第三話 おっさん大尉、女の子に熱いものを叩き込む
銃声が止んだのに合わせ、凛とした声音でリコリスが喋りだす。彼女の言葉は建物内に響くほど拡張されていた。
「ヴィクトリア、矛を収めてください。多文化共生局は、第二師団と争うことは本意ではありません」
「婚約者の願いとて、聞けんな。今のあたしは軍務に縛られている」
「同胞たちの未来がかかっている。貴女も知っているはず」
「ホモ・サピエンスを絶滅させたのは誰だ? ヤツらは自分自身の蛮行が原因で滅んだ。戦いに喜びを見い出す、極めて野蛮で危険な生物たちだったからだ! セントラル・ドグマが、あらゆるデータを破棄したのはホモ・サピエンスが忌むべき存在だったからだ!」
「彼は、イブキ・ハルノは我々の希望です」
「みなまで言わせるな。お前が男に抱かれるさまを想像すると、あたしは気が狂いそうになる! 処女を捧げるのならば、あたし以外は許さない!」
リコリスは戦闘中断を呼びかけていたが、しかし、ヴィクトリアにすげなく拒絶される。
「はあ、婚約者ねえ? 同性なのに? なんなんだかね、あの娘たちの関係って」
「いろいろと複雑なようだ」
「向こうもこっちが埒が明かないのはたしかねー」
イアサントが困惑したように漏らす。
だが、イブキは三度に渡る攻防により気が付いたことがあった。アイリスフレアは、少なくともレイズドベッドと同程度以上の科学力により建造されている。ならば、完全武装状態のレイズドベッドがそうであるように、強力な破壊を可能とする兵装を持っていても良いはずなのだ。少なくとも、乱入の前、外壁を破壊するのに重粒子ビーム砲と呼ばれるものを使用したのは間違いがなかった。
それにもかかわらず、ヴィクトリアは槍と盾を使った近接戦闘に拘っている。
なぜか? イブキにはひとつ、想像がついた。
「可能ならば、一撃で仕留めたい。あのアイリスフレアの機関部はどこだ?」
大きな破壊を伴う行為、たとえば弾薬や燃料系の誘爆が起きれば、周辺の被害は免れない。近くには生身のリコリスがいる。今のイブキのなんからの事情を知っていると思わしき彼女を傷つけるわけには、後のことを考えるといかない。
アイリスフレアを爆発させずに倒す必要があるのだ。
イブキの質問に答える代わりに、視界にサーモグラフが重なった。対峙するアイリスフレアの全身を走査する。
「……明確な高熱源部がないな。炉心に相当するものを確認できず。レイズドベッドのように核融合で動いてるわけじゃない。だがしかし」
代わりに、機体各部の装甲下にいくつかの熱源があるのをカメラ・アイは認識していた。イブキはイアサントの言わんと欲していることを察した。
「燃料電池で稼働しているのか。冗長性を持たせるために、それも複数の」
「単純な出力は、レイズドベッドのほうが上ね。完動時は、だけど」
「今はなんの慰めにもならん。核融合炉を破壊すれば停止させられる、そういうわけにはいかない。簡単には壊れてはくれないか」
苦虫を噛み潰したような感覚が胸中に広がっていく。
現状が不明過ぎる。余計な遺恨は残したくない。可能ならば、誰もが生き残るのが最良なのだが。
「黙って希望が絶たれるのを見ているがいい、リコリス。お前は再教育を免れんだろうが、好色の査問委員会どもには指一本触れさせん。そのときは、あたしはいくらでも味方してやる」
問答を強引に終わらせ、ヴィクトリアはイブキに殺意を漲らせた。
どうやら、覚悟を決める必要があるようだ。
「どうしたどうした、過去の遺物。生殖猿の思考は、臆しているのか。逃げ回っているだけでは、あたしには勝てない!」
ヴィクトリアの言葉とともに、アイリスフレアが踏み込む。全身の重量と、背部から輝くスラスターの速度を乗算した一撃。槍を突き出し、吶喊してくる。まるで砲弾そのものだ。
「……たしかに、その通りだ」
