第7話:朝のこと
二日目の学園生活。
それはもう朝から大騒動だった。
制服に着替えたゆきなが、談話室に降りて来てまず目にした光景。
「おーいレブっち、朝ですよ、起きろーっ……ドゥフッ」
カレブを起こしに行ったはずのカザネの顔面に、枕がめり込んでいた。隣にカレブの姿はない。
「どしたの、カザネ……」
「んー……」
呆れたことにカザネは、枕に顔をうずめたまま二度寝に突入した。
「ひめ、おはよ。カザネはほっとけ、遅刻しちゃうぜ」
軽い調子で告げたのはサラマル。ベランダでストレッチをしながら清々しい笑顔を浮かべている。
「サラマル……あの」
昨晩のことが蘇った。ゆきなが過去の話を持ち出したことで、様子がおかしくなったサラマル。
「ん? ひめ、どうかしました?」
おどけたように笑うサラマル。昨日のぎこちない笑顔とは違った。
「ごめんね、なんでもないよ……そうだ、カレブくんはまだ眠っているの?」
「おう、あいつは朝が弱いからなあ」
「……ゆきなも、カレブにはしばらく近寄らない方が良いぞ」
黒い上着を腰に巻き付けながら、ギルが現れた。何かを思い出してしまったのか、すごく微妙な表情を浮かべている。
カレブはやはりヴァンパイアなだけに、日の光が苦手なのだろうか。
一先ずゆきなたちはカレブを残して、朝食をとりに一階の食堂へと向かった。
「おおおおおおおっっっ! 見ろ、アレっ! 昨日の転入生が来たぞ!」
案の定、ゆきなの姿を見かけた他の寮生たちが騒ぎ始めた。
「ほんとだ、ゆきなちゃんだ! 同じ寮なんだから当たり前かもだけどっ」
「それにしてもゆきなちゃん、かわいい~よな~っ……ちょっと、ご一緒させてもらおっかなー?」
「気持ちは分かるがやめとけ、その周り見てみろよ……」
「うっわ……SSJじゃん」
「今日は皆様で朝食をお召し上がりになるのかしらっ?」
「珍しいわね! 今日もお麗しいわあ~!」
「ちょっとみなさん、SSJ様の通行の邪魔ですわよ!」
たむろしていた生徒たちは、ゆきなたちが通りやすいように食堂入口への道を開けた。
「えーと……」
サラマルは女子に向かって笑顔を振りまいているし、カザネはいびきをかいている。
「気にする必要は無い。オールスルーで良いから早く中に入るぞ」
素っ気ないギルに促されるまま食堂へと入る。少年たちは生徒の注目が集まることに慣れているらしい。それだけSSJというのは、学園でも影響力が大きいのであろう。
食堂の中は、ガラス張りの窓から朝の日差しが降り注ぐ、開放感溢れる場所だった。長テーブルには大量の食料が乗っている。こんがり焼きたてのパンに色とりどりのジャム。サラダにベーコン、スクランブルエッグにスープなどなど。
「うわーっ、おいしそう!」
「ビュッフェ形式だから好きなの取って良いぜ!」
サラマルが空いているテーブルを探しながら教えてくれた。
「おはよ、向咲くん!」と、一番後ろにいたカザネが、女の子に声をかけられている。
「んー? ……おはよう、です……」
寝ぼけ眼なカザネはむにゃむにゃと答えていた。
「向咲くんあの、今日は良い天気だね。それでさ……その下のズボン……パジャマ、だよね?」
「ん~? んー……んっ、うおああっ!?」
ようやく気づいたらしい。あたふたし始めるカザネに、ゆきなはサラマルと目を合わせて笑った。
何事かを喚きながら部屋へ引き返すカザネは置いといて、朝食の後、学校へ赴く。
サラマルとギルがじゃれ合う後ろ姿を眺めながらの登校。言わずもがな、登校時は食堂にいた時と同様に生徒たちの注目を浴びることになった。サラマルとギルは意に介さない様子だが、見られるのが苦手なゆきなはうつむきながら早足になる。
「……お、どうしたひめ。学校まで競争か?」
「ビリはサラマルで決定だな」
「んだとギル、それはおれに勝ってから言うべき言葉だぜ」
「面白いじゃないか、お前にだけは負ける気がせんな」
「馬鹿って朝から元気だね」
背後から澄ました声がした。
「「うっわ、カレブいつの間に!?」」
声を合わせて振り返るサラマルとギルにつられ、ゆきなも後ろを見る。そこにはきっちりと制服を着たカレブがいた。朝の光を煩わしそうに手で遮り、顔をしかめている。
「君ら二人に女の子がかなうわけないでしょ。なにかれ構わず勝負事に持ち込むその短絡的発想、どうにかしたら?」
抑揚の無い言葉を突きつけながら、カレブがゆきなの隣に立った。
「お、おはようカレブくん」
