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第七話 おっさん大尉、過去に捕らわれる

 空中探査艦から不可視のビームが照射される。

 まるで重さを失ったように、クレハがふわりと浮き上がる。機体が探査艦の格納庫目掛けて、引っ張り上げられていた。


「なるほど。龍の重力子制御技術を応用して、見えないクレーンみたいに使ってるわけか。なんかUFOに誘拐される家畜みたいな気分ね」


 イアサントが呟く。

 

 瞬間、クレハの全センサーが暗転した。

 龍の技術を浴びせかけられたことによる、記憶素子の不都合か。あるいは機体のあちこちに入り込んだバグが引き起こした事態か。


 なんとも判別はつかなかったが、いまやクレハそのものと化しているイブキには重篤な結果を及ぼした。


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 それは錯覚ではなく、イブキにとっては混乱したセンサーが引き起こした現実だった。


 世界が瞬き、過ぎ去った過去が暗がりのなかで再生を始める。


◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 夜香蘭(イェ・シャンラン)のやわらかな笑みは、まるで陽光のようだった。


「まーたここにいた」


 肩口で切り揃えらえれた、艶やかな黒髪が揺れている。

 黒が深すぎて、まるで藍色にも見える。彼女が目線を合わせようと前屈みになったとき、歪んだ飛行甲板から掃討戦に出撃するレイズドベッドが巻き起こした気流がここまで到達し、緩やかに髪をなびかせた。


 潮と錆の臭いのなかで、花を思わせる豊かな香りがふわりと漂った。


 アークジェット・スラスターの轟きが、海を揺るがし遥かな空へと飛翔する。風が止むと、漂う香りの粒子は流れるのを止め、空間を芳醇に満たしていった。


「落ち着くんだ。狭い場所が。コクピットや墓穴みたいで」


 ヘルメットを胸に抱えながら、言葉を返す。

 シャンランと視線が合った。知性と未来への展望が限りなく広がる夜空のような双眸に、対面する自分の顔が反射している。


 映るのは、無精髭を生やし頬が痩けた男の顔。蒸れて乱れた灰の髪も、同色の瞳も、彼女のそれと比べればひどく凡庸だ。

 着ているかつては群青色だったスーツだけが、龍を狩る騎兵・レイズドベッドの搭乗者・ハンターであることを象徴している。


 もっとも、栄えある狩人の座を追われて久しい今となっては、スーツに誇りを感じることもないが。


 剥奪大尉イブキ・ハルノは、壁を背にカーゴ・スペースのコンテナの隙間に収まりながらか細く答えた。


「ここなら、前だけを警戒していればいいからな」


「凱旋した英雄にしては奥ゆかしいと言うか気が小さいと言うか」


 軽口を交えながら、自分よりもずっと年下のシャンランがこほんと咳払い。


「カテゴリー・マイルズを撃破したんだって? ミッキー・アイアンズが破壊を確認したって。キルレシオ五〇〇〇対一の化物。こっちは何百何千人も失ったのに、アレを倒せたのは、十人といないわ。これで大尉殿もトップ・エースの仲間入り」


「あいつは筋が良いが、お喋りがすぎるな」


「教官を務めてくれた大尉の戦果を誇ってるの。悪いことじゃないと思うけど。あ、彼がお喋りなのには同意」


 シャンランが瞼にかかった前髪を左手で払う。動作に合わせて緩やかな盛り上がりをみせる胸が揺れる。同世代の少年ならば、その曲線美に夢中になっていたことだろう。


 でも。もっと綺麗なのは、別の部分だと思う。


 物資不足のなか、唯一彼女が自分に許した贅沢である朱唇を綻ばせる。ん、と喉だけで言い右手の手提げ袋を掲げ示した。

 ずいと差し出す。袋がイブキの鼻先に触れる。どっしりと、何かが詰まっていた。少女の香りとは別の、人工的な甘い匂いがする。


 袋越しに、訊ねる。


「? これは?」


「我らが座上艦、錆と溶接痕だらけの不名誉艦《幽霊船》のハンター全員分の加給食を集めました。なんと、各種デザートが2ダースあります。なんと、丸ごとバナナを使ったスイーツもあります」


「俺に食えと?」


「大尉殿が身を置く船の艦長代理代行心得見習いである少尉の私が、全員を代表して、武勲への報償をば」


「屠龍の勲章を賜る資格を得た祝いの品、ということか」


「褒めて遣わしますぞ、龍殺し」


 ほら、さっさと受け取りなさいと言わんばかりにシャンランが手提げ袋を上下に振る。中でプラ容器と包装材がかちゃかちゃと鳴った。

 重労働のハンターの昼飯一品サービスが加給食であり、ようはデザートの類であった。

 個人の財産が限られ嗜好品にすらろくにありつけない兵たちにとっての楽しみのひとつだが、強引な彼女のことだ。お調子者のミッキーを始めとしたハンターたちから半ば無理やりに徴収したのだろう。


 命を賭けた戦いにたいしての、あまりにもささやかなプレゼントだった。


「ほれほれ、褒賞を与えるのだ。素直に受け取るがよろしい」


 仰々しく一礼する。シャンランの演技がかった言葉に、イブキは苦笑した。


 小さく礼を漏らしながら、受け取ろうと右手を伸ばす。


「ねえ大尉」


 彼女が、呻くように呟いた。


 どさりと手提げ袋が落ちた。潰れたバナナの破片が、床に張り付いた。腐臭にも似た甘い臭いがする。地の底から響いたような少女の声音に、イブキは動きを止める。


 美しい朱唇が、呪詛を吐く。


「熱いよ」


 眼前で、シャンランが燃え上がる。


 黒髪が蒸発し、着古してなお清潔な士官の制服が消失。醜く皮膚が膨れ上がりずるりと剥ける。血管がふつふつと沸騰し肉が炭化しつつある。


「熱いよ」


 呪いの言葉が木霊する。星空の瞳だけが丸々と形を残し、黒々く蠢いた。魂すら見透かす呆けた眼が、頭蓋の中でぐるぐると回る。めくれ上がった唇から覗いた並びのいい歯が、聞くに堪えない汚言を羅列する。


「熱いよ」


 もっとも美しいとイブキが思った、星空の瞳が渦を巻く。


 十四年前のある夜。


 大気圏を突き抜け降下するドラコニア・インヴェクタの侵略船、卵鞘殻はそれ自体が超質量兵器となってアメリカと中国の大地をめくれ上げさせた。そこに住む人々を、丸ごと。第二波の来襲のなか、国家による最初で最後の反撃、無制限・無限定・無限界の戦略核兵器による連続攻撃が卵鞘殻に放たれた。


 暗い夜空にすじびく流星群。永遠に続くかと思われた核の白夜。


 通称、星降る夜の日。


 そして、ヒトは負けた。


 幼いシャンランは台湾海峡越しに、人類の破滅の始まりを直接見たのだ。

 以来、少女の双眸には星空が宿っているという。


 やがて眼球はぱんと破裂し、最後に残った骨すらも灰となって崩れ落ちていった。


 イブキは、伸ばした自分の右手がクレハのそれとなっていることに気が付いた。


 マシンの指先。痙攣する人造筋肉。数多の昆虫を寄り合わせた奇怪で醜悪なパーツ。

 グロウブグレイヴ。

 あらゆるものを熔断する右手。


 耳に残響する言葉だけを痕跡に、シャンランは焼き熔けていった。


 イブキは絶叫した。


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