第十話 瑞白萌は多事多端な生徒会長である
四月第二週、始まりの日。
──馴染み深き故郷を離れることに、少し緊張していましたが……住めば都とはよく言ったもの。こうして京の都にも劣らない日々が過ごせているなんて、素晴らしいことですわね!
そんな風に思いながら、少女──久世雅は、陰陽学部の部室に向かっていた。
この前の金曜日は面白……タメになりそうな講義を受けることができず元々残念に思っていたが、事の顛末を密香から聞いてだいぶ笑ったので、ますます立ち会えなかったことが惜しい。
ところが雅が学部に行けなかったこの前とは打って変わって、今日は密香が遅れてくるらしいとの連絡があった。
彼女曰く、家で見つからず持ってこれなかった課題を探して提出するためだとか。
ここ五行高校に寮が併設されていることはご存知だろう。それに肖り寮暮らしをしている生徒が多いこの学校で、基本課題の「家に忘れました」という言い訳は通用しない。言ったとして、「じゃあ昼休み、部屋から持ってこい」と返されてしまうのがオチだ。
しかし、数少ない実家通いの密香は、その忘れましたが言えてしまう。……とは言っても、学校からそう遠くない場所に家があることは教師陣も把握済みなので、「じゃあ放課後、家から持ってこい」と返されてしまうのがオチなのだが。
親友である密香さん──雅自身は既にそう認識している──と一緒に行動できないのは残念ですが、まぁたまにはこういうこともあるだろう、と割り切る。
すぐに戻ってくるとは言っていたし、私は部室で優雅にお待ちしていましょう──なんて、真新しい鍵を錠に差し込んで、戸を開けた。
「失礼致しますわ」
「あ! 雅サンいらっしゃいっす〜!」
陰陽学部の部室に入るなり、そんな明るい声と、何やら甘く香ばしい匂いに出迎えられる。
雅を迎えた声の主は、明るい水色が虹色に輝く銀色のようにも見える髪をした、優しい顔立ちの青年。式神・珠である。
彼は雅に軽く挨拶すると、近くの机に手に持っていたもの──何かが乗っかっている皿をコト、と置いた。
なるほど、思わず空腹感を刺激されるような芳しい香りの正体は、そこに盛り付けられたキツネ色のマドレーヌだったらしい。
「お、クゼミヤじゃん! ちーっす!」
そしてその置かれた皿の近くには、以前ぬらりひょん騒動の時に手掛かりをくれた一人である、少し緑がかった短い黒髪と三白眼が特徴的な──珠の主人である、稲葉先輩が座っていた。
「こんにちは、稲葉先輩。……私は『久世宮』ではなく、『久世雅』なのですけど?」
「いいじゃねーか! 『久世』より口馴染みいいし!」
「そうですの……? まぁ、ご自由にどうぞ」
こんな感じで少しおちゃらけた様子のある彼だが、真面目そうな部員が多い中でこれくらい緩い人がいるのは、全体の均衡が取れて良いのかもしれない。……式守という最大のおちゃらけ要員がいるのは、また別の話である。
「雅サンもどうっすか、マドレーヌ! いい感じに焼けたんで、きっと美味しいっすよ〜!」
そう誘う珠の手には、どこからか用意したらしいティーポットと茶葉の入った瓶があり、その手元には紅茶を入れるための道具一式が揃っている。見る限り、なかなかの上等品のようだ。
「……そちらの茶具は?」
気になったので訊いてみると、珠は近くの机の方を指差しながら口を開く。
「さっき、すばるサンが美味しそ〜な紅茶持ってきてくれたんで、用意してきたんすよ。紅茶、絶対マドレーヌに合うと思って!」
指差された先を見れば、そこにはいくつかのアクセサリーが付いていてわかりやすい、すばるの鞄がそっと置かれていた。あの本好きな先輩のことだから、荷物を置いて図書室にでも向かっているのだろう。
「なるほど……でしたら、是非とも戴きたいですわね」
マドレーヌは好きだし、紅茶は雅の大好物だ。授業後の疲れた頭にも糖分が効くだろう、と思わず笑顔を浮かべてしまう……のだが。新しくできた親友の顔が脳裏に浮かぶと、はっとして一度咳払いをして顔を引き締める。
「……ですが、密香さんがもうじき遅れて来ると思いますの。ですので、それまでお待ちいただいても?」
「おっけーっす! じゃあ、紅茶もその時っすかね?」
