第8話:予兆
休憩時間、一人で中庭に赴く。やはりあの、紫水晶色の少年はどこにも見当たら無い。
今頃探しても無駄なのだろうかと、ゆきなはふらりと自販機の前に立った。
「何か飲もうかな……」
ずらりと並ぶ飲み物に視線を走らす。りんごジュースや紅茶も良いが、ゆきなは別のボタンを押していた。
抹茶ラテだ。
「……ゆきな、それ、好きなの?」
突然後ろから声をかけられビクリとする。背後にはカレブが立っていた。
「あ……カレブくんが飲んでいたから、気になって」
「オレが……?」
カレブは面食らったように目を丸くすると、クスリと笑った。
「それなら昨日、飲ませてあげたのに。オレの飲みかけだったけど」
何かを含んだ口調で、妖しく笑っている。
「う……。そ、そういえばカレブくん、今までどこに行ってたの?シゴトって……」
「ああ」カレブの表情が、一瞬で厳しいものへと変わった。
「本当は、生徒会も含めた所で報告したかったんだけど……実はね、害意たちに動きが見られたんだ。近々、再び奴らが攻めてくるだろう」
「それって……」
「対策が必要だ。SSJを招集しよう」
***
「害意の襲来ですか。今回はやけに短いスパンで攻めてきますね……」
カザネが眉をひそめた。
「ま、何はともあれおれたちは、役目を果たすだけだけどさ」
サラマルは短剣を磨きながら、冷静だった。
放課後のこと。
生徒会室にて、SSJと生徒会員での話し合いが行われていた。
……とは言っても、この場に居合わせている生徒会員はシャロン一人だ。他の生徒会メンバーは教員たちと 今後の作戦を立てているらしい。
「……さっき、WSから情報が入って来たんだ」
カレブが資料をかざす。
WorldSecure、通称WS。数多ある異世界を監視・管理する特殊機関であり、害意という「世界を滅ぼす者」の襲来も、WSが予測しているらしい。
カレブは、生徒会室の隅にある、三台の巨大なコンピューターの前に座って、三つのキーボードを素早く打っている。五台の液晶ディスプレイには、何かのグラフや数字が並び、真ん中のディスプレイには目にも止まらない勢いで、数字や記号が羅列され続けている。
「……カレブくん、それは?」
「害意たちの出現範囲と正確な日時、行動様式を推定しているんだよ。このデータは簡単に説明すると、世界を監視している装置から送られて来ている。これらの情報を解析して予測を立てるんだ」
タイピングしながらカレブは答えた。しかし視線はディスプレイから離さない。
「――WSにあるコンピューターの方がもっと有能だから、機関から送られてくる続報を待った方が良いんだけど……それだと、学園の対策が遅くなってしまうからね」
「そ、そうなんだ……」
と言いながらも、ゆきなはカレブが何をやっているのか、今いちピンと来なかった。
「いいか、ひめ。分かりやすく例えるなら、カレブは気象庁よりも早く天気予報を予測してるってことだ。雨が降る地域と時間帯、正確な降水量に至るまでな」
サラマルの解説から考えると、カレブは害意が襲来する地域と時間帯、詳しい個体数を、WSよりも早く調べようとしているらしい。
「それって……すごいね」
「ああ。カレブは情報を集めて策士する司令塔。おれらはそれに従って敵を排除する……いつもこんな感じさ」
「カレブに至っては、既にWSに所属してくれるよう機関から頭を下げられているわ。とてもじゃないけど、一般人じゃなし得ない技術だから」
シャロンがそう付け足しながら、大きな地図を広げて説明を始める。
「――おおよその目安だけれど、次に奴らが出現するなら、この学園より西の、ディオネ学院から、東の自然公園まで。半径三キロに及ぶ可能性が高いわね」
「……でっかい! 今回はかなり大規模っすね!」
巨大な魚でも釣り上げたようなカザネの反応。
「ええ。的確な来襲日が予測されたら、避難命令が出されて学校も休校になるでしょうね。おそらく、一週間後あたりじゃないかしら」
「一週間後か。しけた雰囲気になるだろーけど、何はともあれ全部ぶっ倒せば良いだけだ」
短剣を磨き終えたサラマルは、右手のひらでそれをクルクル回しながら口の端をあげた。
「――おれは奴らを壊滅する。死んでいった奴らのためにもな」
「さらたん、目がマジすぎて怖い、まだリラックスしてくださいよ」
