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翌朝、小鳥の鳴き声ではなく、けたたましい悲鳴で目が覚めた。
メイラは何事かと起き上がろうとしたが、寝室内に控えていたフランに手で制される。
一晩明けて、フランの傷はますます目に痛い状態になっていた。
傷の部分にガーゼを当てているが、打ち身になっているところはそのまま。もしかすると薬も塗っていないのかもしれない。
痛まないのかと尋ねようとしたところで、再び悲鳴が聞こえてきた。
近い。おそらくはすぐ外だ。
「……見てまいります」
フランが寝室から出ていき、メイラは一人残された。
どきどきと心臓が常より早い速度で脈打っている。
また何かあったのだろうか。心配になり、掛布をおしのけてベッドから降りた。
そっと扉を開けてみると、ひどい恐慌状態で右往左往しているメイドたち。
「いやあああああっ」
再び涙交じりの悲鳴が響いた。
「マリア、ちょっと声を抑えなさい。たかが虫……ひいぃっ」
「そっちに行ったわ!」
「だからこないでぇぇぇぇぇ!!」
果敢に子猫の死骸を処理した彼女たちが、カサカサ動く黒い生き物から逃げまどっている。
追いつめられていた金髪のメイドが、テーブルに腰をぶつけて転びそうになった。
そこへ、フランがさっそうと割り込む。
勇ましいその手に握られているのは……室内履き。
「御方がお休みです。静かに」
パン!と目にも止まらぬ早業で、問題の黒い生き物をはたく。
「フ、フランさま! あっちです!!」
「あ、そこにもっ」
「今クッションの下に……」
一体何匹いるのだろう。
メイラはそっと扉を閉じた。昔から、アレだけは苦手なのだ。
ベッドに戻ったはいいものの、一匹いれば十匹は隠れているというアレの特性を思い出し、身震いする。もしかしたらこの部屋にもいるのではないか。いったんそう思ってしまえば座ってなどいられない。
そわそわと立ち上がったり座ったりを繰り返していると、いつしか隣の部屋の喧噪が途切れた。
しばらくして、コンコンと寝室の扉がノックされる。
「失礼いたします」
再び寝室に戻ってきたフランの手に、室内履きはない。
「なんでもございませんでした」
「そ、そう」
メイラは何も気付かなかった振りをした。
手に持っていた室内履きはどうしたのか聞きたかったが、聞けばあのカサカサ動く生き物のことを事細かく報告されそうで。
「ちょっとした贈り物が部屋の前に置かれていたようです。次からは庭園で開封してから持ち込むように徹底します」
「そうして」
どうやってアレを集めて箱詰めしたのだろう。考えただけでも背筋に悪寒が這い上がってくる。
「ユリは朝食を取りに行っています。ご支度なさいますか?」
「……お願いするわ」
メイラは促されるままに顔を洗い、差し出された柔らかい布で水気を拭った。
ベッドからドレッサーの前まで手を引かれ、洒落た猫足の椅子に座らせてもらう。
化粧は軽く。
パウダーを薄くはたいて淡い口紅を塗り、頬に朱を乗せるだけ。
メイラは色白で顔色が悪いほうなので、パウダーは無くてもかまわないが頬紅は必須だ。
次に大きな姿見の前に立ち、ハンガーに掛けられ用意されていた淡い黄色のドレスに着替えさせてもらった。
フランが背面のリボンを結び終え、ようやく支度が整う。
寝室から出ると、先ほどまで大騒ぎしていたメイドたちが壁際でそろって一礼した。
転がっていたクッションも、椅子も、歪んでいたカーペットも、落ちそうだったホワイトプリムも、すっかり元通り。まったく何事もなかったかのように。
「……おはよう」
まだ例の黒い生き物がどこかにいないかとビクビクしながら、メイラはメイドたちの前を通って長椅子に向かった。
朝から疲れた。長時間何も食べていないので空腹なはずなのに、あまり食欲がわかない。
しばらくして、ユリがワゴンを押して戻ってきた。
室内の微妙な雰囲気に気づいただろうが、顔には出さない。
「メルシェイラさまはテラスで朝食をお取りになりたいそうです」
言わずとも気を利かせてくれたフランの台詞に、ほっと息を吐く。
さっきまでカサカサ動くアレが居た場所で食事はしたくない。
「かしこまりました」
ユリはメイラに向かって丁寧に頭を下げてから、銀色のワゴンをテラスへと押した。
いつもの手慣れた調子でテーブルを整えるメイドたち。
ユリはポットで紅茶をいれながら、その様子を監督している。
「少し冷えますのでショールを」
肩にふわりと乳白色のショールを掛けられた。
メイラはフランの手を取り、長椅子を立つ。
エスコートを受けて外に出ると、朝の湿った風を感じた。夜に雨が降ったようだが、すでに上がっている。
「おはようございます、メルシェイラさま」
いれたての紅茶のいい香りがした。
「おはよう、ユリ」
「今日の朝食はラディッシュのサラダに蒸し鶏、カブのポタージュスープです。パンは軽くトーストしてあります」
「ありがとう」
今日もまた多いな、と思いながら、引かれた椅子に腰を下ろす。
いつも完食しようと努力しているのだが、報われたためしはない。
半分ほど食べ勧めたところで満腹になり、スプーンを置いた。
「本日の午後、エルブラン城塞都市代官のウェイド・サスラン殿が来られます」
「ああ呼んだわね。刺繍糸と、針と、果物と……あなたたちも何か入用なものがあったら言って」
「はい、メルシェイラさま」
「そのあとでミッシェル皇妃様にご挨拶しに行きたいの。アポイントメントを取ってもらえる?」
「かしこまりました」
メイラはフルーティな紅茶の匂いと、ひんやりと心地よい朝の空気を楽しんだ。昨日よりも冷えた風が、冬が近いことを告げている。
「付き添いに……そうね、マロニア・スーランド二等女官を」
「はい、メルシェイラさま」
予定が午後からなら、午前中は刺繍をしよう。
繊細な意匠なので、明るい日中のほうが仕事がはかどる。
もやったような早朝の空気の中、遠くからの視線を感じるが無視だ。
例の黒いヤツの贈り主だろうか、こちらの反応を伺っているのが分かる。
あの程度の嫌がらせなどなんてことはない。
そう……フランがいれば余裕だ。