「んや、喉乾いたし、一旦でも紅茶は入れよーぜ。比女織が来た時に淹れ直してやりゃいーだろうしさ」
「そっすね、了解しましたっす!」
稲葉が指示すれば、珠は手際良く紅茶の準備を始めた。
コンセントにポットの電源コードを差し、スポーツ用と思われる大きな水筒から水がこぽこぽと注がれ、なんとも心地の良い音がする。
「烈。貴方も準備をお手伝いしてくださいまし」
「はい、ご主人様」
何を見るでもなく自身の式神の名を呼べば、すぐに背後から烈が現れ、命ざれるまま珠の手伝いを始める。
珠には「大丈夫っすよ、好きでやってるんで!」と困ったような表情を浮かべられてしまったが、「まあまあ」と適当に烈に嗜められ、大人しく手伝われ始めた。
「ふぅ……」
そうすると、雅も適当な机の椅子を引いて座り、荷物を机の上に放る。真新しい教科書達の重みから解放されたのもあって、思わず息を漏らしてしまった。
「ま、授業お疲れさん。今日何あったんよ?」
「数Iと数Aが両方ありまして、計算尽くしでとても疲れましたの。時間割通りでこれですから、毎週月曜日は憂鬱になりそうですわ……」
「そりゃ怠ぃな〜。俺んとこは今日体育入ってたから、そこで力使い果たして〜……あとは寝た! がっはは!」
稲葉がにいと笑いながらピースサインを浮かべたので、「まぁ、それはあまり宜しいことではありませんわね?」と少し笑って見せれば「ははは、サボりを笑ってもらえるヤツで良かった!」と逆に笑みを返された。
…………、すると。
「あら?」
不意に何やら騒がしい音がした気がして、思わず眉を上げる。
──耳を傾ければ、それはこちら──部室の方に向かっているように聞こえ──
『待ちなさ──────いっ!!!!!』
それと同時に、甲高い少女の声も劈くように聞こえた。
あの声は誰だったか──と勘繰る前に、視界に学部の扉のあたりの壁を抜けて、何かが映る。
「へ!?」
「はぁ!? なんだぁ!?」
それは宙を漂う、『白い布』。
風のない部屋にて、細長いそれは意思を持っているかのように舞い、ひらり動物の尻尾のようにはためかせて踊る。一方を表情のない頭、一方を毛のない尾のように振る舞い、くるくる楽しそうに浮遊していた。
「なんだあいつ、何モンだ!?」
稲葉と異口同音の言葉を思った雅。
よく見れば、おそらく尾にあたる部分に、何やら分厚い紙束を包んでいるようだった。
「あれは────」
「だ────っ!!!
追い詰めたわよ、一反木綿! その資料を返しなさいっ!!!」
──考えるよりも先に、今度は青藍の麗しい長髪の少女──祥が、壁を抜けてやってくる。あの叫び声は彼女のものだったか。
「祥サン、何がどーしたんすか!?」
「あいつよ! あいつが萌の資料を──」
「ふぅっ、漸く追い付いた……!」
遅れて、さらにもう一人──今度はきちんと入り口の戸を開けて──やってくる。
「あぁ、皆揃っているね。それなら好都合だ」
彼は我らが五行高校の生徒会長であり、祥の主人でもある──瑞白萌先輩だ。
容姿端麗かつ頭脳明晰、さらには温厚篤実と、まさに十全十美を体現したような完璧人間である──と聞いてはいるものの、彼の多忙さ故にまだあまり顔を合わせたことがなかったので、どこまでが真実でどこからが誇張なのかはわかりかねる。それほど信頼され、噂されている証拠なのだろうが。
……少し疲れた様子の萌は、祥とよく似た青藍の髪を色っぽくかき上げてから「祥、一旦下がって」と命令する。それを聞いた祥は、反することなく入り口の方まで下がった。
「皆、少しばかり救援要請させて。
つい先程、僕の不注意で、あの一反木綿に生徒会の会計資料を持っていかれてしまって……。あれを能う限り無傷で回収してくれるかい?」
言い切ってから、萌は一反木綿の方を指差す。
人差し指の先には雅も見つけていた紙束──彼の言う会計資料があり、一反木綿は自分が話題に上がっているとわかっているのか、けたけた嘲笑うかのように回って身を捩らせた。
──一反木綿は、見た目の通り布の妖怪。
とある地の伝承によれば、夕時に現れては風に舞い、人間に悪戯をするという自由奔放な妖怪だという。人的被害こそ小さいとは言われているが、こうして悪戯を仕掛けてくるのは、とても迷惑なものである。
