第二話 比女織密香は式神使いになった
──名前。
勿論この男の名前など、密香は知るはずも無い。
訳も分からずに固まっていると、男はやれやれと言ったようにその場であぐらをかき、大きくため息をついた。
「……お前、比女織だろ?」
「──! な、なんでそれを知ってるの──?」
苗字を当てられた動揺が、不思議現象遭遇の動揺に上塗りされて、密香は反射的にそう声を発した。
比女織と言えば、まさに密香の苗字である事に間違いはないのだが……その物言いは、ただ名前を知っているだけではない、といった風だった。
「……ふぅん、やっぱりなぁ。いつも決まって、俺を喚ぶのはヒメオリのヤツなんだよ。ババァ見送って居眠りしてたと思えや、これさ」
ヒメオリのヤツ、という言い方に妙な違和感を覚える密香。
それに──ババァ。
そう聞いて密香の頭に思い浮かぶ名前は、ひとつしかない。
「比女織都戸子?」
「おう、そいつだ。そんで、お前はいつも迷子になってたガキだろ? 人間っつーのは、どうしてこんなに成長が速ぇんかなぁ」
なぜ祖母を知っているのか。なぜ密香の方向音痴──それによる迷子癖を知っているのか……。密香の頭には、次から次へと疑問符が浮かんでくる。
……今、ちょっと違和感のある言葉を聞いた気がするのも気のせい?
「ま、そういうのは後でだ。
──とりあえず、な・ま・え! 名無しの俺とかただの酒カスなんだよ! どーせ木箱に書いてあんじゃねぇのか!?」
木箱……?
はっとした密香は、手に持っていることすら忘れていた木箱を見る。中にはさっき見たときと変わらず注連縄、蓋の裏には祖母からのメッセージ。
この男の名前など何処にも……あ、そういえば、蓋の表に何か書いてあったんだったか。
あの文字──きっと、そうだ。
「じゃあ、あなたの名前は──」
「──『累』」「──ドアから離れて!」
密香が名を告げる声に、廊下の外にいるはずの八重野の声が重なった。
次の瞬間、木造の扉がそれに似合わぬ自動ドアの如く開くと思えば──突風が中に入り込んできた。
突風。──つまり、鎌鼬の来襲。
思わず顔を腕で覆い、身を固める密香。
──それとほぼ同時。男の足元が一瞬、白く眩い光を放った。
「へぇ──かかか、いい名前じゃねぇの」
そして男は──累は、密香が瞬きをした刹那、密香の前へ近づいており、気づくとその右手は、窮屈そうに顔を歪める鎌鼬を掴んでいた。
「っしゃ、契約完了だな。──よろしくな、ご主人様」
こちらを向き、楽しそうに笑いながら言い放つ累。
密香は訳がわからないと言った表情で累を見た。
それから間もなく、累の後ろに、黒い影が現れる。
その影は何やら振りかぶったように見え──
──バシィッ!!!
「どゎっはァ──っ! 痛てぇなこの野郎ッ……!」
──影の正体は飛びかかってきた八重野、音の正体は八重野が累に向かって振り下ろしてクリティカルヒットを決めた、大幣の音である。
累が怯んだのを見た八重野は、すぐさま大幣を構えて戦闘態勢をとった。
「僕の後輩をいじめるのはやめてくれない? 鎌鼬を連れて奇襲とは、大層じゃないか」
殺意のこもった眼力で、累を睨みつける八重野。
八重野の言葉を聞いた累は、軽くため息をついて両手を小さく上げた。
「──え」
これには、八重野も拍子抜けだったらしい。
「ったくお前、眼鏡でも買ってきた方がいんじゃねーの? ほら、お前なら嬢ちゃんと俺のことをよーく見りゃ、わかんだろ」
そう言われた八重野は、目を細めながら密香と累をじっと見る──
「っ! ごめん! 一年生の式神か! てっきり鎌鼬の仲間の妖怪かと思っちゃったよ……」
「そういうことだ。はぁ──、あまりに妖怪退治に専念してるからって、いきなり叩くことねーだろ……」
「……式神……って何?」
八重野は合点がいったと言わんばかりの表情で累に詫びているが──当の密香は、状況が何ひとつわかっていない。
「そもそも、累は何者なの?」
密香が思わずといったようにそう呟くと、累はやっぱりな、とでも言いたげな表情を浮かべ、八重野は驚愕を更々隠す気もないらしい。
「嬢ちゃんには早いうちに話しちゃわねーといけねぇ話だけど、その前にだな──」
────ひゅぅ──
──鎌鼬の風!
