという。
「歓迎してもらえるなら、俺もちょいとお邪魔させてもらうぜ」
「うん。この前の件はホントにごめんね……」
どかりとブルーシートに腰を下ろした累に、八重野が小さく頭を下げた。
「もう気にすんなって! 俺もそんなに根に持つ奴じゃねーしよ。……それよか、ここはマジで桜が綺麗だな……こんな景色にゃ、酒が欲しくなるぜ」
累の言葉を聞いて、最初に召喚?したときに酒カスだと自称していたことを思い出す。思わず、ホントに酒カスなんだ、とこぼすと「かっかっか、うっせーな!」と笑い返された。
「花より団子、かあ」
典型的にそう思いながら、密香もブルーシートの隅に腰を下ろす。すると、八重野が自分の持ってきた風呂敷包みを開けた。中にあったのは黒い箱で、それは重箱の一番上だけのような弁当箱だった。
「お酒はないけど、お団子ならあるよ」
八重野がそう言いながら箱の蓋を開けると、中には何本かみたらし団子が入っていた。本当に花より団子というわけだ。
それを見つけた宙と、それに続いて空もお団子の入った弁当箱の中を見る。
「わぁ! ご主人様、これ、珠さんのお団子ですか!?」
「きれーい……」
「そうだよ。お花見行けない代わりに、って作ってくれたんだ」
聞けば珠と言うのは、八重野の知る式神の中で最も料理が上手い式神らしい。普段も行事さえあれば、いつでも彼が手料理を振る舞ってくれるんだという。
累の腕もなかなかだったが、それを凌ぐというのならば、今一度見てみたいものである。
団子は茶色い醤油のタレは優しく光っており、下の団子も程よい焼き目がついていてとても美味しそう。手に取るなり口に唅めば、頬が落ちるような甘い美味しさが広がる。
宙が累に持ってもらっていた紫色の包みは……そんな気はしていたが、予想通り二段箱のお弁当だった。
一段目にはおにぎりがいっぱい、二段目には少し不揃いで可愛らしい唐揚げを筆頭としたおかず達が入っていた。これは宙の手作りだそうで、少し分けてもらうことにした。これもまた、優しい美味しさが口の中に広がる。
「……ふふ」
わいわいとお弁当の中身をつまむ四人を傍目に、桜を見上げてみる。
密香はお花見を単体で楽しむことができるタチだ。食べ物がなかったとしても、綺麗な桜を見上げてぼーっと考え事をしたりするのを、なんとなく楽しく感じる性である。甘味があれば、それはそれでとても嬉しいのだが。
「そういやお前ら、双子か何かか?」
ふと思い出したように、累が宙と空に向かって聞いた。
宙はおにぎりを頬張りながら、空はお茶を飲みながら答える。
「双子? いえいえ違いますよー!」
「僕たち、姉弟なんです」
「へぇ……それにしてはすごく似てるよね」
よく似ている容姿もあり、てっきり双子なのだと思っていた。
累もそう思っていたらしく、少しびっくりしたような表情を浮かべている。
「だね。そうだ、改めて自己紹介しとこっか!