カザネが机の上にあるスポーツドリンクをサラマルに投げてよこした。
「……ちょ、ちょっと待ってみんな。みんなも、戦うの? 学生なのに?」
ゆきなは動揺を隠せないまま一同を見渡した。
「SSJは戦って学園を守る責任があるからだ」
ギルが重々しい口調で続ける。
「――俺たちは生徒といえど、戦に出る資格があり、故郷を滅ぼした奴らに復讐する権利がある……しかし、今回ゆきなはどうするのだ? シャロン、もちろん避難させるだろ?」
「そうさせてあげたいのも山々なんだけれど、ゆきなの立場上、そういう訳にもいかないのよ」
シャロンは眉をひそめていた。
「――もちろん、ゆきなに戦いはさせないわ。シールド圏内にいてもらう。だけれど、戦場にはあなたたちと同行しなくては、いけないのよ」
つまりは、ゆきなも「戦」に参加しなければならないということだ。
「何故だ!? こっちに来たばかりの奴に、危ない思いをさせようというのか! こいつにもしものことがあったら、どうするんだ!」
ギルが声を荒らげて勢い良く立ち上がる。その反動で、机の上に乗っていた本が床へ落ちた。
ゆきなはぼんやりとしながらそれを拾い上げ、本からはみ出た紙切れを手にとった。
写真だった。
寮の談話室で、じゃれ合うサラマルたちと、彼らを呆れたように見つめるカレブの姿が写っている。その中に、見覚えのある少年の姿が混ざっていた。皆の中心で、サラマルとギルの肩を組んでいる少年。
それは今朝、ガラス窓の向こうで見かけた鎖の、紫水晶色の少年だった。
「ギール、落ち着けよ」
片眼を開いて、サラマルが言った。
「――ひめはおれたちが守れば良いだけの話だぜ」
「それは分かっているが、戦場では何が起こるか分からん。お前がよく解っていることだろ、サラマル」
「ああそうだな。けどさ、おれはもう誰も失わない。何故ならおれが害意をぶっ殺すからだ。この身に変えても、何をしてでも。もう誰も失いたく、ねーからな……」
サラマルはそう言って背中を向けた。落ち着き払っている。穏やかさすら感じさせる声色。しかし語尾はかすかに、震えていた。昨晩のサラマルが蘇った。故郷の話に触れた時のサラマル。どこか歪で、危うい雰囲気だった。
「二人とも落ち着いてください。僕たちがゆーにゃんとみんなを守らなきゃいけないことに、変わりはないっす。今から焦ってもしゃーないですよ……ゆーにゃん怖がらせる訳にもいかないし。ね、ゆーにゃん……どうしました?」
「え……うん、なんでもないっ。私も、頑張るから!」
ゆきなは写真を本に閉じ込めて、笑顔をつくった。
しかし胸の中がざわざわする。
戦が、怖いからではない。
確かに不安だらけだ。
しかし戦については、まだ想像しい得なければ実感すらわかない。
だから何とも言えない、それが本音であった。
戦の恐怖以上にすっきりしない何かが、心の中を支配していたのだ。
「無理は禁物だからね、ゆきな」
カレブがちらっとゆきなを見る。
「――とにかく、まだ詳しい情報はつかめていないんだから、先走らないこと。今できる最善の準備をしよう」
「当たり前だぜカレブ。日頃からよーく準備はできてるさ」サラマルがニッと笑う。
「俺も以下同文だ」ギルが力強く頷く。
「ゆーにゃんには僕たちが教えてあげないと、なっ、かいちょう!」
「え? ああ、そうね……」
シャロンは力なく笑った。何か様子がおかしい。口数も心なしか少ない。
「ん……どうしました、かいちょ」
カザネも異変を感じ取ったのかシャロンを覗き込む。シャロンは目を伏せた。そして、囁くように話を切り出した。
「母が得た情報なのだけれど……秘密事項だし、戦いに支障をきたしかねないから、黙っておこうかとずっと悩んでいたのよ……」
「なんだよシャロン、はっきり言っちまえよ」
促すサラマルの瞳を見つめて、シャロンは意を決したように顔をあげた。
「……一人目の、イレギュラー。彼が今回の戦いのために……処分されることが決定したわ」
一人目のイレギュラー。
ゆきなは二人目のイレギュラーだと告げられた。
つまり、ゆきながやってくる以前に 、ゆきなと同じ理由で、この世界に呼び寄せられた人間がいるということになる。
処分とは、どういうことだろう。ゆきなは少年たちを見渡した。
少年たちは、雷にでもうたれたように、固まって、目を見開いていた――