ふと前を見ると、累の手にいたはずのイタチがいなくなっている。風を感じ身構えていた八重野が密香を守るように累と並び立ち、風を切るようにして大幣を横に薙ぎ払った。
「はっは、どっかの誰かさんが、俺の大ッ嫌いな不意打ちでもしなきゃ良かったんだけどな! さっきの衝撃で逃げたぞ、鎌鼬!」
「く、その節はごめんなさいね!」
風は生徒会室の出口へと吹いていき、鎌鼬は生徒会室から出て行ってしまう。八重野はそれを走って追っていくが、累はそのまま密香の方へ向き直った。
「さーて、何も知らないヒメオリの娘っ子にいいこと教えてやるよ」
そう言うと、累はどこから取り出したか、注連縄を床に垂らして見せた。
「俺は注連縄の式神、累。
式神っつーのは、源氏と平家の頃から続いてる、ふるーい日ノ本の魔術のひとつだ。妖怪とは似ても似つかないって感じなんだが……詳しいことはちゃんと教えてくれる奴がいるだろうから、俺からは省くぞ」
これだけの説明で全てを理解した気にはなれないが、やっぱり累は魔法的な存在である、と言うことは理解する。全く、夢のような話だ。
「…………それで、式神はどういうものなの?」
幼い頃に祖母が式神について何か教えてくれていたような気はするのだが……記憶が霞みがかっていて、何も思い出せない。
「ご主人様のお望みを叶えるもん、だ。命令次第で何でもやる。
とりあえず、大雑把に言うと式神っつーのはご主人様の下僕っつえばわかりやすいか。俺の場合、お前が俺のご主人様だ」
んでだ、と一拍置いて累が言葉を続ける。
「式神は、ご主人様の呪に従って動くもんだ。つまりだな──」
そう言いながら累は生徒会室の外、鎌鼬とそれを追いかける八重野が走って行った方向をちらりと見やった。
「──さあ、今のご主人様の望みは何だ?」
──あいつを助けに行くのをお望みか?
そんな言葉の裏の圧を感じて、密香はなんとなく言葉にするのを躊躇った。
しかし、累の言う『比女織』は、自分の家のことで間違いない。きっと私はそういう血筋、星の下に生まれてしまったのだ、という諦観が密香の身を襲う。
────きっと、今だけだ。
元の生活に戻るなら、今だけ。どうにかして目の前の式神──累を消すことができれば、密香は式神とかよくわからないものと関わることなく、生きていくことができる。平穏な日々を失わなくば、この瞬間を以て、累を──
……いや、駄目だ。
密香は殺生を好まない。
そもそも人を殺した経験もないし、式神を消してしまう方法など知らない。
それに累は、密香が自ら呼び出した。祖母が善意であんな手紙も遺してくれたのだから、彼を手にかけるという事は、祖母の期待も裏切ってしまう事になる。
それは、祖母が大好きだった密香にとって、絶対にしたくないこと。
……迷いの末、密香が下した決断は。
「じゃあ、命令する。──累、」
凄絶な物語を、紡ぎに行こう。
「鎌鼬を、どうにかして」
──この瞬間、比女織密香は式神使いになった。
「かか──了解、ご主人様」
●
──時を遡り、鎌鼬を追って行った八重野。
(──結局、あの子のいる生徒会室に行かせてしまった。今度はそういうことが無いように、しないとっ──!)