「無傷で回収って……別にあれはあいつにあげて、おんなじのをもう一回印刷すりゃいいんじゃねーの?」
目が点のようになっている稲葉の疑問は尤も千万だが、萌は「いや、それが……」と申し訳なさそうに話を続けた。
「あの厚さ。あれをもう一度印刷するのに、相当な時間が掛かるんだ。百枚は優に超えるから、インク代も紙代もなかなかに惜しくて……」
「何よりアレ、昨日萌が寝ずにイチから作って印刷したものなのよ!? 萌の努力の結晶を、あの妖怪は〜っ!!」
──どちらかと言うと、そちらの方がメインの理由では……? と思った言葉は心の中にしまっておく。
「しかし、この部室にまで追い詰められたのであれば、下手に逃がすことはないでしょう」
と、烈が不意に言葉を紡ぎ始める。
「以前累様が部室に張った結界がありますし。
この部屋において、霊的なもの達は立ち入ることこそ容易でも、出る時はきちんと人が通れる場所──開いた戸口か窓からしか、出ることは許されませんので」
「そう、その意図を見計らって、この部室まで曲がり形にも追い込めた。…汐くんには別の作業頼んで走り回ってもらっているし、どうにかここで解決を──」
萌はそう言っているものの、やはり少し厳しい問題であることに変わりはない。
奴を追い駆けていた祥の能力は、以前見た通り『水を形あるものに変える』というもの。
しかし以前見た時、あの武器たちは傷が付けばそこから水が垂れていた。恐らく表面だけを武器のそれに変え、中身は水のままなのだろう──そう考えると、不用心に能力を行使してしまえば、奪取と同時に資料も水浸しになってしまうか。
雅の火矢での撃退も、布でできた身体を持つ一反木綿から資料へ延焼するだろうし、火を使わない普通の射的でも、当たりどころが悪ければ資料に風穴が空く。
雅の手札では、烈の分裂術式で追い詰めるのが一番成功しそうに思えるが、追い詰めて掴んだ拍子に資料がグシャ!なんて音を立てれば本末転倒……思った以上に、難易度が高い。
「──では、一反木綿サン!」
雅がどうしたものかと考え込んでいると、珠がいきなり大きな声を上げる。
「これ、欲しくないっすか!!!」
そう言いながら、珠はマドレーヌの乗った皿を左手に掲げた。
あの手は、主に小動物によく効く、食欲を利用して誘き寄せる作戦──
「そのまま、餌付けですわね……」
「相手は布だけどね。あれで上手く行ってくれるかしら……」
とは言うが、その場の全員が、珠の勇気ある行動に固唾を呑む。
──少しの時間の後、一反木綿はマドレーヌの方にゆっくりと身を寄せた。表情こそわからないものの、興味はある様子。
思わずじっと、睨みつけるようにして観察してしまう。
「ほ〜ら、美味しいっすよ〜……っすから、その資料を返してくださいっす〜……」
珠はマドレーヌのひとつをもう片方の右手に取り、一反木綿に差し出すように腕を挙げた。こちらにも美味しそうな甘い香りがふわりと広がり、十五時半を過ぎて空っぽの胃が鳴りそうになる。
それに釣られるようにして、一反木綿が頭と思われる方を、珠の右手にあるひとつのマドレーヌに近づけ────
──次の瞬間、しゅるしゅると風を優しく切る音がして、珠の手からマドレーヌが無くなった。
──左手の大皿に盛り付けられた方のマドレーヌが、皿ごと。
「「あ────────っっっ!?!?!?!?」」
当事者である珠と、一層緊張した様子で見守っていた祥が大声を上げる。
流石に一反木綿も驚いたようだが、資料は一枚も落とさず、器用に把持したままだ。尾の方?に乗せているマドレーヌの大皿からも、黄金色のそれは欠片ひとつも落とさない。
「うっそだろ!? 珠お手製のマドレーヌがじんわり広がる甘みとしっとり食感が美味しい、バターたっぷりのめっっっっっっちゃウマいマドレーヌだったばっかりにっ!?!?」
「ご主人、いつの間につまみ食いしてたんすか?」
そんな食レポまがいのコメントを投げた稲葉の口元には、知らぬ間にマドレーヌの欠片がついていた。ただ見ていただけの雅まで、そのコメントのおかげか更におなかが空いてくる。……余計なことをしてくれましたわね、先輩!