「人から注目されるの、嫌なんでしょ。教室まで急ぐから、辛くなったら言うんだよ」
耳元で囁かれると軽く手をひかれた。そして二人で逃げるように校舎へ向かう。
「てめーカレブ、抜けがけとか卑怯だぞ!」
弾かれたように顔をあげたサラマルとギルが追いかけてきた。教室について胸を撫で下ろす暇もなく、ゆきなの姿を見つけたクラスメイトたちにぐるり囲まれる。
「ねえゆきなちゃん、部活とかどうするの?」
「ねえゆきなちゃん、スリーサイズは?」
「女子に混じって何聞いてんのよっ、バカだんしっ!」
クラスメイトたちに揉みくちゃにされること数分後、ようやく予鈴が鳴ってホームルームが始まった。担任がひとしきりの連絡事項を話終えた頃、既にヘトヘトなゆきなは不意に後ろを向いた。
それと同時に、教室の一番後ろの扉が、静かに開いた。
それも一人でに。
何事かと思いきや、よくよく開いた扉の向こうに目を凝らしていると、カザネが床を這いつくばりながら教室に侵入してくる姿が見えた。カザネは慎重に、音をたてじと自分の席ににじりよっている。
あ、目が合った。
ニヘラーと笑いながら人差し指を口元にやっている。
「せんせぇー!また向咲が、ほふく前進で登校してきてますヨー!」
カザネを見つけたクラスメイトが、ニヤニヤしながら声をあげた。
「ばっ……!?」カザネは目を丸めている。
「こーざきぃ……遅刻もそーだが、床に擦り寄りながら登校するの、そろそろやめないかぁ?」
担任教師がにっこりと笑顔を浮かべる。
「擦り寄るだなんて失礼っすよ先生……これは度重なる遅刻で磨きあげたスキルなんすから!」
二人のくだらない会話にクラスメイトたちが声を上げて笑う。どこにでもありそうな和やかな光景が、ここには広がっていた。
「いやーまいったまいった! 制服のズボン見つからないなって思って洗濯機の中のぞいて見たら、真っ黒い干物があったわけですよ! びっくりして取り出してみたら……シッワシワになった僕のズボンで……」
席につきながらゆきなに遅刻の経緯を語り始めるカザネ。周りの生徒のクスクス笑いは更に大きくなっている。
「……で、ってゆうか。レブっちは?」
ゆきなの斜め前の席に誰も座ってないことを認識して、カザネが首をかしげた。
クラスに到着してからカレブは姿を消していた。何か用事を済ませているらしい。
「……シゴト」
ゆきなのかわりにサラマルが答えた。頬ずえをつきながら、片手では器用にペンをまわしている。
シゴト――SSJ関連の何かなのだろうか。思考をめぐらしている間に、一限目の数学の授業が始まった。
前の席に座るギルは、考え込んでいるのか諦めているのか、ピクリとも動かない。
左隣のサラマルは、一寸の迷いもなくスラスラ解答し続けている。後ろのカザネは言うまでもない、寝ていた。
なんとか解答し終わったゆきなは窓の外を見つめた。
今朝は晴れていたのに、今は灰色の空が広がっている。嫌な天気だ。
手でペンをもてあそびながら、ゆきなは視界に何かが映りこむのを認識した。
どきりとして、少し腰を浮かす。
窓の外を凝視する……人が、飛んでいる?
いや厳密に言えば、飛躍していた。建物から何十メートルも離れた建物へ身軽にジャンプ。常人では考えられない跳躍力は昨日のサラマルを彷彿とさせたが、その少年はサラマルとはいくらか違った印象を受けた。
大正時代の制服を思わす漆黒のマント、首と手首に絡まりついた鎖……ゆきなは三日前の出来事を思い出した。初めて寮に足を踏み入れた時に出会った少年。自らを寮長と名乗った、紫水晶色の瞳をした少年。
ポケットにはまだ、彼からもらったキャンディーが入っている。
少年は今にも墜落しそうな姿勢で、何者かから逃げているように空中を移動している。次の瞬間、少年が不自然にバランスを崩した。後ろから何か重たい物でも投げつけられたかのようだった。それと同時に少年の脇腹から、鮮血が、飛び散った。
「……っ!」
思わず立ち上がるゆきな。
「ん、雪原、どうした?」
先生と、クラスメイトたちがゆきなをじっと見つめている。
「あの、外にっ……」
「外? ……何もないぞ」
先生の言葉に再び窓の外を見やっても、もう少年の姿はなかった。
「なんだったんだろう、見間違い、かな?」
そんなわけ無い、確かにあれは、あの少年だったはず。
心の中で自問自答。
空の雲は分厚くなって、重たく垂れ下がっているかのようにゆきなの心にも影を落とした。