しかし、密香がいたお陰で、一人で追いかけていた時より格段に楽になっている。鎌鼬は、新たな狙い──もとい、密香がこの階にいることをしっかり理解しているのだろう。廊下の途中の階段を、降りたり登ったりすることをしないからだ。
幼い頃から四季山で育った八重野は体力があり、そこそこ運動ができる方ではある。それでも、何度も階段を上り下りするのは流石に身体が堪える。階段の上り下りがないだけ、まだ楽ではあるのだ。
八重野はある程度、始めに鎌鼬退治の算段をつけて追ってきた。
それが『イタチ状態の鎌鼬の近くに鈴を投げる』こと。
鈴、と言うのは八重野神社にある特別な道具の一つ。効果は『地面に触れた時、近くにいる妖怪や神霊の動きを五秒だけ止める』と言うもの。
近く……というのも結構シビアで、妖怪の本体である魂から、半径一メートル内には置かなければいけないのだが、鎌鼬のような行動がわかりやすい妖怪程度が相手なら、とても役に立つアイテムだ。
それでも、まだ効果が出せていないのもまた事実。
風状態──不可視の鎌鼬にも使うこと自体はできるのだが、その風のどこに魂があるか分からないので、ほぼ運頼みになってしまう。一応 駄目元で十回ほど試してみたが、どれも外してしまっていた。そうなったら、実体が見えるようになるイタチ状態になるのを待つしかない。
鎌鼬がイタチ状態に戻るのは、風状態になってある程度の距離を移動した時か時間が経った時、だと思う。これはここまで追いかけてきた八重野の予想だが、このどちらかである事はあらかた間違いない。
(あぁ、本当に、宙と空……どっちかでも連れて来とけばよかった……)
宙と空──というのは、八重野の式神のことである。
詳しい話はまた後にするとして、このうちどちらかが居れば、二手に分かれて角に挟み撃ちする事ができたのだが……今日は生憎、二人とも神社に置いてきてしまった。喚び出すことはできるが、宙は家事をしているはずだし、空は見回りで他の妖怪を追っている可能性があるので、どうしてもの時以外は喚びたくない。
妖怪に遭遇するのはどうしてもの時かもしれないが、この程度の危険度が低い妖怪ならば、立派な神社の跡取りとなる人間なら当たり前のように祓えなければならない。
そんな事を悔やみながら、捜索を続ける八重野。
校舎を一周して、さっきの階段の前まで戻ってきたその時──
────ひゅうっ
(──来た!)
風は、八重野の後ろから前へと吹いていく。既に後ろに回られていたらしい。
風が止んだ時、鎌鼬は八重野の近くでイタチ状態──つまり、例の鈴が狙いやすい状態になっていた。
(チャンスは今しかない──!)
鈴を投げようと左足を大きく前に出した時、八重野の右の頬をヒュン、と何かがかすめて飛んでいった。
何か違う行動をしたと直感して一歩後退する。
次に八重野が感じたのは、右頬から液体が垂れてくる感覚。
横の窓を見ると、右頬のあたりに切り傷ができており、そこから滲んだ血がつぅっと垂れてしまっていた。
「──風の、刃?」
そういう技も持っていたのかと感心する暇もなく、鎌鼬はまたイタチ状態から風に戻り、また何処かへ行ってしまう。
(……さっき一年生の子の式神に掴まれたから、警戒度を上げたのか?)
──びゅうっ
今度は八重野の前から後ろへと。
風に目を細めながらその方へ向くと、そこには一年生の式神──一年生は累と呼んでいた──が仁王立ちしていた。
確か累の隣を通って首を掴まれていたから、それを警戒したのか。二人に挟まれるように、鎌鼬はイタチに戻る。
そして累と八重野、双方をきょろきょろと見渡し──また風になり、八重野とすれ違うようにして離脱した。
(──しまった、鈴を投げ損ねた!)