「ちょっとアンタ、何するつもりなの?」
不穏な気配を察したのか、イアサントが問う。AIだというのに、やけに人間めいた反応だった。
クレハのカメラ・アイを通し、イブキの意識ははっきりと見つめる。突き出される馬上槍。先端の一点は、ただクレハの腹部にある動力源ミューオン常温核融合炉を狙っていた。融合炉は炉壁が破れれば瞬間的に温度が下がり、核融合が停止する。核分裂炉とは違い、極めて安定性が高いため核爆発は発生しない。レイズドベッドが損傷し爆発的に炎上する場合は、実際には推進剤や弾薬に引火しての誘爆がほとんどだ。
融合炉が損傷し、停止すればクレハは周囲に影響することなく止まる。
アイリスフレアが火器を使わない理由。恐らくは、ヴィクトリアもまたリコリスを傷つけることのないように配慮して戦っているのだ。
それは同時に、ヴィクトリアに唯一つけ込める点でもあった。
「南無サンッ!」
「まぁー! 待ってよ! あんたが何考えてるか、私わかっちゃったよ!」
避ける代わりに、イブキはクレハを踏み込ませる。退けばいつか刃に捕らわれる、だから覚悟した。
前進。さらに前進。
アイリスフレアの穂先と、ちょうどすれ違うように。
「自暴自棄にかられたか! 武器もなしにどうするのだ。短絡的だな、男という生き物は!」
ヴィクトリアが叫ぶ。槍の狙いが修正される。イブキは逡巡することなく左手を――なくした肘から先に取り付けられた、カウンター・ウェイトを差し出した。耳障りな擦過音。光の瀑布のような火花が溢れ落ちる。圧倒的な回転数に巻き込まれ、瞬間的に仮設左腕が吹き飛ぶ。
わずか数秒。だが、稼げた時間は充分だった。
左腕がめちゃくちゃに千切れ飛ぶのをかまわず、力技で槍の刃を弾き飛ばす。骨格自体が捻じれる負荷に正常な関節部分までもが異音を立てたが、気にしてはいられなかった。
アイリスフレアのバイザー・アイの視線と、クレハの双眼であるカメラ・アイの視線が交錯する。
「あぁあ~、クレハの左腕があ! 機体の重量バランスが狂いに狂いまくっちゃうう、はやく機械脳に再計算させなきゃあ」
さらに、一歩。
これで相手の懐に入れた!
「イアサント、リミッターを解除しろ!」
「やってますよお、やってますう。何年付き合ってると思ってるの、もうやってあげてるんだからね! ATPの変換効率を無限界へ!」
イアサントが左腕完全断裂の悲鳴をあげるのと同時に、イブキはミューオン常温核融合炉が発生させる電力を一部バイパス。機体右腕に集中させ臨界出力。装甲内部の骨格筋を意図的に収縮させ、熱産生を増大。
イアサントはわきゃあわきゃあ喚くが、きっちり仕事をしていた。
リミッター・リリース、制限解除。装甲内部の人造筋肉を駆動させるためのエネルギー、残存ATPすべてを直接熱量へと変換開始。莫大な熱が発生し、クレハの指先から陽炎が踊りだす。
グロウブグレイヴ。
クレハの右手全体が、あらゆるものを熔断可能とする超高熱のヒートナイフと化していた。すべての武装を消失したさいにのみ使われる、最後の切り札だ。
威力は折り紙つきだが、事実上の徒手空拳であるため攻撃範囲が限られる。さらに腕部に甚大な負荷をかけ使用後は機体自体が行動不能になる可能性が高いために、イブキですらマーテル戦を含め片手で数える程度にしか使ったことのない武装だった。
今やクレハとアイリスフレアは、抱擁可能なほどに肉薄している。
この距離は〝殴り合い〟が有効な間合いだ。
発熱する手刀を、イブキは容赦なくアイリスフレアの頭部に叩き込む。熱いナイフがバターを切り裂くように、容易くこめかみを熔断。バイザー・アイの七割を消失させながら左頬へと貫ける。返す刀で左肩部を貫手で刺し貫く。ずぶり、と右手が装甲に減り込む。超高熱の一撃は、抵抗を一切感じさせずにすべてを熔かし斬った。
「熱いものがっ、あたしのなかにぃ!」
