第4話:絶対零度のヴァンパイア
たどり着いたのは、向かい側の校舎。
窓枠の、細い足場に音も無く着地したサラマル。両開きのガラス窓を背中で開く。
その向こうには、広々とした部屋があった。重厚そうな家具が鎮座している。中央にテーブルがあって、壁際には棚やクローゼットが置かれていた。何より目をひいたのが、端の方にある三大の大型パソコンだった。モニターディスプレイが五つもある。
「いらっしゃい、ゆきな!」
どこからともなく現れたシャロンにムギュッと抱きしめられた後、ゆきなは中央にあるイスに座らされた。
「シャロン先輩……授業は?」
「三年は自習よ」
にやりと笑った生徒会長だった。
ジュースを出されたのでいただいていると、カザネとギルが息も絶え絶えに登場した。
「さらたん何すかいきなりっ! てか、どこ行ってたんすか、昨日からッ!」
「お前がいなかったせいで、カザネが寂しがって鬱陶しかったんだからなっ!」
「わりいわりい、ちょっと訓練しに行っててさ」
サラマルは腰につがえてある短剣を引き抜いた。これまたRPGでよく見るような両手短剣だった。
「つーか、カレブは来てないのか?」
「レブっちはぁ『三人もいるなら、オレがわざわざ行く必要なんて無いよね』ですって」
カザネがきどった雰囲気でカレブのモノマネらしきことをした。
「ったくあいつは……」
「まあいいわ。ゆきな。今日はここにいる三人について、あなたに説明しておこうと思ったのよ」
シャロンはそう言うと、サラマル、ギル、カザネを順番に指差した。
「――彼らはSSJ。SSJとは、School Security Judgmentの略称のことよ。害意に対抗しうる能力を持つ、特殊な生徒たちの集まりなの」
「もっと分かりやすく言えば、害意たちが攻めてきた時に、学校を中心に一般人を守るのが僕たちの勤めっす!」
カザネがキリッと決めポーズをとる。
「SSJには今のところ、五人の生徒が選ばれているわ。そのうちの三人はここにいるサラマル、ギル、バカザネよ」
「ちょっと待って生徒会長。今、僕と馬鹿を合体させなかったっすか?」
「あと残りの二人は、もう会っているかもしれないわね」
「お前の斜め前の席にいたカレブってやつも俺たちと同じSSJだ」ギルが補足した。
「そして今回新たに、ゆきなにもSSJの一員になって欲しいのよ」
シャロンはそう言うと、金色のバッチを差し出してきた。
片翼に『SSJ』と記された紋様だった。ゆきなは受け取りながら疑問符を浮かべる。
「あの、どうして私が……?」
「今は何もできなくても、あなたはイレギュラーなんだし……何より、こいつらと一緒に行動した方が確実に安全だからよ。入ってくれるかしら?」
「は、はい……私なんかでよければ」
ゆきなは反射的に返事をしてから、うかがう様に他の三人を見つめる。よく見ると、サラマルたちの胸元には、ゆきながもらったのと同じバッジが輝いていた。
「おそろいっすね」カザネがニィッとしている。
「それじゃあ決まりね。今からゆきなもSSJの仲間入りよ。SSJは生徒会と肩を並べる地位だから、全校生徒の憧れの存在なのよ。だから」
シャロンは優しくゆきなの肩に手を乗せて、言葉を続ける。
「――職権乱用、しまくりなさい」
「せ、生徒会長ぉ!」
カザネが冷や汗を垂らしていた。
「さて。それじゃあ生徒会からあなたたちに命令を下すわ……」
いきなりシャロンは声を張り上げ、机に右足を乗せた(土足)
「――休日に、あなたたちでゆきなの日用品を買いに行ってあげなさい」
しばらくの静寂の後。
「は、俺たちでっ!?」
ギルが弾かれたように声を上げた。
「そうよ。本当は私が行きたかったのだけれど、色々と野暮用ができてしまって……ゆきなを一人で行かせるのは危険だし、あなたたちに託そうと思ったのよ」
シャロンは残念そうに説明すると、笑顔で三人を見つめた。
「拒否ればコロス」目がそう告げていた。
「だ、だけどシャロン先輩。私、お金とか持ってないですし、日用品だなんて、そんな」
「ゆきなはWSが無理矢理このセカイに連れてきたのよ。そして、あなたの保護者は私たちマルス学園なの。そういう訳で、学園があなたのこっちでの暮らしを保証するのは当たり前のこと。金銭面なんて細かいことは、あなたが心配する必要ないわ」
「あ、ありがとうございます。けど……私をここに召喚したWSって、この国にある機関のことですよね?私、そこへ行かなくても良いんですか?」
「あんな所に行く必要は無い!」
ギルが強い口調で告げた。一気に、部屋の空気が張り詰めたのを感じる。
「アンナトコ……お前を一人では行かせられん。もうアイツの二の舞は、ごめんだ」
ギルは唇を噛みしめていた。ゆきなは戸惑ったようにサラマルを見つめる。サラマルは物憂げに視線をそらせた。見兼ねたようなカザネが、困ったように微笑みながら口を開く。
「とにかく、ゆーにゃんは学園で僕たちと居れば良いってことですよ。何も心配する必要はねえです」
「その通りよ。今は無理だけど、必ずもといたセカイにも帰してあげられるわ」