そう思う前に、累が「坊主、そいつ追え!」と鎌鼬の行った方向を指差す。チャンスを逃したのだから、その埋め合わせはしなければ、と八重野はすぐさま振り向いて駆け出した。
走っていくと、その先には──
「──! 君、逃げて──!」
あの一年生の少女だ。彼女はこちらに背を向けて、壁の『生徒会選挙の当選発表』と大きく書かれた、半年前の生徒会広報を眺めている。さっき生徒会室で見た名前が気になりでもしたのだろうか。
しかし、八重野の叫びは、集中する少女の耳には届かず。
せめて一年生の足を守らねば、と駄目元で一年生の方、鎌鼬の進路に向かって鈴を投げた。
すると驚いたのか、イタチ状態に戻った鎌鼬は、風の刃を飛ばして飛んでくる鈴を真っ二つにする。
「なっ──」
折角のチャンスが、と悲愴感を露わにする八重野。
──刹那、横から投げ縄が飛んできた。
ゆるい円を描く縄は鎌鼬を捕らえると、音も立てずに地面に落ちた。
すると、その円の中に入った鎌鼬は、浮遊状態が解除されるとべしっと音を立て、縄と共に地面に墜落してしまった。
「よくやった。ナイスフェイントだ、この野郎」
累の声を聞くと、一年生も振り向いた。よく見ると、彼女の足元にも鎌鼬と同じような縄の円があり、彼女はそれの中にいた。
「累、終わった? 良かった、先輩も無事みたいですね」
彼女は縄の中でじたばた動き回る鎌鼬を見ると、よっと縄から出てくる。
「かかっ、これが俺の能力だ。注連縄で囲んだ場所を聖域として、外界と切り分ける。だから、こいつは縄の外には出られねぇ」
本当にそのようだ。
鎌鼬は中から脱出しようとしているが、見えない壁のようなものに阻まれて出られないでいるらしい。
徐に、累がパンッ、と両手を合わせた。
「さぁ、こいつにはご退場願おうか。
──『術式、累』!」
すると、鎌鼬が注連縄の中から消えてしまう。こういう能力の式神なのか、と心の中で感嘆の拍手をした。
「これでよし。案外すんなり行ったもんだ。
あー、ヒメさんの足元にも縄を用意してたのは、あいつを捕えられなかった時用の保険だ。逆に外から中にも通さない、ってこともできるから、もしあいつがヒメさんに突進してきても、鎌鼬は聖域の壁にぶつかってピヨる予定だったのさ」
「正直かなり乱暴な計画だったけど、結果オーライね」
「ちなみに中から外への移動可能とかそういうのは俺の一存だ」と付け加えると、累と密香はハイタッチをして、鎌鼬の捕獲を小さく喜んだ。
こんなに難なく捕まえられるとは、この式神の能力のせいか、経験の差か。何にしても、八重野は「お見それしました」と舌を巻くしかない。何だか、弱みを握られた気分。
「……そういえば、『ヒメさん』って?」
ふと思った密香は、累に質問する。
式神は主人のことを、基本的には『ご主人様』と言う。八重野の宙と空もその例に漏れない。
それこそ多少違いがあったり、主人のことを呼び捨てで呼ぶ式神も知っているが、主人をニックネームに呼ぶ式神は珍しいという八重野の見解だ。
「ヒメオリだから、ヒメさん。俺、どの時代もヒメオリしか相手にしたことねぇし、これで通すのが楽なんだよな」
──ヒメオリ。
「…………え、ヒメオリだって? それって比売神のヒに女性のメ……機織りのオリ?」
そういえばと、密香は自己紹介をする。
「はい、よく知ってますね。……えっと。さっき言い損ねましたけど、私は一年の比女織密香って言います。何か縁があるかはわかりませんけど、今後ともよろし────」
「あ、はは……もしかしなくても、都戸子さんの孫娘…………」
八重野の顔がどんどん青くなっているような気もするのだが、密香は気にせず言葉を続けた。
「……そうですけど、ばーちゃんの事、ご存知なんですね」
そこまで言うと、八重野はなぜか密香の方を見ながら五歩下がり、両膝を床につけて、ビシッと正座で床に座り込んだ。
そして右手の大幣を床に置き、膝の前に右手、左手と手を置く。そして勢い良く頭をその手の上へと下ろし────
「──大変ッ、申し訳、ありませんでしたッ!」
……結論から述べるのならば、八重野が唐突にJAPANESE-DOGEZAをかましたのだ。
「ま、まさか比女織家の方だとは露ほども知らず──御無礼を、お許しください!!」
