第六話 おっさん大尉、べつにいなくても話が進む
ブリッジにいる乗員たちは、静かに戦闘の成り行きを見守っていた。
空中に投影される複数の映像は、さまざまな角度から暴れ狂っていた鋼の巨人を映し出している。研究所から転送されたリアルタイムの動画だ。
「戦闘終了。第二師団のアイリスフレア、ソリフギは沈黙。探知範囲内にはまだ他のアイリスフレアが展開していますが、攻撃の様子はありません」
軍警出身で警護役兼副艦長を務めるメラストマが報告する。
多文化共生局資料館館長にして、空中探査艦の艦長を兼任する妙齢のインパチェンス・バルサミーナは頷いた。
「彼の収容を急いで。これ以上、機体を損傷させたくない。ストレージを失えば希望は潰えるわ。第二師団の動きは予想外に早かったけれど、前人類の兵器の力は彼女たちどころか我々にも未知数。師団もこれ以上迂闊に攻撃はしかけてこないはず」
「承知しました」
実直な性格のメラストマが指示を下す。
「機上輸送担当官に連絡。カーゴ・ベイを開け。トラクター・ビーム放射、ガイドビーコン出力。レイズドベッド・クレハ収容を急げ。エンジニアたちも続けて回収準備」
バルサミーナはもっとも大きなディスプレイを見上げる。胸中穏やかではなかった。
共生局で最優秀のエンジニアであるリコリスの説得により、ひとまず彼が敵に回るのは回避できたようだが、レイズドベッドに暴れられれば無事ではすまないのは第二師団どころか共生局も同様だ。
身の毛もよだつほど凶悪な兵器のなかに、希望だけが残されている。パンドラの箱ですらまだ平和的だ。あの鴉の暮羽色のマシンが、人を喰うミミックでないと誰が言えるのか。
次にすべき行動を考えていると、映像に小さなディスプレイが重なった。
真っ黒い表示にサウンドオンリィという白い文字。
目線だけで尋ねるメラストマに、バルサミーナは首肯する。
相手は第二師団に決まっている。
「どもども共政局のガリ勉のみんな、公式回線で呼びかけてるんだけど聞こえてる?」
「リティちゃん、初対面の人に悪口はよくないとお姉ちゃん思うけどなぁ」
「ティヌス姉は黙ってて、いちいち会話が途切れるから! ……で、聞こえてる?」
他者を見下すような口調と、対象的なおっとりとした声がブリッジに広がる。
「ヴィヴァーナム姉妹だな」
メラストマが声の主を知っているように呟いた。
「お、聞こえてるんじゃん。共生局に廃棄法違反を始めとした複数の容疑がかかっているから、捜査に協力してくれる? 私達には、独立した調査権限が与えられているんだけど」
「正式な請求がない限り、共生局には研究の秘密を保持する権利が認められています」
偉大なる淑女として名を馳せるバルサミーナは、穏やかなた口調で答えた。
不機嫌そうに鼻を鳴らす音が聞こえた。
「うるさいぞクソババア。あんたがたには兵器を不法に所持した疑いがかかってるんだ、反乱容疑で今すぐミサイル撃ち込んでもいんだぞボケカスマヌカ」
「リティちゃん、口が悪いとお姉ちゃん思うよぉ」
「話してるのは私だから、ティヌス姉は黙ってて。無駄に長引くから」
「はあい、わかったから怒鳴らないで。お姉ちゃん、お口を閉じておくから」
「うんうん、そうそう静かにね」
「いつからどれくらい黙ってればいいかなあ」
「今すぐ口を閉じろ縫い付けんぞ」
「リティちゃん、お姉ちゃんすごく怖いんだけど」
「黙れ」
「ご、ごめんね」
脅すような口調で実の姉を静かにさせると、リティと呼ばれた少女は続ける。
「で、どうすんの? 今すぐ艦を見せてくれる?」
「空中探査艦を始めとした共生局の各施設は、軍警の管理下にある」
バルサミーナに代わって答えたのはメラストマだった。
「はあ? 意味わかってるの、私達には強制的な権限が」
「現在軍警はある捜査容疑で共生局を管理下に置いている。今しがたのアイリスフレアの攻撃も、第二師団による越権行為であり軍警の捜査権を妨害している。これは軍警本部から師団へ重大に抗議すべき事態だ」