シャロンも明るい笑顔をつくっていた。
「……分かりました」
ゆきなは頷く。これ以上、WSの話題には触れてはならない。そんな気がしたからだ。その後、一同は解散となった――
ゆきなは一人、校庭の中を歩いていた。胸に輝くは金色のバッチ。
「このセカイは、やっぱり何かがおかしいんだろうな」
空は青い。人の笑顔も何もかも、もといたセカイと同じなのに、
明らかにこのセカイは、何かの恐怖に脅かされているようだった。
ちょうど今は三限の休憩時間。教室に戻ろうと静かな中庭を歩いていると、大きな木の下から弾んだ高い声が聞こえてきた。ゆきなはその隣を通り過ぎながら横目で様子を伺った。誰かが、三人の女の子に囲まれていた。
「カレブくんってほんとに何でも出来るんだねっ、ねえねえ、今度の週末遊びに行こうよ?」
「あ、それあたしも行きたい!」
「ねえ大丈夫、カレブくん?」
「折角だけど、その日はもう予定が入っているんだ」
カレブ・ウェルザーブ……ゆきなは立ち止まって少年を見つめた。たしか、カレブもSSJの一人だったはずだ。カレブは穏やかな笑顔を浮かべている。
「えー、それならいつ遊べるのー?」
と、女の子たちは不満げな声を上げた。
「ごめんね、まだ分からないんだ……時間ができたら、オレの方から声をかけさせてもらうよ」
「ほんとっ?」
カレブが頷くと、キャーッと歓声をあげながら、女の子たちは教室に戻っていった。
「……一生、声なんてかけるつもりはないんだけどね」
低い声がした。ゆきなは自分の耳を疑いながら、カレブの方に向き直った。
今までの笑顔とは一変した、氷のように冷たい表情を浮かべたカレブがいた。
「ねえ、人って鬱陶しいよね」
一言そう囁いた。金色の瞳は射るようにゆきなを見据えている。ゆきなに問いかけた言葉らしい。
「え、と……」
何て返せば良いんだろう。ゆきなは瞳を伏せた。
「雪原ゆきな。異世界から召喚されたイレギュラー。君もSSJになるんだよね?」
カレブが近づいてきた。ゆっくりとした足取りで、じりじりと追い詰めてくるように。ゆきなは自然と壁際まで後ずさった。カレブは更に片腕を壁について、その麗しい顔を寄せてきた。距離が、近い。仄かにバラの香りが漂ってくる。
「怖がらなくて良いよ。ファーストネームで呼んでかまわないかい?」
疑問形でありながらも、拒絶することは許さないといったニュアンスが含まれている。ゆきなはこくこくと頷くしかなかった。
「よろしくね、ゆきな」
口の端だけをあげた冷たい笑顔。女子生徒たちに見せていた柔和な笑みとは正反対だった。
金色の瞳は魅惑的で、見つめていると吸い込まれそうになった。そんなカレブの口元からは、二本の牙が垣間見えた。犬歯よりも際立った牙。カレブも、シャロンと同じようにヴァンパイアの血を引く者なのだろうか。
「そうだよ、オレもヴァンパイア」
考えていることを的中されたゆきなは、ピクリと体を反応させた。
なんだろう、心を読むエスパーでも持っているのだろうか。
「残念ながら、超能力者では無いけどね」
「……っ!?」
カレブはクスッと笑っていた。ゆきなの反応を見て楽しんでいるらしい。
「オレはカレブ・ウェルザーブ。キミと同じ、SSJだよ。害意の動向を調べたり、司令塔的な役割を任されている。ちなみにシャロンはオレの義の姉」
「そ、そうだったんだ……よろしくね、カレブくん」
「うん、よろしくね。ゆきな」
鼓膜をくすぐる甘い声。カレブの細い指が、ゆきなの長い髪をそっと掬い上げた。その色っぽい仕草に、ゆきなはただただ硬直する。
「……人間のくせに何も感じないんだね。普通の女子なら、見るも無残な骨抜きになるわけなんだけど」
骨抜き。うっとりカレブを見つめていた女子生徒たちが脳裏によぎる。目の前のヴァンパイアは、鋭い瞳を少しだけ見開いていた。
「ゆきな。君って、度がつくほどの鈍感なんだね……天然記念物レベルだ」
「それは……どういう意味?」
「内緒。さて、そろそろ教室に戻らないとね」
カレブは腕時計を見つめていた。
「う、うん……」
何なんだろう。ゆきなはカレブを盗み見る。造り物のように美しい顔。
クラスの女の子に向けていた笑顔は、惚れ惚れするものだった一方、どこか素っ気なくて仮面のようだった。そしてその後の、ぞっとするような冷たい表情。今しがた見せられた、人間を蔑むような言動。
「カレブくんは、人が嫌いなの?」
ゆきなはつい、疑問をこぼした。
「嫌い。そう言ったら君はオレのこと、どう思うんだろうね?」
カレブは瞳を細めると、ごく自然な動きでゆきなの右手をとった。冷たいその手に、ゆきなの心臓が跳ねる。
「急がないと、チャイムがなっちゃうから。走れるかい?」
「は、走れます!」
「ん、行くよ」
歩幅を合わせて走ってくれる。
ヴァンパイア――ゆきなのセカイでは空想の怪人
しかしこのセカイでは、希少価値の種族として人間と共存しているらしい。まだまだ分からないことがたくさんある。ゆきなはそっとヴァンパイアの横顔を眺めたのだった。