第6話:故郷のセカイ
「そういえば、みんなもこことは違うセカイ――異世界から来た人たちなんだよね?」
ゆきなは不意に、思いついたことを口走った。
「――みんなのセカイは、どんなところだったの?」
その途端、なにかが砕ける音が響いた。
食器を台所に運んでいたサラマルが、皿を取り落としたのだった。
「サラマル……?」
「……」
ゆきなはサラマルの顔をのぞき込んだ。前髪が影となり、上手く表情が読み取れない。
「わりー、手が滑っちまった!」
サラマルから明るい声が返って来た。次の瞬間には、顔を上げて笑顔を張り付かせ、皿の破片を拾いはじめる。
何か、触れてはならないものだったのだろうか……ゆきなは口をつぐんだ。
初めてこのセカイに来た日にギルは言っていた。
ギルたちが中心世界に来た理由は、故郷のセカイを滅ぼされてしまったからなのだと。そうなれば当然、彼らには思い出したくない記憶がたくさんあることだろう。いや、たくさんあるはずだ。
無神経な発言をしてしまった。
そう思い至って、ゆきなは血の気が引いていく。どう謝るべきか、頭が真っ白になった。
「――確かにこの三人は、こことは違うセカイからやって来たみたいだね。オレの出身は、この中心世界なんだけど」
空になった炭酸の空きビンを抱えあげながら、 カレブが静かに言った。
「……そう、なんだね」
相づちをしたゆきなの声はか細い。
「うん。オレの話ならいつでも聞かせてあげる。だけど、今日は疲れたでしょ?ゆきなはオレたちに気を使わずに、いつでも休んで良いからね」
カレブは口元をそっと緩めている。気を回してくれているようだ。
「――サラマルは、そこで死んでいるバカを捨ててきてくれない?」
そう言って、カザネを指差している。
「おれ、こっちの後片付けで忙しいんだけどっ」
サラマルはニッと笑って食器を指差した。今までと何ら変わりない笑顔に見えるが、やはりどこかぎこちない。
「夕食の片付けはオレがやっとく。今の君なんかに任せておけないよ、皿が減る一方だろうし、邪魔なだけだから」
「へーいへいっ。ほんとお前って、吐息のように毒吐きやがる奴だぜ」
「カレブのそれはいつものことだ」
と、ギルがサラマルの腕をつかむ。
「――さて、後片付けはカレブに任せて、大浴場で素潜り対決を行うぞ。今日は負けないからな」
「おれ、今そんな気分じゃねえんだけど……おい、待てよギル~」
こうしてサラマルは無理矢理、ギルに風呂へ連行されて行った。
「謝れなかった……」
ゆきなは壁に手をついていた。せっかくカレブやギルが気を使って話題を変えたのだ。あそこで話を蒸し返したとしても、それはゆきなの自己満足にすぎない。かえってサラマルに負担をかけていたかもしれない。
そう思い直して吐息をついたゆきなはベランダに出た。あえて上着は羽織らずに風にあたる。
カレブに後片付けの手伝いを申し出たら「ダーメ」とあっさり断られてしまったので、空を見に来た。丸い月が星を従え輝いていた。
春の夜の空気はまだ冷たい。深く息を吸い込むと、肺の中が綺麗に洗い流されるような心地がした。
独りの夜。
普段なら今頃は、家族とリビングでテレビでも見ている時間だった。ゆきなはそう思い出しながらしゃがみ込んで、膝を抱える。
寂しかったのだ。
「こんなとこで、な~にしてるんですっ?」
気づけば後ろには、カザネがいた。いつの間にかベランダに出てきていたようだ。
「月を、見ていたの」
「へーぇ。ゆーにゃんのセカイと同じ月?」
カザネは屈託ない笑顔を浮かべていた。
「うん、全く同じだよ」
「そっかそっか~!」
隣にペシャンと座り込むカザネは、ゆきなのマネをして空を仰いだ。ゆきなはチラリとカザネを伺う。カザネはボケエと上を向いていた。
「アホ面だね……」
つい、本音が零れてしまった。
「ゆーにゃん今なんつったんすかー?」
「な、なんでもないよ、あはは……」
ふてくされたような表情をしたカザネは、自分で自分がおかしくなったのか、フッと笑みを漏らした。
朗らかな笑顔。そのチャラついた風貌からは想像できないほど、楽しそうに笑う少年だった。
月光の中、カザネの肌は青白く浮かび上がっているようだった。そんなカザネの胸元にキラリと何かが光った。カザネが普段身につけている、十字架のようなチョーカー(よく見ると剣のようだ)。
そして、鈴のようなものがついたペンダント……記憶が正しければ、それは深い青色をしていた。
「ん……これ、気になるんですか?」
ゆきなの目線に気付いたカザネ。
「このペンダントはすっげー大切な、お守り。んで、この剣は……騎士の証です」
「騎士?」
繰り返すと、カザネはニッと笑った。
「……僕は、ゆーにゃんがここに来てくれてすっげー嬉しいんですよ!」
「急にどうしたの……?」
「へへ。僕だけじゃない、みんなもすっげー喜んでると思います。色々あって、最近気が滅入ってたし」
カザネはじっと前を見つめていた。
「――だから、ここに来てくれて、ありがとうっす!」
二カッと笑ったカザネにつられて、ゆきなも笑顔を浮かべる。
「……私こそ、ありがとう。歓迎会まで開いてくれて」
「んっ……もっと褒めてくれても良いんすよ~?」
得意げに胸を張ったカザネは、片目を開いてゆきなをじっと見る。
「……ゆーにゃんは、やっぱもとのセカイへ帰りたいんですよね?」
「うん……そうだね」
「ゆーにゃんが帰れるその時まで、僕がずっと傍にいますよ、心配しないでっ」
「……!?」
驚いて顔を上げると、カザネは二イッと笑って力強く頷いた。
「ゆーにゃん寂しそうだったから。一人でこんなセカイに招かれるなんて、辛いと思うんですね~。僕はサラマルと一緒だったから、独りじゃなかったし」
何も考えていなさそうなカザネだったが、ずっとゆきなを気にかけてくれていたようだ。
「……あの」
「ん?」ヘラッと笑って首をかしげるカザネ。
「……ほんとにありがとう、カザネ」
ゆきなは、はにかむように笑った。
「ん……いま、ゆーにゃん、僕のこと何て呼んだ? もっかい、もっかい言って!?」
「なんでもないよ、バカザネくんっ」
「ちょ、バカは余計ですって~!」
七階のベランダからは、夜が更けるまで楽しそうな笑い声が響いていたのだった――