込み上げる笑いを堪える累と、きょとんとする密香。
……これが普通の性格の高校生だったのならば、こんなことが起こった時の対処方は、ほぼ三つのうちのどれかだろう。
一、「どうしたんですか!? 顔を上げてください!」と言って、相手に顔を上げさせる。
二、あははは……と苦笑いを浮かべて、その場を立ち去る。
三、嗤いながら、カメラで写真を撮る。
しかし密香は普通よりひねくれた性格の高校生であり、気遣いというものを最後の最後まで使うことが滅多にない人間である。それゆえに、密香は四つめのパターンを編み出した。
──四、強めの語気で、一言。
「──は?」
累が堪え切れずに噴き出したのは、それからすぐだった。
●
「いや、あの……ホント、取り乱してすみませんでした……」
五行高校を出た帰り道、八重野は力なく密香にそう謝った。
ちなみに現在は「校舎までで迷うんだから、初めての帰り道も迷ったりしない? いや、絶対するよね。うん」と言う八重野の心配と親切心により送ってもらっている最中である。こうして、やっと振り出しに戻れた。
「別にいいですけど、二度とやらないでくださいね。正直気持ち悪いです」
「かっかっか! ヒメさんも結構言うのな! 俺がこいつの立場でそう言われてたら、一週間は寝込む自信あるぜ!」
この高校に所属する生徒はほとんどが寮で生活するが、当然それに含まれない生徒も少しだけいる。その含まれない少しの生徒、というのがこの二人だった。
その理由は、密香も八重野もそれぞれの暮らす場所から高校までは歩いて余裕で往復できる距離にあり、登校に大きな支障が出ないためだ。寮の利用料金は相場より抑えめとはいえ、登校できるのなら寮で暮らして金を無駄に消費することもしない方が良い。
とはいえ多少の融通は効くので、台風や降雪で登下校が困難な場合は、非契約の生徒でも寮に泊まることができる。その時は食事代だけ持っていけばいいというのだから、だいぶ良心的だ。
八重野が暮らしているのは曰く八重野神社だが、密香は祖母の住んでいた古く大きな家屋に、たった一人で住んでいる。
もともと密香が五行高校へ通うきっかけになったのは、その家屋──通称比女織邸に住むという目的があるためだった。
密香の祖母である都戸子は五年前──密香が小学校五年生ほどの時に、亡くなってしまっていた。それから誰も住まなくなった祖母の家は、しばらく空き家として放置されることとなった。
しかし、二年前。密香の父はついに『管理が面倒だし、取り壊すか売るかしよう』と決断をする事に。だが問題はそれで終わらず、当時父と東京に住んでいた密香がそれに猛反発したのだ。
理由は勿論、祖母との思い出が詰まった家を壊すことも、そんな家に他の人間が住むことも嫌だという思いもあったせいだ。
密香を甘やかすことに関して、これ以上手練れたものはいないと思われる密香の父。流石にこれは管理費のこともあり、厳しいと却下を言い渡した。
そこで密香は考えた。比女織邸近くにある五行高校へ入学することができたら、そこを住居として使わせてほしい、もしも入学できなければ家は好きにしていい、という父への交渉を。
密香に甘い父は交渉に快く応じ、『じゃあ勉強頑張るんだよ』と言って、応援すらしてくれた。
その結果、密香は念願の五行高校の席を獲得し──先述の願いを叶え、今に至る。
……まぁ、まさかその先で式神やらなんやらのことに巻き込まれるとは思いもしていなかったが。
「えっと、比女織様は比女織邸に住んでいるんですよね。来たのって割と最近なんですか?」
「そうですね、一週間前に。合格通知が来るのが結構遅かったので……もともと引っ越しの準備は進めてたんですけど……。
……あのですね、先輩なのに敬語とか様呼びとか、死ぬほど反吐が出るのでやめてください」
密香が辛辣にハッキリと告げると、「はは、じゃあそうするね」と八重野は快く了承した。
「んー? そんだと、引っ越してからの荷物整理とか終わってんのか? 手伝うことありゃ手伝うけどさ」
累がふよふよと地面に浮きながら密香に話しかける。こういうことを平然とやっておけるあたり、式神って人間と違って特別なものなんだなぁと感じる密香である。