──僕の名前は八重野汐。そしてこの子たちは、僕の式神の宙と空。
宙と空は、本来は双子に近いんだけど、姉弟になったのはちょっとワケがあってね。
この子達の形代──式神を呼ぶのに使ったものは、神社の前にあるあの狛犬像なんだ。この子たちに耳と尻尾があるのはそういう理由だよ。
僕が最初に宙を呼んだ時に、空も一緒にとは思ったんだけど……残念ながら、まだ幼かった僕には力が足りなくて」
それで時間を空けてから、呼んだんだ、というのを空白から察して、なるほどと納得した。
しかし、狛犬かあ。道理で似てるわけである。どっちが阿でどっちが吽なのかも、なんとなく想像がつく。
「まぁ確かに、式神を二人使役するのはかなり大変だからな……。この坊主は、若年ながらそれができただけすげぇと思うぞ」
「ふふ、君みたいな人に認められて、僕も嬉しいよ」
──ひゅう────。
累の言葉が終わると共に、優しい風が辺りを包み込む。
桜の花びらが浮かび、柔らかにすぅっとどこかへ飛んでいく。さらさらと音を立てる桜の花びらが揺れる音、和気藹々と聞こえる人の声、穏やかな気温……密香は、全てがなんとなく幸せな気分にさせてくれる、こんな春が好きである。
「……風にはいい思い出がないですけど、こういう優しい春風はいいですよね」
「うん、言わんとすることはよくわかるよ……はは」
暖かな風の心地よさに頬を綻ばせながら、密香はそう口にした。
小さな幸福感のまま、せっかくだからもう一本お団子をいただくこうかと、密香はお団子の入った弁当箱に手を伸ばした──
スカッ。
「あれ?」
──のに、指はすっと空を切った。
まだ何本か残っていたはずだし、誰かが何本も一気に食べていたような記憶もない。しかし、お団子は既に無くなっていた。
密香が弁当箱の中を見て疑問を浮かべたのに気付いたらしい空も、思わずと言ったようにじっと宙を見つめた。
「……ねーちゃん、もしかして全部食べた? ぼくが最後に見た時には、お団子、五本くらい残ってたのに……」
「ちょっと空ぁ! いくらわたしが食いしん坊だからって疑わないでよー! それに宙、まだ二本しか食べてないのに……」
「僕も見てたよ。でもなんでだろ────あっ、あれ!」
八重野が大声をあげて指差した方を見ると、桜木の根元に、どこかで見た茶色いモノが三つほど。
「……え、鎌鼬?」
先程の風は本当に鎌鼬の風だったのか?
密香の記憶が確かなら、あの色とシルエットはほぼ間違いなく鎌鼬だ。
しかし、前足も尻尾の先も見る前に、颯爽と木々の向こうに姿を消してしまったので、真偽は不明だと言わざるを得ない。
「鎌鼬だったら良くないけど……時期も時期だし、ただの野生のイタチかもね。残念、盗られちゃったみたいだ」
人間はだいぶ進歩してきたが、人間は自然を壊す権限などなく、野生生物と人間は共にあるべき存在だ。こうして手を出されてしまったのなら、諦めるしかなかろう。
「……そもそも、って感じですけど。昨日とか──今日も、だったかもですが。ここら辺でに妖怪が現れるのって珍しくないんですか?」
疑問を密香が口に出すと、空がそれに答えた。
「四季山の中なら珍しくないですよ。ぼくはいつもは山を見回りしてるんですけど、その時もよく見かけますし。
……えっと、四季山の周りは特別なので、妖怪が住んでいる世界っていうのが、目に見えないところにあるんです。その世界とこの現世はいくつかの扉で繋がってて、弱い妖怪なら頻繁に出入りしてるみたいで。
そ、それで、昔のえらい人たちが、この山の施設に通う人を守るための結界を創ってくれて、特に五行高校あたりには妖怪が入ってくることは滅多にないんですよ。それでも入ってきちゃったら、一般の人には危険なのでぼくたちが追い払う……みたいな感じ、です」
だいぶ多く話してくれたが、ゆっくりで丁寧な口調なのですぐに飲み込むことができた。
だから八重野は昨日鎌鼬を追いかけていたのかと納得し、密香が「なるほど……」と口に出す。そういう妖怪を追い払うための式神と、その式神使いなのかもしれない。
「かっかっか。妖怪だったか本物だったかはわかんねーけど、たまにゃこんなこともあるだろうなぁ」
「密香様っ!! からあげ、まだいっぱいあるので!!」
「団子が食べられないのは仕方ないけど、なんか複雑……。じゃあ、唐揚げ貰おうかな」
桜は舞い、草は色付き、四季は廻る。
自然流れるこの四季山は、式と妖と共にある。
恐怖とは程遠い青空の下で、喜び、笑い、楽しみ合う。
こうした現実離れした現実を過ごしていることは、欠けがえのない幸せなのかもしれない。
楽しい時間はあっという間に過ぎ、今は狐も吼える煌月の夜。
家に帰ってきた後、せっかくなら先にお団子もう少し食べておけばよかったなぁなんて思いながら、明日の授業や行動について、密香は少しだけ思案するのであった。