ヴィクトリアが絶叫した。神経接続による機体ダメージのフィードバックだろうか、まるで自分自身の身体を負傷したかのような悲鳴だった。
「機体耐熱負荷警告。ヒートシンク温度限界突破。ラジエーターの冷却が間に合わないぃ、溶けちゃう溶けちゃう、熱中症で溶けちゃううう!」
イアサントの悲鳴混じりの声に動じず、イブキは右手を撥ね上げた。一撃で内部フレームごと左肩を粉砕。
生物を模した機構を駆動系に採用しているレイズドベッドとは違い、アイリスフレアの中身は完全に機械制御だった。ギアの破片やモーターの残骸が装甲材とともに飛び散る。質量を支えきれず、重力に引かれ、断ち切られた左腕がシールドごと落下していく。
損傷の大きさにアイリスフレアがよろめく。クレハの収音マイクが、爆発音を捉えた。切断箇所から炎と黒煙を吹き出し、アイリスフレアが片膝を突く。
耐久限界が近いのだ。
やれる、イブキは安堵する。誘爆を引き起こさずにアイリスフレアを行動不能にさせられる。
「負ける? このあたしが、賜一勲の騎士であるこのヴィクトリア・レギナエが?」
半壊した頭部がぐるりと巡り、潰れかけたバイザー・アイがリコリスを見つめる。
「なぜだ、リコリス・ラディアータ? お前の希望が勝利したというのに、お前の顔は、いまも苦悩に満ち感情を失っている。なぜ困難な道を歩む? マイ・スィーティ、あたしはただ幸福に世界の終わりなど忘れてほしかった。屈託なく微笑むリコリスを、また見たかっただけなのに」
アイリスフレアの右手が動く。血反吐を吐くような絶望の声を上げ、ヴィクトリアは槍を頭上に抱え上げ――自らの機体胸部に突き立てようとした。
恐らくは、そこが搭乗者であるヴィクトリア自身が収まっているコクピットなのだろう。
「愛した女の前で、騎士が醜態を曝せというのか。欠格者と唾棄される賤民であるあたしにも、叙された誇りがあるのだ」
予期せぬ自刃に、イアサントが狼狽する。
「ちょっとなんなのよこの娘、さっきから言動がヤバすぎるんじゃあ」
イブキの反応は、一手先を行っていた。右手を一閃。イアサントの言葉が終わらぬうちに、熱せられた手刀がアイリスフレアの右肘を切り飛ばした。
アイリスフレアは両腕を失った。これで武装を無くし、継戦能力を完全に喪失した。
もはや自害すら叶わぬだろう――誰も死なないのならば、今はそれが一番良く思えた。
機械脳より、オーバーヒート警告。クレハが右腕を中心に外骨格を開放する。開いた装甲から色のない蒸気が吹き出し、周囲を揺らめかせる。グロウブグレイヴの発動により人造筋肉に蓄積した高熱を放出しているのだ。
同時に敵アイリスフレアのバイザー・アイの輝きが消失し、虚ろなレンズの反射を残すだけとなった。四肢の残骸から力が抜け、ギアとモーターが鈍い回転を立てながら弛緩が全身へと及ぶ。機体駆動が、完全に停止された。
クレハのサーモグラフの熱源映像は、アイリスフレアの装甲下各所にある燃料電池が急速に冷却状態に移行するのを捉えていた。
「馬鹿な。あたしのソリフギの制御中枢が、外部からのハッキングを受けて――」
ヴィクトリアの言葉が不自然に途切れた。搭乗者の心理を象徴するように、アイリスフレア・ソリフギはがっくりと項垂れた――単純にジョイントが物理的限界を迎え、損壊した頭部が下を向いたただけなのだろうが、イブキには少なくともそう見えていた。
「ふいぃぃぃー、ほぼ同時。これは間に合ったといって差し支えないんじゃないでしょーか?」
「見事よ、カランコエ・ブロッサ」
「これも〝賢人〟の支援があるからです、お姉さま」
リコリスが労いの言葉をスロートマイク越しにかけていた。察するに、カランコエと言う名の少女が、ソフト的な手段を用いてアイリスフレアを外部から強制停止させたのだろう。
突発的に開始された戦闘は、紆余曲折の果てにイブキの勝利に終わった。