「私もお腹が空きましたわ……ではなく。……他の良い策は何かあるのでしょうか…………」
雅が策をと考え始めようとすると、隣に立っていた烈に「雅様、ここは私が」と制される。
「一反木綿様、どうか私めの話にお耳をお入れください」
と、烈は一反木綿の無い耳に向かって声を投げかけた。
「貴方様の目的及び理由については私にはわかりかねますが……妖怪の皆様によくあるお悩み──『退屈』と言うものであれば、私共で解決致しましょう」
「──! そ、そうっすよ! 欲しかったらマドレーヌまた作りますし、鬼ごっこだって付き合うっすよー!」
「そういうことなら、アンタと遊んでやってもいいわ。……べ、別に一反木綿のためじゃ無いけど!! 萌のためだから、仕・方・な・く・だけど!!!」
「ふふ。ですから一反木綿様、今一度その会計資料はどうか我々にご返却ください。そうして頂ければ、貴方の暇つぶしにいくらでもお付き合い致しますので」
……そう烈が説得すると、一反木綿は心なしかしおらしい様子になった。
一反木綿は『本当?』と尋ねるかのように顔と思われる部分を傾げると、烈は口を開かずこくりと頷く。
──すると、一反木綿は会計資料とマドレーヌを、近くにあった机の上に置いた。
「おや……」
意外とあっさり解決しそうで、ほっとする。
振り返れば萌は小さく拳を握っており、稲葉も興味深いとばかりに勝気な笑みを浮かべていた。
「アンタ、話がわかるじゃない!」
祥がそう言いながら、その会計資料を回収しようと歩みを進める。
──刹那、彼女らの周りを突風が襲った。
「きゃあっ!」
「えっ、!?」
「今度はなんですの……!?」
突然の強風──勿論窓は開いていなかった──に驚き、一瞬目を瞑ったが、すぐに風が止み、目が開く。
「まさか────」
すると視界には、先ほどの観念したような様子からは一変、さぞ愉快そうな様子の一反木綿が──会計資料とマドレーヌだけでなく、今度は机の上に放置されていた雅とすばるの荷物までも長い布に巻き込んで、宙を舞っていた。
「「あ────────っっっ!?!?!?!?!?!?」」
本日二度目の絶叫を上げたのは雅と、
……もう一人、新しい声である。
「わ、わたしの鞄〜!?」
「え……何が起こってるの……」
「すばる先輩に、密香さん!」
声の方を見れば、一反木綿の脱走防止に入り口を塞いでいた萌の後ろから、すばると密香が顔を出していた。かなり意外に思えるが、先程の絶叫は、すばるが起こしたものだったらしい。
「妖怪の気配がするけれど……何をやらかしたの?」
「はぁ、ありゃあ一反木綿だな? 状況から察するに〜……あの紙束を無傷で取り戻そうとして奮闘してるうちに菓子やら荷物やら巻き上げられたってとこだろ」
「流石の洞察力。正解だよ、最初から最後までその通り」
よく見るとすばると密香のさらに後ろからは、それぞれの式神がひょっこり顔を出している。……しかし、彼らの能力も捕獲に十分役立つかと言われるとあまり分からない──累の能力は絶賛役立っているのだが。
「ふーん……別にそう難しいことじゃなさそうだけど」
すると部室の剣呑な雰囲気を見た密香は、そう呟きながら颯爽と部室に入ってきた。
彼女は依然として威風堂々とした歩みをするが、それは座っている肝から来るものなのか、それとも言葉の通り簡単なことだという現れだろうか。
「ヒメさん?」
あまりにも怖気ない行動に、思わず累もそう漏らす。
「でも密香さん、あの資料を傷付けず取り戻すのに、武力介入は難しいですわよ?」
「そんな面倒なことはしないよ」
雅の弁解を一蹴し、密香の迷いない足は止まらない。
部室に踏み込んだ密香は、徐に入り口の左手──式守がいつも使っている、教師用の広い机へと足を向けた。
それから迷わず引き出しから小さい何かを取り出した。
──ライターだ。
「一反木綿」
灯油のたっぷり入ったライターを、すかさず一反木綿の方へ突き付け────
「さっさと全部返しなさい。
さもなければ、燃やすわよ」
……爆弾発言を投下した。
「えぇっ!?」
「おやおや、これはこれは」
「アンタ何言ってんの!?」
「ははは、おもしれ〜!」
そんな賛否評論が飛び交い、累も暴走する主人に「ヒメさん、話聞いてなかったか?」と呆れ顔を浮かべた。