「詭弁だ。警察ごときが軍に物申すか。ひねり潰すぞ」
「ならば、お前の独断で軍警全体を敵に回してみればいい」
リティは不機嫌に押し黙った。
バルサミーナはメラストマが賭けを行ったのを承知していた。第二師団からの追撃がなく、交渉のために通信回線を開いてきたということは、まだ強制的な権限がリティたちには正式に与えられていないのだろう。気になったからちょっかいを出してきた、というところか。ハッタリを述べているのは、お互い様だ。セントラルへの根回しはまだ充分行われていない。
実力行使に出られれば、不利なのは共生局のほうだ。軍警の部隊と合流する前の現況では、艦の防御すらままならない。アイリスフレアに攻撃されればバルサミーナたちの命は風前の灯火だ。
通信が音声のみなのは小さな幸運だった。額にじっとりと浮かんだ冷や汗を、見破られないとも限らない。
リティは口を閉ざしている。首都警護の象徴たる第一師団、重要施設・大図書館の儀仗兵めいた第三師団と違い、実質的な軍務を執り行う第二師団の人間とて、独断で最大の警察機構である軍警と争うべきか天秤にかけている。
折れたのはリティだった。
「引いてやる。でも、おぼえてろ」
「お仲間は拾っていかないのか?」
「アホで短絡的で直情的なヴィクトリアは暴走しただけだ、あれは師団の総意ではない。捜査妨害で逮捕でも拷問でも、心不全で不審死でも好きにしろ」
「取り調べはさせてもらおう」
「もし戦場にでたら、流れミサイルには気をつけるんだぞ。なにしろあんたたち軍警を恨んでるヒトは多いからな」
リティのセリフに、ブリッジの視線がメラストマに集中する。
皆、艦長の警護役がなにを言われているのか予想がついていた。
「リティちゃん、交渉、終わったの? 喋っていいかな? お姉ちゃん無視されてて寂しいなあ」
「ほら帰るよ、ティヌス姉」
「え、暴れないの? よかったあ、戦闘は無しなんだね。戦うの、お姉ちゃん怖いから」
「師団の最高戦力がなに弱気なこといってんの、ちゃんと仕事しなさい」
通信はそれきり途絶えた。
探査艦のセンサは、第二師団の残りのアイリスフレアが離れていくのを捉えていた。とりあえず、引き下がってくれるようだ。
バルサミーナは安堵の溜め息をつく。
まずはメラストマの交渉術を讃えねば。軍警の長官は古い友人だが、メラストマは彼女の秘蔵っ子だ。そんな切れ者を副官として派遣してくれたことに感謝する。
軍警の後ろ盾がなければ、第二師団を敵に回す危険は冒せなかった。
それにしても。
第二師団は実に保守的だ。純粋に恐れているのか。それとも、自分たちの権勢が衰えるのを危惧しているのだろうか。汚れ仕事を師団から押し付けられがちな軍警は共生局の主張に同調してくれているとはいっても、味方の数よりも敵は多い。
幸いにもあの男――イブキ・ハルノが説得を受け入れてくれたのは僥倖であった。
レイズドベッドを再起動するだけでも、実にさまざまな困難があったのだ。共生局に少数残されていたハードウェアを解析し、リバースエンジニアリングにより機体を復旧させるまでにかなりの費用と年月を要した。それも、リコリスという才能が天の恵みのようにやって来なければ、不可能ですらあった。
再度の挑戦をする機会は、金銭面でも時間的にも、人員的にもない。
失敗は許されなかった。
だが彼が。四〇〇年以上前に戦死したはずの彼は、ドラコニア・インヴェクタを憎悪しているのは言動からよく理解できる。
もし。もしあの男が、真実を知ったとしたら。
「我々ルグブリスが、龍の――ドラコニア・インヴェクタの因子を宿していると知ったら。果たして彼はそれでも味方でいてくれるかしら。彼もまた、敵に回るかしら」
「そのときは」
艦長の呟きに、五万人の虐殺を行った軍警のメラストマは厳しい面持ちで答える。
「もう一度破壊すれば良いだけです」
小さな振動がブリッジに響く。
探査艦の導きを従順に受け入れ、空を飛んだクレハが着艦したのを格納庫の乗員がしらせてきた。