「掃除は行き届いてないけど、荷物整理は終わってる。元々荷物は少ないからね」
「じゃ、俺の出る幕はねーみてぇだな」
「そ。……それより、式神の説明、ちゃんと聞きたいんだけど」
「……えーと? 生徒会室に置いてあった比女織の箱を開けて、今日はじめて契約した──んだよね。そりゃあ何も知ってるはずないか」
「おいおいヒメさん、大体は俺が言った通りだぜ?」
「いきなり『俺、魔法☆』って言われて、ちゃんと理解できる人の方が居ないと思うけど?」
そりゃそうだね、と八重野が笑った。
八重野は累に目線を通しながら、話す。
「高校の先生に専門家がいるから、そっちにちゃんと説明してもらうといいと思うけど。
式神っていうのは、人間に使役される神霊って立ち位置なんだ。神霊に関しては僕たちの認識も曖昧なんだけど、簡単に言いくるめれば、神様の一種と言ってもいいかもしれないね」
「……それなら、累も神様の一種?」
密香がそう聞くと、累は少し首を傾げながら口を開く。
「一応そうなるんだが、俺は変わり種だ。まぁとりあえず言えるのは……俺は生まれてからも結構長いし、そこそこ強いぞ」
「…………自分で言っても、周りにはそう思ってもらえないわよ?」
「確かに、自称ほど信頼できないものは無いよね」
四季山暮らしが長く比女織邸の場所もよく知る八重野に付いて行きながら、密香は累の方を見ず、淡々と言葉を重ねた。
「さてと、話を戻そうか。まぁ式神がそういう不思議な存在なんだけど、特に覚えておいた方がいいのは式神が死ぬ時のことかな」
「式神って、死ぬの? 神霊とかいうやつなのに」
「死ぬというか、その場から消えるって感じさ。式神の消え方は二通りで、ご主人が死ぬと一緒に死ぬ。もう一つは『形代』が壊れると死ぬ」
形代?
その疑問を言う前に、累がそれに関しては補足してくれた。
「形代っつーのは、式神を呼び出す時に使ったものだな。俺の場合はあの注連縄」
「あー、あの箱に入ってた縄のこと?」
「そうだな。神霊の魂は実はこの世界に現れることができないんだが、形代はそんな俺たちがこの世界にいるために必要な『一時的かつ擬似的な魂』の代わりになるみたいな役割がある。……ここわかんなかったらわかんないままでもいいと思うが。
要約すると、あれがねーと俺らもこうしてお前らに出会ってない、ってこった」
「……半分分かったような、わかんないような? ……とりあえず、あの注連縄を壊さないように、大事にしとけってことでしょ?」
こう思わなくとも、祖母の形見に等しい注連縄を、安易に持ち出したりするつもりは無いのだが。ちなみに注連縄は八重野に許可をとって持ち出しており、今は密香の鞄の中だ。
「そういうこった。近くに無いと力が発揮できないなんてことも無いからな、普通に自宅保管で大丈夫だぞ」
「へぇ……じゃあ、ばーちゃんの近くに置かせてもらおうかしら」
「大事なものだし、見えづらいところに置くのが一番だと思うよ。
──はい、着いた」
八重野がそう言って足を止める。
そこには大きな木造の歴史を感じる家屋──密香の暮らす比女織邸があった。もうここまで来ていたとは。話題があるというのは、こういう感覚をも変えるのだなぁと。
「先輩、送ってもらいありがとうございました」
ぺこりと密香が頭を下げる。それには「大丈夫だよ」と、八重野が優しく返した。
「それじゃあ、また明日。明日は入学式の時間より早いから気をつけてね!」
密香はそう言いながら、颯爽と山道に戻っていった八重野を見送ってから家に入った。考えてみればそりゃあそうだ、と言う話なのだが、累が密香に同じように、そのまま家に入ってきたことに一瞬だけ驚いてしまった。
こうして、密香は無事に入学式の日を終わり、新たな絆を会得する事となった。
今後どうなっていくのかは、まだわからない。それでも、損をしない日々を過ごしていこうと、心に誓った一日であった。
……余談だが、累が「居候だし、メシ作ってやるよ」と言われたので夕飯の準備を任せたところ、密香が自分で作るより豪勢で美味しい食事が出てきたので、全て許してしまった。
式神って、案外日常生活でも役に立つものなのかもしれない。