──ところが、そんな反応を見せたのは式神とその主人だけではなく、一反木綿もである。
一反木綿は焦ったかのようにびくりと身体を動かすと、身体の一部を器用に使ってちょいちょい、と資料を指す。こいつも燃えるだろ、とでも言わんばかりに。
「彼の言う通りだ、比女織さん。あの会計資料を、無傷で取り戻さないといけないという話で──」
「この際、一旦諦めてください」
「えっ」
密香は二年先輩の人に対しても、毅然として太々しい態度を決め込んだ。
物理的にも青褪めている一反木綿をじっと見詰め、更なる脅迫を続ける。
「あんたがここで返さないなら、あんたをここで燃やす。
燃え滓になったのを二重世界にほっぽって、また復活したのを見つけたら同じようにあんたを燃やす。
一反木綿に仲間がいるかわからないけど、いるなら見つけ次第それも燃やす。今後全ての一反木綿を平等に燃やしてやるわ。累が」
「俺かよ」
──すると、一反木綿は先程と同じように資料を机の上に置き、マドレーヌを机の上に置き、すばると雅の荷物を机の上に置く。まるで観念しました、とでも言うように。
しかし、この光景を見るのはこれで二回目だ。
ここで密香が油断してライターを下ろそうものなら、一反木綿はまた突風を起こし更なる被害を起こしかねない────
──と思っていたが、密香はその様子を見ても、体勢を一切変えない。
密香は琥珀の瞳で一反木綿を射抜き続け、掲げたライターにも終には手をかけており、いつでも着火できるようになっていた。
「そこ、開けて」
「は、はいっす」
密香がライターを降ろさず、反対の手で窓を指したので、近くにいた珠が窓を開ける。
少し暖かい風が部室の中に流れ込み、密香の髪と一反木綿がはためく。
「今なら許してあげるわ。帰りなさい」
その場の支配者がそう声を出すと、一反木綿は密香を怖がるようにして、恐る恐る窓から外へ出ていった。
「…………はい、終わり」
「……す、すごいですわ…………!」
思わず親友──雅がそう認定しているだけであるが──の業績に声を上げれば、その場に歓声と小さな拍手が巻き起こる。
「別に凄くもなんともないけど……」
「充分すぎる働きだよ、ありがとう!」
ちょっと頬を赤くした英雄が、雅の目にはとても可愛らしく映った。
「ヒメさんマジ大胆〜……! いや確かに比女織の女はいつもこうなんだけどな、かっかっか!」
早速会計資料を手に取り枚数を確認してくれている祥を傍目に、萌が改めて礼を言うと「いえいえ、別に」と言ってひとまずライターを萌に預けた。
「累は一仕事。あいつを二重世界に送り返してきて」
「かっかっか、容赦ね〜!」
密香の指示を受ければ累は窓の縁に飛び乗り、窓の縁を蹴って高く跳躍すると一反木綿を追った。……窓の縁がついでに大きく凹んだのだが、これは後で直す、と言うことでいいのだろうか。
「……で、一件落着?」
「そう、だね……! 良かった、中の本も無事だ〜……!」
「萌! 会計資料、きちんと全部揃ってるわ!」
「ありがとう、祥。どうなることかと思ったけれど、これで安心したよ」
「ふぅ……」
安堵するような雰囲気が漂う中、密香は適当な机の椅子を引いて座る。妖怪退治の重みから解放されたのもあって、思わず息を漏らしてしまった。
「……さ〜て、密香サンも来ましたし! お茶会、するっすか〜!」
改めて珠が紅茶の準備を始めると、言わずとも烈がそれに付き添い始めた。稲葉がこっそりまたつまみ食いしようとマドレーヌに手を伸ばせば、その手が珠にペシッと叩かれる。
祥は「汐に資料渡してくるわ、萌は先に休憩してなさい! アタシの分もちゃんと取っといてよねーっ!」と言い捨てて戸口から騒がしく出ていき、それを萌が「重ねてありがとう、いってらっしゃい」と優しく見送った。
密香は近くに来た雅を見て、今日あった出来事をなんとなく思い返しながら疑問をぶつける。
「お茶会って?」
「そうそう、言い忘れていました!
珠のマドレーヌと、すばる先輩が持ってきてくださった紅茶があるんですって。乾杯のつもりで、私たちも楽しみましょう!」
「あはは、じゃあ、そうしよっか」
──陰陽学部は、今日も平和である。




