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月誓歌  作者: 有須
修道女、船にも悪意にも酔わず
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5

「大変お待たせいたしました」

 最大限時間を有効に活用したつもりだが、それでも十分ほどはかかった。

 いつのまにか着せられていた夜着から室内着に着替え、髪を梳かして寝癖を直し、熱のせいで頬は赤いので、淡い口紅だけを引く。

 装飾品はつけず、軽いウールのショールを肩にかけだだけ。ルシエラは不満そうだったが、熱が出て臥せっているのに着飾っても仕方がないではないか。

 それよりも、その時間を使って状況の説明を受けた。

 リヒター提督をあんなにも怒らせてしまったのは、やはりといおうか、彼女の暗躍があったからだった。

 何年もかけて作り上げてきた彼と部下たちの信頼関係を、氷の女王ルシエラがたった二言三言で揺るがしてしまったのだ。

 ざっくりというと、提督の下手を打った部分を徹底的に追求し、配下の者たちを分裂させた。

 おそらくは年単位……もしかすると十年以上かけて培ってきたものを、あっけなく。ものすごくあっさりと。

 メイラが会食に参加するとかしないとか、そういう問題ではなかった。

 ルシエラは提督が腹心だと思ってきた男たちに大きなくさびを打ち込み、彼にではなくこちらの為に働くように仕向けてしまった。

 こちら、というのはメイラのことである。

 ルシエラ本人ではないのがまたポイントだ。『皇帝陛下の寵妃さま』の為に! と無駄に忠誠心を煽って、今回の提督の行動に疑問を唱えさせた。

 ……ものすごく怖いんですけれども!

 メイラは溜息を付きたい気持ちを堪えながら、腕組みをしてこちらを睨んでいる提督に礼を取った。

 ちなみに、メイラと提督とではどちらの身分が高いかと問われれば微妙である。

 提督がメイラに礼を尽くしても、メイラが提督に頭を低くしてもおかしくはない。

 ルシエラは陛下の名代なのだから頭は下げるなというのだが、身分的にも人生経験もはるかに上の男性を前に、偉そうな態度をとれるはずもない。

「御方様のお身体に障りますので、手短に願います」

 お互いにどちらが口を開くか相手を伺っている状況で、ルシエラがツンツンと尖った口調で言った。

 メイラは手の届くところにあった彼女の女官服の裾をそっと引っ張る。

 ちょっと黙っていましょうね。

「……具合が良くないのですか?」

「ですから、そう申し上げました」

 黙っていましょうね!!

 またも提督の眉間の皺が深くなったが、ルシエラはまったく意にも返していない。

「会食にも参加できそうにありませんので、そちらの女性の方によろしくお伝えください」

 ものすごくケンカを売っているような言い方なのに、文字面だけ見ると至極真っ当なのだ。その、どこにも突っ込みどころのない正当性は、逆に相手を立腹させるだけなのだということを、彼女はわかっていてあえて言っている。

 四方に喧嘩を売ってなお大量の味方を惹きつける。ものすごく敵に回したくない存在だった。

「毒婦が!!」

「なるほど、提督は陛下の御寵愛厚い御方様を侮辱なさるわけですね」

 ……いやいや、今はメイラにではなくルシエラに言った台詞でしょう。

 ルシエラが毒婦かどうかという問いには、メイラの立場から言うと多分違うのではないかと回答せざるを得ないが、少なくとも善良ないち女官とはいえないと思う。

 メイラは気の毒になって提督に視線を向けた。

 彼女に口で勝とうとするのは間違いだ。真正面から戦うのではなく……そう、テトラが言っていたように、天災として可能な限り遠巻きにするのが正解なのだ。

 提督は、ぎり……と奥歯を鳴らして、今にも手が出そうな腕をぎゅっと握っている。

 メイラはへにょりと眉を下げた。

 有能な彼女がここまでするのには理由がある。

 実は例の座礁船で救助した人々の中に、ものすごく美しい女性がいたそうで、提督はすっかりこの気の毒な方の境遇に同情してしまったようなのだ。

 言われるがままに海賊に攫われた家族を探索し、涙にくれる彼女を慰めるために手を尽くしている。

 百戦錬磨の提督にそこまでさせるとは、どんな美女なのか見てみたい気もするが、ユリ曰く、後宮に住む妃たちに比べるとそれほどでもないとか。

 その薄幸の美女が、どうやらメイラたちに謂われない態度を取られ、いびられていると言っているらしいのだ。

 まあ、ありがちなことだ。

 殿方の同情を引きたい女がよく使う手なので、対処の仕方はわかっている。

 下手な上げ足を取られないように注意しながら、極力関わり合いにならなければいいのだ。

 提督に含むところは全くないので、どうぞどうぞ、気の毒なその女性をじっくりたっぷり慰めてあげ下さい。

 ……そう言えないのが、メイラの女官として随行しているルシエラの立場だった。

 彼女はメイラを期日通りにハーデス公爵領に連れて行かなければならない。

 女にうつつを抜かし義務を果たそうとしない男など、おそらくきっと足で踏みつけ海に投げ捨ててしまってもいいと思っている。提督にやる気がないのであれば、代わりを務める男を見繕えばいいと考えたのだろう。

「下がりなさい、ルシエラ」

 メイラは、背筋をピンと伸ばして毅然と立っているルシエラに向かって静かに言った。

「大丈夫よ」

 その氷の色をした瞳がじっとメイラを見つめる。

 もう一度女官服の裾を軽く引くと、ようやくその薄い唇を閉ざし黙ることにしたようだった。

「座礁船の方の事は今この者から聞きました。気の毒なことです」

 用心深くこちらを睨んでいる提督に、「どうするのよコレ」と思いながら、控えめに微笑みかける。

「軍人として尽力したいのだというお気持ちは理解できますが、半日という探索日数を随分すぎているようですね?」

「……いつも安全な場所で安穏とされている方にはお分かりにならないでしょうが、下々は常に海賊の脅威に怯えているのです。我々軍人は」

「提督!」

「黙れ」

 制止しようとしたディオン大佐を振り切るように腕を払い、その手が大佐の頬に当たる。

 指輪か何かが触れたようで、みるみる間に大佐の唇の端から血が滲んだ。

「我儘な妾妃どのをお祭りに連れて行くこと以上に、重要な任務だっ!」

 お祭りではないです。皇室にも連なるご先祖様の慰霊です。

 メイラは鼻息荒く再び腕組みをした提督の様子を見て、肩を落とした。

 今更だが、いろいろと誤解を受けている気がする。まさかお祭りに参加したいがために、陛下に我儘を言って里帰りしようとしていると思われているのだろうか。

「いつも上物のドレスを着て、お付きの者を侍らせ贅沢な暮らしをしている貴女のような方には理解できないだろうが、我々はこの仕事に命を掛けている。なんとしても海賊を討伐しなければ……」

「……それはまあ、ぜひとも頑張ってくださいませと言うしかありませんが」

 マデリーン。無言で剣を抜こうとしないで! テトラも、姉に同調して長剣に手をやらない!!

 難しい顔をしたキンバリーが、両手を広げて姉妹を制している。

 その調子で頑張って、絶対に抜刀させないで!!


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